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過疎四苦八苦
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アーカイブ:2018年

過疎四苦八苦

共感主義



社会主義とか民主主義 あるいは共産主義とか資本主義といった 社会全体をふんわりと覆っている暮らしの色のようなものがあります。

その色が薄れたり汚れが出たとき 革命のような出来事が生じ その都度色が変わたように思います。

世界の多くの国の現状は 民主主義で資本主義という膜で覆われていますがあちこちでほころびが出ています。協調がほころび 弱者への関心が薄れてきているのです。

このようなほころびの中に 新しい主義のようなものがぼんやりと見えている気がしています。

株式会社「ほぼ日」という企業がありますが 従来の既成観念では理解しにくい事業体です。

その企業のことを 私は「共感主義」という名前を付けて考えているのですが これからの社会にとても必要な在り方と思っています。

その原点は 鎌倉時代に「当相敬愛」の教えを人々に話された親鸞さまというお坊さんにあると思い 勉強させてもらっています。

当相敬愛の意味は 「あなたも私もおもしろく生きよう」 ということですから。

 

 

ハゼの木



いまハゼが真っ赤に色づいてきれいです。

野山が色づくとき 私が一番きれいだなあと思うのはハゼの赤と山芋の黄色です。

一目見て 「そこにハゼがある 山芋がある」とわかります。

ハゼは私にとってはやっかいな樹で 成長が早く油断するとたちまち大きな木になります。

そしてこれに触るとカブレて大変辛い思いをすることになります。人によっては 雨の日に木の下を通って滴がかかっただけでカブレた人もありました。

一昨日そのハゼが植え込みの中に自生して 背丈ぐらいに成長しているのが気になりました。剪定バサミで切り 人が触れない場所に捨てましたが 人が集まる場所には向かない樹木です。

都市では往来する車や信号に気をつけなければなりませんが 田舎で気をつけることは ハゼやウルシ スズメバチやマムシなどに変わります。


 

 

カウントダウンが始まりました



お寺にとって年間の最大イベントである報恩講が2日後に迫りました。

準備の中で 早めにしておくことは大体できているように思うのですが 間近にならないと出来ないことがたくさんあります。

お供え物とか食材の手配 あるいは掃除などは直前に準備します。当日のお天気によっては ストーブも必要になりますので灯油の手配もしなければなりませ。

お客さまをお迎えする部屋に飾るお花も必要になりますし 我が家の柚子も採っておかなければなりません。

当日の天気予報を見ながら 対応を考えることも必要です。 

その他あれこれと考えながら 家内と一緒にカウントダウンを始めました。

報恩講は 24日、25日の二日間です。

ご講師は初日が 大家西臨寺住職 荒本由未師。二日目は 安来加納美術館館長 神英雄先生です。お楽しみに。

二日間11時から精進料理を準備してお待ちしています。


 

 

なぜこんなことが?



ゴーンさんが逮捕されたという出来事に驚いています。

日産自動車をみごとに立て直された過去を知っているだけに 驚きが大きいのです。

経営の手法についての思いはありますが 「経営とはどういうことか」を多くの人々に見せた人です。

そのご本人が事業経営のウラで 報道されているようなことをしておられたという事実があるという驚きです。

経営者といえども人間だから といってしまえばそれまでですが 企業経営も自分という人間経営も同じではないかと思っていたからです。

調べによって どのような事実が判明するのでしょうか。

行われていた事実の目的とか手法が明らかになるでしょうから その事実は事業の将来を考えて行われたものなのか あるいは単に私利私欲の行為であったのか知りたいのです。


 

 

「おもしろい」を探そう



世の中には「斜陽産業」という表現があります。携わる仕事の社会的評価が低くなったときに使われる表現です。

お寺の仕事を産業あるいは職業といっては失礼なのですが 見方によっては斜陽業ということが出来るのではないかと思っています。

仏法そのものが無用になっているのではなく 世間の人々に忘れられ始めて熱気や輝きが薄らいでいることをいいたいのです。

当然ながら関係者は努力しているのですが 世の中の流れとずれてしまっているのです。

その原因がどこにあるのか どうしたらお寺が誕生したころの熱気がよみがえるのか 妙案は見つかりません。

私がその中心にいるのですが 何とかして過疎とお寺の中で「おもしろい」を見つけたいと思っています。

みんなでおもしろいことを探そうと呼びかけるのです。

今日は過疎地のお寺の報恩講という行事を主催します。


 

 

空き家の紅葉がきれい



我が家の周囲には空き家がポツポツとあります。

全ての家がそうなるわけではありませんが 家人が不在になって10年以上過ぎた頃から その家の壁に蔦が茂るようになります。

次第に拡がって いつの間にか壁いっぱいに生い茂ってくるのです。

あるいは高齢になって独居しておられる人の板塀にも蔦が茂ります。

そんな空き家の前を毎日通りながら その蔦が真っ赤に紅葉するこの季節には一抹の淋しさを強く感じます。

夕日に映える色が美しい分だけ その美しさの蔭にある無常を感じているのでしょう。




 

 

睡魔と闘いました



研修会とかお説教の場で眠くなることがあります。

会場がほどよいあたたかさであれば なおさらそれが強くなります。

昨日お寺でお説教を聞きながら睡魔に襲われました。

「そんなことがあるのでは」と思っていましたので 挑戦を退けてやろうと考えて 一番前の席に座りました。

お話しのトーンやリズムが睡魔が起こりやすいほどよさで 途中からバトルになりました。

横の席ではすでに「参りました」と居眠りを始めているお方もあって それを反発の力にして耐えようとしました。

大変失礼なことながら お話しを聞きながら別のことを考えていました。そうすれば眠ることがないと思ったからです。

でもお話しの声が耳に入り 「おや」と関心をもったら それが途切れます。そんなことを繰り返しながらどうにかお昼過ぎの40分を耐えました。

お話しの概略は聞けたのですが 楽しむことは出来ませんでした。まだまだ「聞く」という修行が足りません。


 

 

Stay Hungry



お亡くなりになったステイーブ・ジョブズさんが話して ひろまったフレーズがあります。「Stay Foolish   Stay Hungry」ということばです。

Stay Foolishの意味を受け取ることは出来やすいのですが Stay Hungryの方は少し考える必要があると思っていました。

ストレートに受け取ったら「つねに求めなさい」という解釈になりますが その解釈でいいのだろうかと引っ掛かっていました。

そうしていたら 昨日「全ては未完成です」ということばが浮かびました。「求めなさい」という自分を叱咤するような意味ではなく 「未完成であることを自覚なさい」という教えなのだと受け止めました。

隈研吾建築設計事務所から知人に送られてきた事務所通信を見ました。

その中に「不変のものをつくるのではなく 変化にあわせることを考えている」という考えが書かれていました。この考えが 現場で実行するStay Hungryではないかと気づいたのです。

世の中に完全なものなんてないのです。つねにどこかに欠点があるし 欠点が生まれるのです。それを自覚して生きなさいというメッセージと思っています。




 

 

満年齢



お亡くなりになった方の年齢を表現するとき 享年とか行年という表現が使われることがあります。

今ではめったに聞かない表現に「数え年」といういい方がありますが その数え方と似ています。

人間世界に誕生する身となった誕生前の10ヵ月も加えるという考え方が仏教の考え方であると聞いたことがありますので その数え方を享年とか行年というのでしょう。

簡単にいうと 満年齢に1歳加えることです。

40年ほど前にお寺を預かるようになって 門信徒さんの法名、死亡年月日と年齢を記録する「過去帳」も預かりました。

その年齢表現を 今までやっていた享年、行年でなく満年齢にすることにしました。世間の表示方法と合わせたのです。

仏教界の思想を放棄して 世間の通念に取り込まれることを容認したのです。

すこし抵抗がありましたが 日常生活上の特異性をもって仏教思想にふれる時代ではなくなっていると思ったからです。

それ以後 満年齢表示を続けていますが 誕生日が数日後に迫った方の年齢を書くとき 切り上げて表示してもいいかと思うことがなかったわけではありません。

以前「あとひと月で 満100歳でした」と聞かされたことがありました。ご遺族の気持ちを斟酌して 「100歳としてもいいか」と思ったこともありましたが 満年齢で通しました。

そのときこそ 人生の厳しさを感じるときであると実感させられていたのです。

  

 

欠点が見えてくる



自分の欠点を自覚することが増えています。

高齢になるとともに 自我を張る元気が薄れるのかも知れません。
いろいろな出来事に直面するたびに欠点が見えてくるようになっています。

最近自覚した欠点に 自分から積極的に会話の場をつくることや 会話を苦手にしていることがあります。

そうなる原因は 謙虚さに欠けているからと思っています。

会話の場で 会話相手の発言趣旨について深く考えず ことばだけで理解をしたつもりになりますから会話のおもしろさを感じないのでしょう。

自分の考え方に対しての反対や批判を受け入れるということも苦手なので 会話を仕掛けることもしないのです。

発言する人のキャリアや生活環境は違っていて その上での発言ですから ことばの違いは当然ありますが その中にある人生観に気づくことが出来ると会話は楽しくなるはずです。

謙虚になるために 今さらの感はありますがしっかりお話を聞こうと思います。