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求道四苦八苦
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アーカイブ:2017年

求道四苦八苦

幸せでした

   今年も今日1日となりました。
  
   無事にここまで過ごせたことに「幸せ」を感じています。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、つらいこと等、色々なことがありました。でも、それらの事を乗り越えられたのは、目に見えた力、目に見えない力でした。
  
   本当にありがとうございました。
  
   今日に「キリ」をつけ明日を迎えたいと思っています。
 

 

気持ちを伝える

  お世話になった方にお礼の気持ちを品物に込めて送ります。

   先日、新聞に中学生が「『つまらないものですが・・・』といって渡すのは、変だと思う。姉の友人(外国人)からプレゼントをもらった時『あなたに合うと思って選びました』といっていた。かっこよく、謙虚すぎず、偉そうでもなく≪相手の事を思った≫言葉だ」という新聞への投稿を読んだ。

   贈り物をするときに「粗品(そしな)ではございますが」と言いながら渡すことが多い。つまらないもので恐縮ですが、という意味合いで使われる「粗品」という言葉。自分自身がへりくだった謙譲表現だが、私は「つまらないものならいらない」とは思わない。

   「粗品」は日本語の奥ゆかしさ、謙譲表現であることをお互いが理解しているからでしょう。

   日本人の奥ゆかしさで、この謙遜した言葉は理解できるが、我が思いを素直に伝える言葉・表書きはなにかと考えさせられた。
 

 

仕事はキリで、

  今年最後の散髪をしてもらいました。
  
   年末はいつも忙しく、今年も今日の午後から俄かに忙しくなったそうです。年明けは暇なのかと思いきや、仕事始めから暫くは忙しく、年内に済ませることの出来ない職業の方がおられるとのことでした。キリをつけることができず、新年を迎える方々がおられるのだなぁと思いました。
  
   私は色んなことにキリをつけて、新しい年を迎えることにしています。できないことが多いけれど・・・。
 
   現役時代、「仕事は時間でなく、キリでせよ」と聞かされていました。

   時間が来れば終了でなく、ここまで済めば終了ということです。現代には合わない言葉かもしれませんが、期限内に完成の為には心しなければならない言葉です。その為には、計画(段取り)、従事する仲間への周知が大切です。

   昔を思い出しました。

 

伝統

   大相撲協会は日馬富士の殴打事件で大揺れで、想像の域を脱せないトークには感心しきりです。

   テレビで連日報道されているなかで、今まで培われてきた「しきたり」を現代もそのままでいいのか、が議論されていた。
 
   歴史あることは守るべきだ、また、時代の変化に伴い変えていくべきと意見が分かれた。
 
    しかし、根本は崩すことなく現代にあった考え方、方法を取り入れるべきであり、幅広く意見を求めて議論すべきであろう。
  
    いままでの常識を変えることには、賛否両論で非難も覚悟の大変な勇気が必要だろう。
   
    どんな組織(団体)でも伝統あるものは、同様だと思うのですが。私は古い人間でしょうか?
 

 

体験発表その2

  終戦後シベリアへ3年間抑留され、酷寒(-30℃以下の凍土)のなか凍傷に悩まされ、強制労働をしいられ、満足な食事も得られず、本当に地獄のような生活だった。そして、無事帰宅できたことを仏壇に報告した。
   
   帰還後、地元の皆さんに温かく色々なことを教えてもらい育ててもらった。ありがたいことです。
  
   日本は、敗戦によって、豊かに、平和に、自由な国になった。抑留経験があり、地域の人々に助けられ育てられたおかげで、平穏な暮らしができることに感謝、地域に無報酬の報酬ができる。
  
   加齢による認知症、高血圧、難聴はやむをえない。生きるための努力が大切で、趣味を持ち、身体を動かすこと、ボケの進行防止に、今や昔のことを絵や文字に書いて友人、子供達に送っている。以上発表内容。

   戦争捕虜の体験も生きる力にし、今生かされていることに感謝され、精一杯に生きられている姿に感銘しました。また、ご自分の記憶を、地域に後世に遺しておきたい、使命感をもっておられると感じました。有難いことですね。
 
   年齢からくる衰えも正面から受け止めて、何か楽しんでの日暮しのように思いました。いつまでもお元気でお過ごしいただきたいと思いました。

 

体験発表その1

   地域の公民館活動で、「両親の介護と自身の闘病」(63歳男性)と「今まで歩いて来た道」(95歳男性)のお二人の体験発表を聞かせていただきました。

   高齢の両親(父93才特に異常なし、母86才認知症)と3人暮らし。

  自身が精密検査の結果“大腸がん”と判明、「死ぬんかな?」との思いからエンディングノートを買った。入院中の両親の介護は遠方の弟に頼み、退院が延びた時「本当に退院できるのかな」と心配になった。

   入院を拒否していた父に異変があり、救急車で入院した。「あれだけ入院拒否していたのに入院して・・・」と申し訳ないと思った。

   そして父の死。心配かけ通しだったことを詫び大声で叫び涙した。その後、誰もいないのにセンサーライトが点灯したり、オルゴールが突然鳴ったりと奇妙なことに、父を感じた。

   教訓として、病気宣告や投薬は複数の病院・医者の診断が必要だと思った。以上が発表内容。

   両親の介護に先行きの心配、加えて自身の闘病と途方にくれたとき、現実の受け入れと他の援助が必要だと思った。

   今後はお母さんと二人暮らし、周りに気軽に頼れる生活ができたらいいなと思いました。

 

私にも時は来るか?

   今年も11ヶ月(334日)が過ぎ、残すところ1ヶ月(31日)となりました。

  時は、忘れず、まちがいなく刻まれる。私は、今年もここまで334日過ごせたが、残る31日がやってくるかな? わからない。

ある日の新聞で、無職100歳のおばあさんの投稿記事を見た。
   
  「ある冬の朝、目が覚めてハッと気づいた。100回目の誕生日である。手足が動く、歩ける、目が見える、両手 を 挙げてバンザイをした。100年前(大正時代)に私を産んだ母は大変だったろう。ありがと うございます。人生とは 『ケ・セラ・セラ(なるようになる)』だ。人生を十分に楽しんだ私は、誰にも迷惑をかけないでピンピンコロリと、あちらへ旅立つ日を待っている」
 
  100年を生きるとは、こんな気持ちになるのかと読ませてもらった。
私はおばあさんの2/3を過ぎたところ、多くの人に迷惑をかけ、未練を残しながらの人生だと思う。いつまでと予定ができないので日々を精一杯生かさせていただこうと思っています。
 

 

反省が必要です

  地域の健康サロンで「かみかみ百歳体操」が実施されました。「百歳体操」は経験があったのですが、「かみかみ百歳体操」は初めてでした。「口の元気はおいしく食べ、会話を楽しむために大切です」との趣旨です。体操は、首や肩の運動、口の開け閉め(声を出して)、口の中で舌を回転、など少し恥ずかしい動作でした。

   人はものが食べれないほど、つらいことはありません。自分の不摂生ですが30年位前に、十二脂腸潰瘍で入院した時、当初の1週間は点滴のみでした。同部屋の他の人たち(5人)はおいしそう(?)に食べているのを見て、本当に寂しく情けなく感じたことがありました。
 
   食べれないことは、肉体的にも精神的にも、元気がなくなります。楽しく暮せるのはやはり食事が「おいしい」といただけることだと思うのです。おいしい食事に出あうと会話(おしゃべり)もはずみ、生活のすべてに張り合いが出ます。

   健康でありたいと思うのであれば、自己管理をしっかりとし、我慢が必要だと思います。好き勝手なことばかりではおいしく食事をいただくことはできませんね。ただただ反省ばかりでした。
  

 

まちがい・バンザイ

  私が、現職時代のことで時々思い出すことがあります。
   
   仕事は発注者より受注して作業を実施し、報告書にまとめて報告完了するという内容です。
ある仕事で、作業・報告書作成を若い人が担当し、完了時に私が報告書を‟チェック“する時、彼に「まちがいなく出来たか?」の問いかけに「まちがいありません。完璧です」の返答だった。報告書内容の訂正・修正の有無は記憶にないが、彼の返答に違和感を覚えたのです。

  人間は、物事を実施した時「間違いない、完璧だ」ということがあるだろか?
   
  点検してミスが無かったならば、たまたまであったと思うし、その思い、心こそがミスを生じる根本ではないだろうか。ミスがあることが前提でも困りますが・・・。

   私は、自分の事を思う時、まちがいだらけの生きてきた道でした。でもまちがいがあったから、まちがいのない道を選択することができたと思うのです。まちがっていれば修正すればいいと思うのです。

                「人生は、やり直しはできないが、見直しはできる」(金子大栄氏)

   まちがいに気づいたとき、分岐点まで戻り、その時と同じ状況でもう一方の道を選択し直すことができれば、といつも思うのですがやり直しはできないのです。見直し修正すればいいと思うのです。

   私のこれまでの人生、これからの人生、まさにこれの繰り返しだと覚悟しています。

   人生とは、左にそれ、右にそれ、引き返し、また大きく道を踏み外し、また戻る。そんなことではないでしょうか?
    
                 まちがい・・・バンザイ・・・
 

 

妻よりの頼まれ事

   近頃、すごく感じる事があります。
それは妻にうまく用事を頼まれているように思うのです。

    私は、5年半前に定年退職しました。会社勤めの頃は仕事を理由に妻にほとんどの用事を頼み、休みの日などは自分の思う用事は済ませて、彼女の頼み事はあまり聞いていなかったように思います。退職後は、罪滅ぼしのつもりで、なるべく頼まれごとは聞こうと思い協力していました。

    しかし、 最近特に彼女はうまく、順序よく用事を頼んできます。そんなに数多くあるわけではないのですが、ひとつのことをすると次のこともせざるをえないような頼み方なのです。「お前は、上手だな」と皮肉を言ってしまいます。頼みごとは極力聞こうと決めていたのですが、その決断が崩れそうです。

私は、この先お世話になっている妻の頼みごとに、どのように対応すればいいのでしょか。

身勝手な私に、ご意見をお聞かせください。