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過疎四苦八苦
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アーカイブ:2018年

過疎四苦八苦

25人のみなさんとお参りします


今日の参加者は 関西から25人島根県から7人 あわせて32名のお参りです。

本願寺には 積極的に都市開教を進めているお寺や団体に対して いろいろ便宜を図る体制が準備されています。

境内内にある施設を積極的に使わせていただくことや お参りに必要な用具も借用できます。

今回は 本願寺の礼拝室の一部屋を借用したのですが 400人は座れる大きな和室をお借りしました。

100人までの部屋が 先約があって使えなかったためこの部屋になったのです。

しずかな座敷に座って 世俗の中では体験できないひとときを過ごさせていただこうと思います。


 

 

今から京都に出かけます



大谷本廟へのお参りと 西本願寺で「離郷門信徒の会」を予定していますので 今から京都に出かけます。

戦後 仕事を求めて関西地方に働きに出かけ その地に定住された人たちに 田舎の匂いと仏法にふれる機会をもっていただこうと始めた催しです。

昭和50年代の初めから毎年行っていて 今年は39回目の集まりになりました。

故郷を離れた人々のことを「離郷門信徒」と呼ばせていただいていましたが 次第に実質の離郷者が減って 今では関西で生まれ育たれた離郷二世の時代になろうとしています。

幼いころ 故郷で体験した法事とかお寺参りの経験がない人々が増えてこられているのです。

そのような時代の変化にあわせて 今回から内容も変化させるつもりです。簡単にいうと 「合同追憶法要」という法事を営もうとしています。

参加者のご先祖はそれぞれ異なりますが 故郷と故人を送ったお寺が同じという人々の合同の法事を営みます。

追憶を通じて 「繋がりの中にある自分」「生かされている自分」に気づき これからの生き方を見つけていただきたいと思っているのです。

 

 

サルが出たようです


昨日の夕方 お寺にやって来た出入りの業者さんが 「向かいの山でサルの鳴き声がしていますよ こわいです」と教えてくれました。

しばらくすると裏の家辺りで サルを追うために花火を打ち上げているらしく 数発の破裂音が聞こえました。

サルが里に出てくるのは 山に食べ物がなくなったからだと聞いていますが 今年は少し早いように感じます。

数年前までは 30匹くらいな大きな群と 群からはぐれていた数匹のサルがいることを目撃していたのですが 最近では大きな群が二つになったような気がします。

人間の数が減るとサルの数が増えるという もっともらしい逆比例の法則があるのではないかと思ってしまいます。

人間に危害を加えなければいいのですが 食べ物が入っていそうな袋をもって歩いていると襲われるという話を聞いています。また高齢の女性がターゲットになるのという話もあります。

私はサルの判断力を高く評価していませんので 「そんなことはないだろう」と思っていますが ターゲットになっているといわれた人たちにすれば恐怖だろうと思います。

過疎地の道路は 人も車も滅多に通りませんから 襲われたら多勢に無勢です。

サルの判断力が高くないと思っている私は 歩くときは手強い存在であることを印象づけるために 仕込み杖をもって歩くとか ボリュームを上げて音楽を聴きながら歩くといいのではないかと思っています。


 

 

変化


変化するということは つくずく難しいと思っています。時代とか環境変化に合わせて変化しなければダメだと思い 変化を決意しても変われないのです。

変化できない自分と向き合いながら 変化のスケールもスピードも 自分の器に合った程度のことしか出来ないことに気づいています。

「リスクを負いたくない」という保身の気持が強いと 小さな変化や成功体験の範囲の変化しか出来ないのです。 

何のために変化するのかという目的が曖昧で その目標をどこに定めるか鮮明にならないと変化は始まらないと思っています。つきつめたら  「自分は何をするためにこの世に生きているか」という自問することでもあります。

長い間お寺を預かっているのですが そのお寺の変化について 自分流の思考で考え続けています。それはお寺を一つの企業に置き換えて考える思考方法です。

数百年続いてきた企業の17代目のトップとして就任して久しくなりますが 高度成長とか過疎化などの社会現象に翻弄され 仏法を伝える役目が果たせなくなってしまいました。
 
企業の存続は 需要の開拓に尽きます。潜在している需要を開拓することは容易ではありませんが 手法は必ず見つかると思います。

仏法は数千年前に製造され 冷凍保存されているすばらしい食材という見方も出来ます。世の中はすっかり飽食の時代になり 生き方が多様化しているとき その食材がいかに素晴らしいものであっても 今までと同じ調理法や提供法では振り向いてもらえないのです。

解凍して口に合うような調理法を見つけ その食材を食べている人が魅力ある生活をしながら その魅力を紹介することに集中したらいいと思っています。


 

 

地面師



地面師というのは職業名なのだろうか それとも詐欺師と同じような犯罪者名なのでしょうか。

いずれも師という尊称がついているので 紛らわしく思いませんか。

「師」というのは 聖職にある人につける尊称 あるいは自分の一生を決めてもらった先生などを恩師と呼ぶように 人生を導いてくださる人に使うことばと思っていました。

もしかしたら被害企業にとっては 「欲を出すな」という肝に届くような教えをいただいたグループという意味で 師という尊称を認めておられるのかも知れません。

数日前からこの地面師の事件が賑やかに報道され始めています。

真っ先に私が疑問に思ったのは 積水ハウスという優秀な企業が 被害者になったということです。日本で優秀といわれる企業でも 管理体制の緩みがあるのでしょうか。

それにしても被害額の大きさには驚きます。振り込め詐欺のような事件の被害額は 多くても千万単位ですが55億円とは驚きです。

このような大金の小切手を発行するとき 組織の担当部門でどのようなやりとりがされていたのか とても関心があります。

欲しいと思っていた土地が手に入ることや しかも思いがけない有利な条件ということで 時間をかけてチェックしなかったのかなあと推測しています。

欲による被害を防ぐのは 欲がない人によるチェックしか方法はないのでしょう。

 

 

昆虫が多い秋です


今年は蜘蛛が多いように感じます。出歩いた先のあちらこちらで 蜘蛛の巣が顔や頭にかかるので そう思っているのです。

軒下に架けた巣は顔にかかることはありませんが 二重三重に架けられていて 掃除を怠っていることを目立たせてくれます。

またカマキリがお産場所を探している様子も見かけます。あるいは 誰かに踏まれて死んでいるカマキリも多く見かけます。

さらに巣作りをするスズメバチにも 2箇所で出会いました。今日お寺で喚鐘を打とうと見上げたら 一匹の黒スズメバチが飛んできて軒下の巣に入りました。まだ10センチくらいな小さな巣ですが みるみるうちに大きくなるだろうと思います。

蝉 蟻 蚊 蝿といった真夏の昆虫は非常に少なかったのですが 秋の昆虫を多く見かけます。異常高温や台風の多発と同じように これもいろいろな出来事と関係した自然界の現象と受け止めています。

さて夏 秋という季節の次は冬ですが どんな冬がやって来るのか。大きな被害がなければ 異常現象も楽しみです。

 

 

困ったなあ 私が汚したのではない


お参り先のお家でトイレをお借りすることがときどきあります。

先日もお借りすることになって 男性用のトイレを教えていただき入りました。

すると先客のどなたかが汚しておられたのです。便器の左下の 薄いブルーのタイルが濡れていたのです。

どなたかの失敗だったのだろうと想像した直後に 「困ったな 私が疑われてしまう」と思ったのです。

拭いて掃除をするような道具も時間もないので そのまま用を足して出ました。

お家の人に「汚れてましたよ」と伝えるのは いかにも自分が汚したのではないと弁解がましくなるので何もいわずに席に戻りました。

途中で 自分に濡れ衣がかからなければと 自己防衛をしている心が見えました。

お客さまに中には 高齢になられたお方や 少しからだが不自由になられたお方もおられたのですが 一番最後に使ったのは私です。

後に入った人がどう判断されるのか それはおまかせすることにして 自分の失敗はしないように心掛けようと思いました。また失敗したことには 気づきたいと思いました。

 

 

日本は木炭を輸入する国だった



秋刀魚焼きのあと たくさんな消し炭をバケツに入れている職員さんを見かけました。

特製コンロの消し炭を片付けながら 「この消し炭では芋が焼けないのですよ」と職員さんが話し出しました。

その理由は 火力が弱いことと燃え尽きる時間が短いのではないかというのです。私の記憶の中には 消し炭で芋は十分焼けていたはずなのですが。

すると「やっぱり輸入品はダメなんですかねえ」と別の職員さんの声がありました。思いがけない声を聞いて 「この炭は輸入品なの?」と質問したら 「インドネシア産のマングローブの木炭ですよ」と教えてくれました。木炭といえばクヌギの木を焼いたものという先入観があったのですが 無知でした。

石油は中東からの輸入品で 木炭は東南アジアからの輸入品。身近にある日本のエネルギーは 気づかないうちに国際化が進んでいたのです。

やがて人材も外国に頼らなければならない国になり始めていますので 日本という国のアイデンティティーはなくなってしまうのではないかと ふと思いました。

 

 

贈りもの文化



「ハローウインのものですが」といって紙袋にいれたお土産をいただきました。人間関係をつくる贈りものとして ありがたくいただいたあとで考えたことです。

「贈りもの文化」ということばあるのかどうかわかりませんが アメリカ人の贈りもの好きは「贈りもの文化」といってもいいと思っています。

現地のギフトショップに行けば ラッピング用の可愛い品物が豊富にありますし ギフトカードの種類も実に豊富です。ホームパーテイが盛んで そのスタイルにも工夫をするお国柄と感じていました。

日本には昔から 「お裾分けです」とか「たくさん採れましたので」 といってご近所に品物を配る習慣はありましたが、積極的に人間関係をつくるような文化ではなかったと思います。

しいていえば引っ越しのご挨拶に「引っ越し蕎麦」を配ったような一回限りの贈りもの習慣が 人間関係をつくる文化といえそうです。それ以外に積極的に交友を深める贈りものは知りません。

アメリカのような多国籍の人々が暮らすお国柄だから発達した文化と考えたら腑に落ちますが 少数民族の国である日本で そのスタイルだけを真似しても文化としては育たないと考えます。

過疎高齢化によって 近隣にくらす人が急速に減りました。このような地域では 「お隣さん」の面積を広くし「お裾分け」の解釈も変えて 交友回数を頻繁にする新しい文化を創らなければならない時代になっているようです。

 

 

今年は松茸が豊作といわれています




耳にした話では 今年は松茸が豊作だそうです。

先日その松茸をいただく機会があり もてなししてくださった家の人が 仕出し屋さんから聞いたと話しておられました。

そういえば ここ何年間か口にすることがなかったので 久しぶりに食感と香りを楽しみました。


いつの頃からか 松茸は「高嶺の花」とか「高級料理」とかいわれ それを食べることが自慢になったりする時代が続きましたが 今はそんな気分が薄らいでいるように思えます。
 
お店に並べられているところを通っても たまに足を止めて 値段を一瞥するときはあっても 食べたいと思う気持ちはおきないように思います。

「あっ 松茸がある」と 隣に座っている家内の小さな歓声を聞いて前を見たら コンロに乗った小さな陶製の鍋があり その中に割いた松茸が並べられていました。

めったに食べられない希少価値の食べ物をいただく作法のつもりで ゆっくり噛みしめていただきました。