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アーカイブ:2017年
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12月

求道四苦八苦

幸せでした

   今年も今日1日となりました。
  
   無事にここまで過ごせたことに「幸せ」を感じています。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、つらいこと等、色々なことがありました。でも、それらの事を乗り越えられたのは、目に見えた力、目に見えない力でした。
  
   本当にありがとうございました。
  
   今日に「キリ」をつけ明日を迎えたいと思っています。
 

 

気持ちを伝える

  お世話になった方にお礼の気持ちを品物に込めて送ります。

   先日、新聞に中学生が「『つまらないものですが・・・』といって渡すのは、変だと思う。姉の友人(外国人)からプレゼントをもらった時『あなたに合うと思って選びました』といっていた。かっこよく、謙虚すぎず、偉そうでもなく≪相手の事を思った≫言葉だ」という新聞への投稿を読んだ。

   贈り物をするときに「粗品(そしな)ではございますが」と言いながら渡すことが多い。つまらないもので恐縮ですが、という意味合いで使われる「粗品」という言葉。自分自身がへりくだった謙譲表現だが、私は「つまらないものならいらない」とは思わない。

   「粗品」は日本語の奥ゆかしさ、謙譲表現であることをお互いが理解しているからでしょう。

   日本人の奥ゆかしさで、この謙遜した言葉は理解できるが、我が思いを素直に伝える言葉・表書きはなにかと考えさせられた。
 

 

仕事はキリで、

  今年最後の散髪をしてもらいました。
  
   年末はいつも忙しく、今年も今日の午後から俄かに忙しくなったそうです。年明けは暇なのかと思いきや、仕事始めから暫くは忙しく、年内に済ませることの出来ない職業の方がおられるとのことでした。キリをつけることができず、新年を迎える方々がおられるのだなぁと思いました。
  
   私は色んなことにキリをつけて、新しい年を迎えることにしています。できないことが多いけれど・・・。
 
   現役時代、「仕事は時間でなく、キリでせよ」と聞かされていました。

   時間が来れば終了でなく、ここまで済めば終了ということです。現代には合わない言葉かもしれませんが、期限内に完成の為には心しなければならない言葉です。その為には、計画(段取り)、従事する仲間への周知が大切です。

   昔を思い出しました。

 

伝統

   大相撲協会は日馬富士の殴打事件で大揺れで、想像の域を脱せないトークには感心しきりです。

   テレビで連日報道されているなかで、今まで培われてきた「しきたり」を現代もそのままでいいのか、が議論されていた。
 
   歴史あることは守るべきだ、また、時代の変化に伴い変えていくべきと意見が分かれた。
 
    しかし、根本は崩すことなく現代にあった考え方、方法を取り入れるべきであり、幅広く意見を求めて議論すべきであろう。
  
    いままでの常識を変えることには、賛否両論で非難も覚悟の大変な勇気が必要だろう。
   
    どんな組織(団体)でも伝統あるものは、同様だと思うのですが。私は古い人間でしょうか?
 

 

体験発表その2

  終戦後シベリアへ3年間抑留され、酷寒(-30℃以下の凍土)のなか凍傷に悩まされ、強制労働をしいられ、満足な食事も得られず、本当に地獄のような生活だった。そして、無事帰宅できたことを仏壇に報告した。
   
   帰還後、地元の皆さんに温かく色々なことを教えてもらい育ててもらった。ありがたいことです。
  
   日本は、敗戦によって、豊かに、平和に、自由な国になった。抑留経験があり、地域の人々に助けられ育てられたおかげで、平穏な暮らしができることに感謝、地域に無報酬の報酬ができる。
  
   加齢による認知症、高血圧、難聴はやむをえない。生きるための努力が大切で、趣味を持ち、身体を動かすこと、ボケの進行防止に、今や昔のことを絵や文字に書いて友人、子供達に送っている。以上発表内容。

   戦争捕虜の体験も生きる力にし、今生かされていることに感謝され、精一杯に生きられている姿に感銘しました。また、ご自分の記憶を、地域に後世に遺しておきたい、使命感をもっておられると感じました。有難いことですね。
 
   年齢からくる衰えも正面から受け止めて、何か楽しんでの日暮しのように思いました。いつまでもお元気でお過ごしいただきたいと思いました。

 

体験発表その1

   地域の公民館活動で、「両親の介護と自身の闘病」(63歳男性)と「今まで歩いて来た道」(95歳男性)のお二人の体験発表を聞かせていただきました。

   高齢の両親(父93才特に異常なし、母86才認知症)と3人暮らし。

  自身が精密検査の結果“大腸がん”と判明、「死ぬんかな?」との思いからエンディングノートを買った。入院中の両親の介護は遠方の弟に頼み、退院が延びた時「本当に退院できるのかな」と心配になった。

   入院を拒否していた父に異変があり、救急車で入院した。「あれだけ入院拒否していたのに入院して・・・」と申し訳ないと思った。

   そして父の死。心配かけ通しだったことを詫び大声で叫び涙した。その後、誰もいないのにセンサーライトが点灯したり、オルゴールが突然鳴ったりと奇妙なことに、父を感じた。

   教訓として、病気宣告や投薬は複数の病院・医者の診断が必要だと思った。以上が発表内容。

   両親の介護に先行きの心配、加えて自身の闘病と途方にくれたとき、現実の受け入れと他の援助が必要だと思った。

   今後はお母さんと二人暮らし、周りに気軽に頼れる生活ができたらいいなと思いました。

 

私にも時は来るか?

   今年も11ヶ月(334日)が過ぎ、残すところ1ヶ月(31日)となりました。

  時は、忘れず、まちがいなく刻まれる。私は、今年もここまで334日過ごせたが、残る31日がやってくるかな? わからない。

ある日の新聞で、無職100歳のおばあさんの投稿記事を見た。
   
  「ある冬の朝、目が覚めてハッと気づいた。100回目の誕生日である。手足が動く、歩ける、目が見える、両手 を 挙げてバンザイをした。100年前(大正時代)に私を産んだ母は大変だったろう。ありがと うございます。人生とは 『ケ・セラ・セラ(なるようになる)』だ。人生を十分に楽しんだ私は、誰にも迷惑をかけないでピンピンコロリと、あちらへ旅立つ日を待っている」
 
  100年を生きるとは、こんな気持ちになるのかと読ませてもらった。
私はおばあさんの2/3を過ぎたところ、多くの人に迷惑をかけ、未練を残しながらの人生だと思う。いつまでと予定ができないので日々を精一杯生かさせていただこうと思っています。