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過疎四苦八苦
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アーカイブ:2018年

過疎四苦八苦

神棚のプレゼント


先日の結婚式で おやっと思う光景に出会いました。

一つは 「神社から神棚をプレゼントします 大事にしえください」という贈り物があったことです。

二つ目は 式の本番が終わり別の場所にある神殿を案内されたときのことです。

神主さんが 「今日がお二人の誕生日であり この場所がお二人の生まれ故郷です」「年に一度はお参りして大神様に奉告してください」といったお話をされたことです。

神前で挙式したからには 氏子として神様をまつることは当然のことだという方針からのお話しでした。

たしか新郎新婦は神道の信者ではないと思います。ステータスが高い挙式の会場としてこの神社を選んだだけで 入信することなど考えていなかったろうと理解していました。

神社とか教会での挙式は 誓いに重みをもたせる演出になり始めているように感じます。

というわけで 二人がこの贈り物やことばをどのように受け取るのだろうか気になりました。



 

 

試食品がある店実演販売の店は人だかり




約400メートルの道の両側に 130軒のお店が並ぶ錦市場を歩いて気づいたことがあります。

試食品が並んでいる店 実演販売が増えているお店の前は必ず人だかりがしていたのです。

焼き鳥とかタコ焼きの実演販売 一見して得体がわからないと思う佃煮の試食の店などでも人だかりしていたのです。

中にはお酒の店まで混じっていて 日本酒を試飲している人がいたのには驚きました。

数人の人が去った後の隙間に 鶏卵店がやっている「出汁巻き卵焼」の立ち食い用を買って食べました。

何の変哲もない出汁巻き卵を 厚さ約2センチくらい切って串にさし 出汁の入った紙コップに入れただけのものが200円。

自宅に持ち帰ることが出来ない観光客には このビジネススタイルが受けることは納得できました。

漬物屋さんや八百屋さんなどは そのビジネススタイルが出来ていないようで 賑わいがなく淋しそうでした。

漬物と小さなおにぎりやお茶漬けをセットして 試食品を準備したらおもしろいだろうにと思いながら帰りました。


 

 

入り口はいろいろあっていい



マンガの続きを考えています。

会合の場でマンガミュージアムへ行って来たという話をしたら 同席の管理職の方が 経営の勉強をしてもらうためにマンガを本を使っていると話されました。

マンガを読んで研究心が刺激され さらに勉強したくなって原本を手にするようになるといわれたのです。

話してくれた人は 「もしドラ」を読んでドラッカーの本を何冊も読んだと 笑いながら話しておられました。

何かを求めるとき まずは興味が湧きやすい入り口からはいって 求めるものに出会うこともひとつの方法です。

宗教の大切さに目覚めるマンガがあってもいいと思い 気にかけて探そうと思います。


 

 

京都国際マンガミュージアム



念願であった京都国際マンガミュージアムに行ってきました。

期待以上のものに出会えたことに満足しました。

設立のプロジェクトが始まった2005年に 河合隼雄先生が「文化で日本中を元気にする事業だ」と話されたそうです。

廃校になった小学校の校舎を 市民や行政が一体になってマンガミュージアムに変革させるときの話です。

ハード面での発想も素晴らしいものですが 「マンガの可能性」というソフト面の発想に強く共感しました。

現代はマンガを通して いろいろなことが拡がっているように見えます。

たとえばマネージメントに関心をもってもらおうとして 必ずしもマンガとはいえませんが 『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」の本がヒットしました。

また今年の上半期のベストセラー本の『君たちは どう生きるか』もそうでした。

健康管理とか技術習得のテキストになるようなマンガが次々と登場しています。

マンガが仕事選択をひろげたり 自己啓発を促す働きをひろげているのです。


 

 

町が変わるらしい



京都駅の近くにずいぶん広い空き地がありました。

タクシーの運転手さんの話しでは 大学の建設が予定されているそうです。

郊外に出た学校が市内に帰りはじめているのだそうです。

学生の数が減ってきていることが原因だと話してくれました。

田舎の過疎化が始まった時のように 都市の郊外でも過疎化が始まっていることを感じました。

目の前に見えている現実の裏に 見えないところに生じている現実を見ていました。


 

 

歳末の京都を歩きます



甥の結婚式に出席するため 昨日から京都に来ています。

今日の午後から 上賀茂神社で挙式した後 鴨川沿いの「鮒鶴」という料亭で披露宴が予定されています。

午前中の空き時間に ホテルの近くにある京都国際マンガミュージアムに行ってみたいと考えています。

京都という文化都市が マンガという現代の日本文化をどのように取り入れているか とても興味があります。

さらに時間があれば錦市場も見たいのです。外国人観光客が押しかけているらしいので どのような変化がおこったのか見たいのです。

いつの間にか 理由はわかりませんが名所観光の興味は薄れています。

今ごろは時代とともに何がどのように変わるのかといった 変化に興味を持つようになっています。

しっかり変化を見ておきたいと思います。


 

 

健康診断



事業所で 全職員の健康診断が一年に一回行われます。

届けられた結果によると 聴力が低下しているという指摘をいただきました。

とくに治療法はないようなので ライフスタイルに合わせた対処法をこころ掛けています。

重要そうな会話の場面なら 正対して話を聞き 必要な会合や研修会では出来るだけ前の席に座ります。

難聴が話題になるとき ふとある光景が頭に浮かびます。

ほとんど話が聞こえないはずの人が お寺にお参りされお説教を聞いておられる光景です。

聞こえないからといって居眠りされていることはありません。私が「ありがたいお話だなあ」と思うとき その方を見ると 両手を耳の後ろに広げて声を集めようとされている様子を見ることもありました。

そんな姿を見ながら 人間の声は途切れ途切れであっても 仏さまの声はしずかに届いているように思うのです。

私もそんな聴き方が出来るようになるだろうかと 難聴現象から宿題をいただいています。



 

 

排除される体験



この体験は初めてする体験で 「どうなったのだろう?」と一瞬思考の整理が出来ませんでした。

お寺に所属しておられる門徒さんの奥さんが ひと月くらい前にお亡くなりになっていたというお話しを聞きました。

故人は同じ地区の人で 数年前から施設に入居しておられ 日頃はお名前や噂を聞くことはなくなっていたお方でした。ご主人と介護などの相談をするなど深いお付きあいをしたこともあり 近々お見舞に訪問する予定になっていたのです。

初めての体験というのは 読経するという宗教行為をしないで荼毘に付すという出来事が身近で生じたことです。

もちろん親戚の皆さんにも内密にしておられ ご近所の人たちもご存じない様子ですから ご主人おひとりでお決めになり行われたことと思います。

私はいままで お亡くなりになられたら必ずお葬式が行われることを 100%疑うことはありませんでした。

というわけで今回初めて「お坊さんは無用です」と お弔いの場から排除され 考えを整理して表現することが難しい出来事になったのです。

思いを巡らせながら この出来事は宗教やお坊さんを否定することではなく 荼毘の前後の宗教行為を排除されたのだと 思いを整理することにしました。

口にしておられたという「故人には迷惑の掛け通しだったので 最期まで一人で看てやりたい」というご主人の思いの一環とも思い あるいはお寺との関わりが薄く 宗教に対する無知によるものかとも思いますが まだお考えを聞く機会がありません。

いずれにせよ私にとっては お坊さんが排除されるという初体験になりました。 



 

 

本屋さんに行きました



家内に頼まれたものを買いに ショッピングセンターに行きました。

品物を買ったあと ふと同じフロアーにある本屋さんを覗きたくなりました。2度目の入店です。

とくに買いたい本があって入ったわけではないのですが たまたま奈良で話題になっているという無人書店のニュースをその日の朝見たことが刺激になっていたのでしょう。

本の購入は いつもアマゾンでネット購入をしていますが この方法では読みたい本を購入することだけで 本を探す行為はありません。ところが書店に入ると おもしろそうな本を探すという行為から始めることになります。

そう広くない店内を10分ほど歩いて 出入り口付近にあった本に目がとまりました。

お寺のごはん」という精進料理の本でした。パラパラッとめくりながら 料理の紹介には興味はありませんでしたが その帯のコピーと本の中の数行の文字に目がとまり 手元に置きたいと思いました。

「丁寧につくったものをいただくと なぜ 清々しい気持ちになるのでしょう」「料理するのも 食べるのも そこに何の思いも込めることなく ただ漠然と 空腹を満たすために食べるのでは 食材の命を大切にしているとはいえません」というコピーでした。

私が考えているお寺のもてなしに重なる考えで 同じ思いの方がおられたことがうれしくなって購入しました。


 

 

羽織袴でノーベル賞授賞式



ノーベル賞の授賞式の報道を見ていました。本庶先生の受賞をお祝いしたいと思います。

報道を見ながら 先生が和服姿で出席されたことをうれしく思いました。国粋主義という思いで感じたことではなく 個人の意思を大切にした選択であることをうれしく思ったのです。

受賞セレモニーの舞台で ご自分の思い 家族や日本のスタッフへの感謝を和服姿で表現されたように感じうれしかったのです。

漠然と感じていることですが 世の中から個性が薄れつつあるように思います。強烈な個性があるアラブ諸国の服装や食事などの文化にも 変化が出ています。

機能とか能率中心 あるいは損得中心に合理化され画一化されると 社会の隅々で自分のライフスタイルを貫くことが窮屈になります。

本庶先生が和服姿で受賞されたことは 「自分の考えを貫きなさい」というメッセージであったと思ったのです。