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アーカイブ:2018年
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1月

過疎四苦八苦

顔を見て


伝え方にはいろいろな方法があります。

手紙やハガキあるいは電話とかファックスのようなものからメール、最近ではテレビ会議のようなものまで出現して便利になりました。

内容や緊急度によって手段を選ぶのですが、伝える内容によっては、顔を見ながら伝えることしかないようなこともあります。

今から800年くらい前のことですが、「いのちの行方」を聞きたくて、わざわざ茨城から京都まで訪ねて来た集団がおられたという記録が残っています。

仏教の救いを伝える手段としては、手紙も使われていた時代です。その時代にわざわざいのちがけの長旅をしてまで訪問されたことは、仏法は手紙とか書物では伝わりにくいという実例に思えるのです。

「いのちの行方」に気づいた人の顔を見ながら、その人の肉声によって伝わっているという記録です。

便利になった現在、あらためて考えて見たいテーマです。


 

 

この世は過疎で、あの世は過密

お参り先のおばあさんが真面目な顔でつぶやかれたひとことは大変おもしろいことばでした。

「寒さが厳しくて、お亡くなりになる人が多いですねえ。さぞお浄土は賑やかになったでしょう。あの世は過密状態ですかねえ」。何気ない日常会話のようにして、お浄土とこの世が続いているように話されたのです。

「そうでしょうねえ、お浄土は賑やかになっているでしょうねえ」と笑いながらお答えしました。私たちの周囲は過疎になりますが、そうかといってお浄土が過密になることはないようです。

お浄土の様子が書かれた経典に、この世のような面積を表す単位は見当たりません。お浄土は無辺で、いつでもあいさつできるところに誰かがいらっしゃるという世界です。

「お花」が咲いているのです。「鳥」が美しい声で鳴いているのです。きもちがいい雨の日もあり、澄んだ水をたたえる池もあります。

見ることが出来ないから信じにくいのですが、のどかさやみなぎるものを感じることが出来る空間なのです。

面積とか長さ、あるいは時間といった比較するための単位の表現はありません。つまり過疎とか過密、あるいは貧富や優劣などが存在せず、一人一人が縁によって満足する世界があの世というところでしょう。


 

 

身近なところから


この地方には、身内の人がお亡くなりになったら、お葬式のあと遺族が「寺参り」と呼んで、お寺にお参りされる習慣がありました。

私がその習慣の意味を聞いたとき、「故人にかわって、お世話になったお寺にお礼申し上げるお参りだ」と聞いた記憶があります。

お葬式の後一週間以内に行われていた行事で、お参りくださるみなさんには10名くらい。ときにはおときの接待まですることがありました。

お葬式に集まった一族は、今では式が終わった翌日までには忙しそうにそれぞれの家にお帰りになります。この地に残る家族は、死亡手続きなどの所要に追われ、あるいは「寺参り」という意味が伝承されないままで、またそれを伝える親戚も少なくなってこの習慣はほぼ消えかけています。

というわけで現代ではその行事がほぼなくなりましたが、決めごとに厳しいご親戚の忠告があればあわてて行われるお方もときにはおられるのです。

久しぶりで寺参りのご連絡がありました。そしてあらためてどのような演出にしようかと考え始めたのです。

今までのやり方を踏襲するのではなく、この行事がいかにすばらしい意味を持った大切な行事であるのかを知っていただくことにしようと思ったのです。

その大切さを周囲の人々に話したくなるような行事にまでしたいと思ったのです。

所要時間のことやプログラムのことなど、ゼロから始めて、一緒になってお互いに充実感が生まれる行事に変えるつもりです。

 

 

なまこ


知り合いの漁師さんからなまこをいただきました。買ってまで食べることはなかったので、30年くらい前のことを思い出しながら料理しました。

食べながら、「なまこはどんなところに棲んでいるの?」とか「なまこはどうやって採るの?」と生態を質問する家内に、あれこれとなまこの話をしました。

そのとき「なまこの旬は今の季節だよ」と、季語にもなっていることも説明しました。

翌日、なまこを詠んだおもしろい俳句はないだろうかと『歳時記』を調べたら、なんともおもしろい句がありました、ありました。

「浮けなまこ仏法弘通の世なるぞ」という小林一茶の句です。桶の底に沈んで動かないなまこに呼びかけることばに、何ともいえないユーモアを感じたのです。

なまこを切るとき一瞬戸惑いました。頭の方から切ろうとしたのですが、頭と尻の見分けがつきません。口を見つけて頭側を確認したのですが、目はないのです。

そんななまこに向かって、仏法を聞いて「もっと別な生きものに生まれ変わったらどうか」と思ったのでしょうか。生きものに対する一茶のあたたかい心を感じたようで、私の心が和みました。


 

 

お宮参りがしたかった

「初参式を受けたい」といって、生後5ヶ月の赤ちゃんを連れた若い夫婦とお母さんがお参りになられました。

初参りの記念に経典や念珠、式章などを差し上げ、一連の行事が終わったあとしばらくの懇談をしました。

そのとき若いお母さんが、「どうしてもお宮参りをしたいと思っていたので、それが出来てよかった」とうれしそうに話してくださいました。

お寺参りとお宮参りは違うのですが、このお母さんの話しぶりではまったく同じことのように思っておられ、天真爛漫に話されたのです。

そのことについてあえて指摘も説明をしようと思いませんでした。そして「これからの人生で、行き詰まってどうにもならなくなるようなこともあると思います。どうにかしたい、どうしたらいいのだろうと思案したりヒントをいただくところがここですよ。仲良くのびのびと見守ってあげてください」とお話ししました。

最初のボタンの掛け違いはあったとしても、選んでくださった服がもっともお似合いでお気に入りの服であるようにしたいと思いました。仏教にはその力があるのですから。


 

 

電気自動車


中国が電気自動車の普及に力を入れています。

中国の発表で判断しているわけではなくて、日本の自動車業界が中国で電気自動車販売に本腰を入れるという報道で感じているのです。

一時、中国の大気汚染は深刻でした。テレビに映る北京の様子や、日本での光化学スモッグの発生などから中国が深刻な課題を抱えていることは承知していました。

その中国だからこそ、電気自動車以外の自動車を規制するという大胆な政策を打ち出すことが出来たと思います。

電気自動車はこれからの主流になると思います。そう断言する理由は私が欲しい自動車だからです。

私はわずか一人のユーザーにすぎませんが、感覚的には極端な考え方や生活をしているわけではないと思っているのです。

テスラモータースのショウルームで現物を見たとき、ゾクっとするような衝動を覚え、もし乗り換えのチャンスがあれば次は電気自動車と決心したものです。

早く普及してほしいなあと待ち遠しく思っています。

 

天気予報


毎朝天気予報を見ます。

お天気が直接左右する仕事をしているわけではありませんが、お天気は生活全体に影響するものです。

自分のこととしては、衣服のことや目的地までの所要時間のこと。仕事のこととしては、訪問先や来客の交通事情や関係者の地域の積雪とか風雨などのこと。

数分間の予報から、一日の行動に必要なことを判断をするためです。

最近の予報は的中する確率が高くとても重宝しています。以前は自分が暮らしている地域の予報をピンポイントで求めていましたが、いつしかその必要は感じなくなりました。

いくら科学が進歩しても、自分の希望通り自然をつかむことは不可能なことだと、科学の限界が感じられたからです。また自然に逆らわぬ「晴耕雨読」に近い生き方を面白いと思う心境になったこともあります。

人々が自然界に求めるものは違いますので、天気予報の進歩はこれで十分だというわけではないと思いますが、私は十分満足しているのです。

 

 

真実の見方


年末恒例のNHK紅白歌合戦に出場した左足切断のダンサー大前光市さんの放送を観ました。

事故に遭って抱いた絶望の心境や、同じように世界での活躍を目指していたダンサーの活躍と名声に嫉妬心をもったことなどを赤裸々に語っておられました。

そこへ世界で認められるダンサーであり振り付け師でもある辻本友彦さんが、紅白で踊るダンスの振り付け師として出現したのです。

華やかに活動するトップスターと、事故のために夢を破られた同年代の二人。明暗を分けた二人の間に生まれた心の葛藤が押し寄せるように伝わった番組でした。

紅白の舞台が大きな反響のうちに終わったあと、大前さんが「紅組でも白組でもなく、負け組でいいです。その負け組の先には俺組があります」という意味のことばをおっしゃって番組が終わりました。

過疎地に暮らす私たちは、都会での暮らしをうらやましく思い嫉妬するようになって、無意識のうちに負け組の気持ちにになってはいないだろうかと思います。

まったく同じではありませんが、過疎での暮らしも障害を抱えての暮らしも、それを認めることから始めなければなりません。その状態を負け組というなら、その先に俺組というすばらしい組があるのです。

思いを変えることから始まる暮らしの転換ですが、人間にはそれが出来る力をいただいているのです。

人生について一通りの見方しか出来ないでいる自分に、真実の見方に気づくきっかけは誰でも手に入れることが出来るようになっているのです。


 

 

ピンポン


女子卓球の石川選手が出演したNHKの放送を観ながら、卓球という競技の奥深さを垣間見たような気がしました。

周囲で卓球という競技がさかんになり始めたのは、私が中学生のころでした。体育館などない田舎の木造校舎の廊下に一台の卓球台があって、その頃はもっぱらピンポンと呼んで、木製やコルク製のラケットで遊んでいました。

いつの間にかその呼び名が消えて卓球になってきましたが、なぜピンポンといわなくなったのだろうとふと不思議に思います。テニスはテニスという呼び方が主流で庭球ということはまれです。サッカーだって蹴球と呼ぶことはまれで、バレーボールやバスケットボールを排球とか籠球と呼んだことなど若い人は知らないだろうと思います。

まあ呼び名はどうでもいいのですが、今年のピンポン選手権で優勝した男女のチャンピオンは14歳の張本選手と17歳の伊藤選手でした。狭い面積であっても激しく動き回り続けるスポーツなので、高齢になるに従って勝てなくなることは想像できますが、それにしても若い選手の台頭には驚くばかりです。

かって女子チャンピオンになった石川選手が、ピンポン王国の中国選手に勝てるようにと、あえて使い慣れたラケットをかえ、世界に通じる戦術に挑戦する様子が紹介されていました。

道具やプレースタイル、そしてその戦術を支える筋力トレーニングや練習方法まで変えようとしている姿勢に感銘を受けながら観ていました。小さなテーブルの上で繰り返されている小さなピンポン球の往復の蔭には、ながいながい身心の鍛錬があったのです。

ところが若い選手は、最初から変化の必要がないプレースタイルとか道具でトレーニングをしています。その差が勝負に出ていることを感じて、高齢者として淋しさを少し感じました。

 

 

生きる意欲

通夜のお参りから戻るのを待っていたかのように、訃報の電話をいただきました。

昨年の3月、にわかに奥さんに先立たれ一人暮らしをなさっていた高齢の男性がお亡くなりになったのです。奥さんとの別れがあまりにも突然だったことで、その無念さが薄らぐことがなかったようでした。

毎月奥さんのご命日にはお参りしていたのですが、「家の中の管理は、すべてアレにまかせていたので何がどこにあるのかさっぱりわからん」とか「しばらくの時間でも看病してやりたかった」とか、ことばの端々に後悔の念がにじみ出ていました。

さらにはお参りのたびに、「アレはお花が好きだった」「いちじくはアレが好きだったので」「スイカが好きで、・・・・・甘いものが好きだったので・・・・・」と毎月のお供えは奥さんの思い出とともに並べられていました。

昨年の秋からご命日のお参りが途絶えました。そして息子さんに、「早く母さんのところへ行きたい」といわれるようになられたのだそうです。

続けておられた食事づくりも途切れがちになり、「どこか自分が入れる介護施設を探してくれ」ともいわれ始めていたようです。そんな矢先に、「苦しいから救急車を呼んで欲しい」と緊急連絡がお別れの声だったそうでした。

死因を伺おうとしたとき、「親父は自死のようなものでした」と息子さんがいわれたのです。生きる意欲をなくし、はやくお母さんのところへ行きたいという思いがつのったことが原因だろうといわれたのです。

その故人のお気持ちは理解できたように思いましたが、なぜ生きる意欲が薄れたのか、どうしたらよかったのかと考えていますが答えが見つかりません。

その人にとって大切なものを失ったとき、あるいは失ったものがかけがえのないものだったと気づいたとき、それを乗り越えて生きる意欲とはなんだろうと考えているのです。