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過疎四苦八苦
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アーカイブ:2018年

過疎四苦八苦

気づきを蓄積する



生きている時間が長くなると、その分だけ気づきも増えます。

私が気づきといっているのは、外にある状況から、自分の生き方や人間の姿の真実を学んでいる意識の状態です。

特別に意識していなくても、いろいろな出会いで気づかせてくれるものです。気づきの連鎖といってもいいと思いますが、蓄積した過去の気づきによって新しい気づきが生まれて来ます。

たとえ気づいたものが些細なことであっても、新しい自分や人生に気づくという歓びは格別です。全身に歓びが満ちるような思いがするのです。

人は気持ちの奥底で、そのような歓びを求めて生きているのではないかと思います。

外見の社会生活では、富とか権力や名誉、あるいは目標の達成や安定を求めているように見えますが、その過程で何度も気づきの歓びを体験しているはずです。

その体験が蓄積されるようになると、歓びが増え、人生は豊かになっていくものです。

人生には、富の蓄積を目標にする人生もあり気づきの蓄積を願う人生などいろいろありますが、自分は何を願っているのか自問してみることも大切ではないかと思います。


 

 

証人喚問


公文書改ざんというとんでもない出来事が行われ、その真相究明が行われています。27日にはついにキーパーソンの一人の証人喚問が行われることに決定しました。

その決定が為されてから27日までの間、喚問された人はどのような心境でおられるのだろうかと推察したくなります。

自分の発言のつじつま合わせを考えておられるのだろうか、あるいは発言してしまったことを後悔して善後策を考えておられるのか。

それとも刑事訴追を受けることも覚悟して、すべてを話そうと覚悟を決められたのだろうか。

当然ながら家族とか友人の心配や助言、あるいは発言次第で利害関係が生じる人などの出入りや脅しもあるのではないだろうか。

いずれにせよ地獄にあるという「針のむしろ」に座っているような苦しい時間を過ごしておられると思ってみるのです。

何ごとも成るようになるといって、グッスリ眠っておられるとしたらそれでいいのですが、そうはできないだろうと思うのです。

お寺の本堂にある地獄の絵の解説をしながら、「自分の行動の責任は自分が取らなければなりません」ということばに熱がこもってしまいました。

勇気を出して事実を証言した文科省の高官が退任後も尾行調査されていたという現実を知ると、事実を証言することがいかに大変なことなのか。

あらためて政界と官界の闇の深さを感じているのです。


 

 

普段通りのプレー


選抜高校野球大会が始まりました。数日間、ひたむきなプレーで数々のドラマが生まれることでしょう。

試合後のインタビューで、「普段通りのプレーをしてくれました」という監督さんの談話を聞きました。

「普段通りのプレー」という意味は、緊張することなく練習で繰り返したことを実行出来たという意味に解釈しています。

観衆や応援団がいない地方のグランドでプレーしていた選手たちが、いきなり数十倍もの観衆の中でプレーをするのですが、一体どのようにしたら普段通りのプレーが出来るのだろうかと不思議に思うのです。

試合前の選手たちにどのような声かけをしたらそうなるのかも推測してみました。選手や監督さんが、「楽しんでこい」とか「楽しもう」と伝えるという話を聞いたことがありますが、そんなひとことで高ぶる気持ちは落ち着かないと思うからです。

反復練習によって身体に覚え込ませた動作をいつもと同じように再現するためには、いつもと同じような精神状態の反復練習も不可欠だと思います。集中力の反復練習が不可欠になります。

普段通りとは、練習中の集中度までも普段通りであったということです。


 

 

ただいま婚活中


ただいま婚活中という男性とお話しする機会がありました。

お話を聞いていると、とても明るく健全な人生観をもっているように感じたのですが、なぜか結婚できていのです。

今までお付きあいした女性は何人もおられたそうですが、それでも結婚できなかったというのです。

既婚の男女が何人もおられるところで、「どうしたら結婚できるのでしょうか」と真剣な質問を出されて盛り上がりました。

いろいろなアドバイスや意見が出ているうちに気づいたことですが、今までつきあってきた人のどなたにも、「結婚しよう」と話したことは一度もなかったそうなのです。

「どの人に対してもやさしくお付き合いをしながら、なぜプロポーズしなかったのか」という話になり、先輩方のアドバイスが語られました。

「直観」とか「勢い」で決めなさいというという意見。「一人を決めることは残りの人を捨てること」といった、決断が必要という意見もありました。

その場の結論は結婚するためには決断が不可欠ということでしたが、誰かのちょっとした後押しが必要かも知れません。

いずれにせよ、未来は自分でつくるという強い気持ちをもって欲しいと思いました。


 

 

自分に勝つ


「克己心」ということばは何度も聞いていました。

夏休みになるとお寺の本堂に近所の小学生の子供たちを集め、一泊とか二泊の研修会のような行事をしていたころのことです。

あるお寺の住職さんは、たしか中学校の校長先生をしておられたと聞いていましたが、その研修会が始まるときのあいさつは毎年「克己心」でした。自分に勝ちなさいという意味のお話をしておられたのです。

ふとそのことばを思い出して、あらためて「自分に勝つ」ということの難しさを思ったのです。

それは現在までの自分を捨てることでもあるからです。捨てなければ新しい自分になることが出来ません。また進歩もないわけです。

スポーツ選手が自己の記録に挑戦するにしても、一旦今までのやり方を捨てて出直さなければ進化がないのです。

そんなふうに考えてみると、自分の習慣を変えることはもちろんですが、克己心は今の自分を捨てるということばでもあります。

それが出来ていない自分が、そんな難しいことを小学生や中学生に話していたかと気づいて恥ずかしく思っています。

 

 

新しい職業が誕生しています


プロゲーマーとかユーチューバ-という職業があることを知りました。また千羽鶴を折る内職もあるようです。

ゲームの世界チャンピオンになるとかユーチューブの視聴回数をダントツにする人や作品が宣伝媒体になるのだそうです。

あるいはお葬式のとき、最期のお別れという儀式が行われることがあります。遺族が一人ずつ棺の中にお花を入れる儀式ですが、最後に千羽鶴がリボンのように吊された花束を入れて蓋を閉じるのです。その千羽鶴を折ることが内職として出現しているようです。

世の中が成熟してきたというのでしょうか、それとも支え合って生きることへの緊張感が薄れたのでしょうか。いずれであるにしても、新しい仕事が次々に登場しているようです。

法を犯さない仕事であれば、職業に貴賎の選択は自由ですが、そんな職業への就労者が増えることを危惧するのです。

労働人口は減少しています。新しい仕事への就労者が増えることによって、生活を便利にする仕事、何かを生産する仕事、あるいは人格を高める仕事とか助け合う仕事のような職業への就労者が減少することが心配なのです。

おもしろさがなく地味であるかも知れませんが、現在の仕事の中にあるおもしろさにも気づいて欲しいと思うのです。

 

 

イーゼル


イーゼルという品物のことを初めて知りました。絵描きさんがカンバスを立てる三脚のことです。

お寺を訪ねてくださるお方に読んでいただこうと、今日のことばを準備するようにしています。

そしてそのことばに気づいていただく方法をあれこれ考えているうちに思いついた道具です。

カタログを見ていると、食堂前の道路に出す「本日のランチ」という使い方の写真が紹介されていました。

「おやおや同じことはとっくに行われているのだ」と、自分の努力不足に気づかされました。

食堂と同じ発想ですが、おすすめしたいものをお伝えしたいと思っているのです。

そしてもう一つ目的があります。それは市中に溶け込むお寺のイメージをつくりです。

ことばには真実を伝えることばを書きますが、生活現場で出会えることばを意識して書いています。


 

 

忖度


マスコミ媒体から忖度ということばが消えていましたが、ここ数日また顔をのぞかせるようになっています。

私は特別に意識することもなく、日常生活ではたびたび忖度をしています。

一番多いのが門徒さんや知り合いのお方がお亡くなりになったときです。

お葬式とかお悔やみの場では、かならずご遺族の気持ちを忖度して振舞います。悲しみに共感し、ご遺族の気持ちを少しでも和らげたいと思うからです。

故人を称えることがそうなると思えばそうしますが、多くの場合はご遺族が知られないような思い出深い出来事をお話しするようにしています。

一方で忖度については、お集まりされる方々のお気持ちを忖度することもあります。

人の一生にはいろいろな出来事があり、周囲の人の受け止め方もいろいろですから共感のことばも慎重に選ぶように心がけています。

ときによっては、忖度が両刃の剣になることもあるのです。

 

 

お彼岸法座


今日はお寺でお彼岸法座を営みます。お参りされた善男善女の接待用に「おはぎ」も準備しています。

仏法に親しんでお参りくださるお方の呼び方には善男善女という呼び方があります。「ぜんなんぜんにょ」と読みますが、このことばがいつごろから使われるようになったのかわかりません。

この呼び方には、お参りする人々のおだやかな顔つきや落ち着いた物腰が感じられ大好きなことばでした。

でも近年はあまり聞くことがなくなっています。社会全体が実質主義になって、サラリーマンとかキャリアウーマン、あるいは高齢者とか専業主婦といった呼び方が主流になっています。

生活現場の中で、共通した趣味とか生き方を話題にすることが薄れてしまい、茶人とかご隠居さん、そして善男善女といった呼び名が消えかけているのです。

ほっこり、のんびりしたお彼岸法座の風景を続けたいと、今年も法座を営みます。



 

 

思いは外に出る


無印良品の商品やお店に興味があります。商品全体にスマートさがあり、暮らしが楽しくなるような夢をもたせてくれます。

お店の全体を一軒の家庭のように考えて、空間デザインをしてあるところなどにも興味を覚えているのです。

カーデーラー、衣料品店、スポーツ用品店などというように商品別や目的別にお店は出来ていますが、このお店はライフスタイルを販売している珍しいお店です。

そのライフスタイルの中に流れているものは、「無駄を減らそう」とか「暮らしを楽しもう」という提案です。

このお店には、自宅と同じように、コーヒーやおやつを食べてくつろげるスペースがあります。居間の椅子に座った状態で、この店が何を考えているかを推察する楽しさもあります。

経営者とか店長の思いは、かならず形になって外に出ていますから、いろいろなお店を覗いてそれを見つけることは楽しいものです。