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過疎四苦八苦
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アーカイブ:2018年

過疎四苦八苦

戦争を知らない追憶



隣町の97歳のご婦人がお亡くなりになりました。

ご主人は昭和20年8月に戦死され 1歳になる子どもさんと二人で暮らされたお方です。その息子さんも8年前に亡くなられ それ以後は介護施設での暮らしでした。

お知らせを聞いて その方の一生を懸命に想像しようと思いました。

結婚当時の戦局への不安。
出征が決まったときの胸中と夫婦の会話。
戦地に赴かれた留守中の生活や思い。
戦死の通知をどのように受け取られたのだろうか。
どこで泣きどなたと話されたのだろうか。
その後の決意や周囲の助け合い。 

そのお方の人生の節目を考えながらたぐろうとしたのです。

一人っ子の成長過程で 「こんなとき父親がいてくれたら」という場面だってあったと思います。

平穏な時代に暮らしている私には 死と直面していた生活や 戦後の混乱した社会で暮らされたお姿が想像できませんでした。

そんな時代を生きてこられたお方の通夜を今夜お勤めします。如来はつねに一緒にいてくださったことをお話しします。


 

 

紅葉の色



紅葉が始まっています。境内のモミジがすっかり赤くなってきました。

紅葉の色模様は毎年違いますが 比較できませんので 不確かな記憶で「今年はみごとだね」といって観賞しています。

モミジやクヌギなどの葉の中にある色素は 緑と黄色だと聞いています。

その黄色の色素に太陽がつよく当たると赤くなるのだと聞きましたので 今年はいいタイミングで日照があったのかなあと推測しました。

やがて落ち葉となって庭や玄関先に集まります。風が強かった日のあとでは本堂の縁側にも飛んできます。

大量でしかも毎日のことなので 「裏を見せ表も見せて散る紅葉」を観賞するゆとりは生まれません。

落ち葉の季節はけっこう大変です。


 

 

池の鯉



昨日のお寺の池には鯉がいました。きれいな水の中に まるまると太った大きな鯉が6匹泳いでいました。

住職さんの説明を聞いたお坊さんが そばに立って話を聞かせてくださいました。

池をつくったときには 鯉を19匹入れたそうですが 次第に減って 今では6匹になったらしいのです。

残っている鯉は美しくない鯉ばかりで 色がきれいな鯉から死んでいったという話でした。そういわれてあらためて6匹の鯉を見たら 白や黄色 それと薄い紅色と白のまだらの鯉でした。

話を聞きながら 池の広さに合わせて数を減らしたのではないかと想像していました。鯉のストレスとかいじめなんて聞いたことはありませんが あってもおかしくはありません。

また美しい鯉は 人工的に生まれたものなので生命力が薄れるのではないかとも想像しました。

小さな池の鯉の世界を想像してひとときを過ごしました。


 

 

過疎地の休日



今朝8時からお寺の行事ために 地区の門徒さんにお願いして大掃除をしました。

途中の畑には数人の男性が草刈り機をもって 地域で育てている梅林の草刈りのために集まっておられました。

お寺の作業開始前に 「このあと10時から 地区の防災訓練がありますので時間が来たら帰らせていただきます」といわれました。

お隣の町では文化祭が賑やかに行われており 行事が重なっていました。

過疎になり 管理する面積が増え 一方で作業に参加出来る人が減っています。

この時期の過疎地の休日は 集まることが多くて働き盛りの人は大忙しです。


 

 

出発点が違っていた




お寺の様子を知っていただきたいと思って 「お寺の便り」を届けています。

その原稿を書きながらハッと気づいたことがあります。

「お寺の行事でお蕎麦の接待をしました」という原稿を書きながら この表現はお寺の人が書いた原稿になっていて 読んでいただけないと気づいたのです。

「おそばの接待があるから 次回にはぜひお参りして下さい」という 商店街の呼び込みのチラシと同じでした。

「オャ?いいことがあるんだ」と興味を持って読んでいただくには 読み手側の思いを考えて表現することが必要でした。 

「お寺にお参りしたら10割蕎麦の接待がありました 美味!」となるのです。

過去の表現を思い出すと ほぼ全てがお寺の中から書いていました。読む人はお寺の外におられて 「お寺の便り」を待っておられるわけではありません。

関心をもっていただくためには 読者がどこで読んでおられるかという場所を考えてかかなければなりませんでした。猛反省です。

といっても簡単には変えられませんが 意識して編集を始めています。「乞うご期待」といっても 誰も期待などしておられないのでしたね。


 

 

気象の変化に気づくとき



お寺の行事には 毎年同じ日に行われる行事があります。

お彼岸とかお釈迦様のお誕生日といった行事ですが それとは別に地域内のお寺が話し合って決めている行事の日があります。

浄土真宗のお寺には「報恩講」という お寺としては年間最大の行事があります。この行事は 親鸞さまの法事なので浄土真宗全てのお寺で営みます。

その日がやって来ると お参りしたお坊さんたちは例年の天候のことを話題にして そこで長期の気象変化に気づくというわけです。

10年以前の11月8日ころには みぞれ混じりの雨が降ることもありました。20年も前には大雪になっていることもありました。

昨日はそのお寺の階段を上りながら かっての気象を思い出し 温暖化を実感していました。

毎年同じように 「おとき」と呼ばれている精進料理をいただくのですが その中に入れてある野菜調達の苦労話も気象の変化を気づかせてくれます。

今年の猛暑 それに加えて豪雨による農作物の被害で 野菜の入手が大変だという話も聞きます。お参り先で 気象の変化と異常天候を実感しています。


 

 

地方の味



石見地方を走る「レストランバス」の話を聞きました。食材を提供した会社の従業員さんから聞いた話です。

レストランバスというバスは 車内での食事を必ず一回含む観光地巡りのバスの名前で この地方では確か2年くらい前から始まったビジネスです。

石見地方の半日観光コースを設け 途中で地元の食材を使った本格料理をいただくという企画です。

その料理の指導者か監修者は 東京で開業されている一流シェフで 実際に料理をする人は地元では名前の知れた調理人だとという話でした。

お話しをされた方の会社は 本業はかまぼこ屋さんですが 何かの行きがかりで漬け物を調達することになったようです。

急遽支度をされたようですが 今までやったことがない仕事で 苦労が多く大変だったという話でした。

お話しを聞きながら 上手に漬け物を漬けられる民家の人を探して そのお漬け物を提供したらよかったのではと思いました。

周囲には美味しい漬け物を漬けられる人が何人もおられます。永年工夫して「我が家の味」にした漬け物です。梅干し、らっきょう、大根にキュウリ、ウリなどを 床漬けや粕漬けなどにして美味しく漬けておられるのです。

そのような漬け物を集め お客さんの好みに合わせた味と盛りつけを工夫して食べていただくことで 地方を走るレストランバスの特徴が出せるのではないかと思ったのです。 


 

 

老後の都会暮らし




「私は昭和35年に故郷を出ました」というお方が 突然和歌山からお見えになりました。年齢から計算すると その方が15歳の時のことになります。

「なぜ和歌山に行かれたのですか」ときっかけを尋ねたら 自分の家の近くから和歌山に出て左官業をしておられる人に誘われ 弟子入りしたのだといわれました。

戦後15年経ってはいましたが 当時は子どもがたくさんいました。そして田舎には仕事が少なかったのです。

その後の経緯はわかりませんが 今はタクシー会社で運転手として働いておられるようで そろそろ辞めるつもりだと話されました。

このたび故郷に帰って来られた目的はお墓参りらしく 両親のお墓を管理している弟さんのところに来ておられたようでした。

お子様もなくアパートでの一人暮らしで やがて独居老人になる将来が不安だと心配しながら 故郷を懐かしんでおられました。

退職後は田舎で過ごしたいという兄弟話もあったらしく 「田舎は人情味があるから」とつぶやかれ声を聞いて 都会の暮らしを想像していました。
 

 

今日 今年最初の報恩講を勤めます



今日、お預かりしているお寺の報恩講をお勤めいたします。2ヵ寺お預かりしているのですが お預かりしているお寺の最初の行事です。

昨日8時から 大掃除や法要と接待の準備に20名の男女が参加してくださいました。

毎年のことですが 「自分たちのお寺は自分たちで維持する」という気構えがあって 準備のための私の出番はありません。

これからのお寺の維持管理の見本になるような動きぶりに ただただ感謝するだけです。

こんなに支えてくださるみなさんの心の底にある願いは いつの日か「浄土への道」を歩かせていただこうという願いだろうと思います。

あるいは 次の時代にも お寺の役目を残して欲しいという期待でもあると思います。

そのような願いに応えるために 現実を見つめながらしっかり留守番役像を創造したいと思います。

今日のご導師は 邑南町高善寺の武田正文師です。「おとき」は11時から差し上げます どうぞお参りください。


 

 

ロウソクからLEDへ


お寺の変化を わかりやすく伝えるキャッチコピーを考えていました。

そうしていたら 「ロウソクからLED電球へ」というコピーの案が頭に浮かびました。

今までのお寺の灯りは 「お灯明」とか「ロウソク」といった炎のイメージがあります。ロウソクでないと仏教が伝わらないのではありません。その灯りがともされていた時代の伝統を守っているのです。

灯りが変えられない原因は 町の灯りと同じになってしまうと お寺の雰囲気が変わるという抵抗があるのではないかと考えています。

あるいはお寺の中にある道具は ロウソクとか灯油を使うように出来ていますので 道具に引っ張られて発想が出ないこともあります。

仏具を製造する業者さんが 「モダン仏具」と称してロウソクや灯油を使わない仏具を紹介していますが 控えめなPRで本気ではありません。

昔 蓮如というお坊さんが ご本尊は「仏像より絵像 絵像より名号」とおっしゃって 「南無阿弥陀仏」のご本尊をおすすめされたことばがあります。。驚くような変化のお勧めです。

いつの間にかその改革のエネルギーが消えて ロウソクの形をした電灯くらいな小さな変化で収まっているのです。

私はLED電球を使って 堂内を照らす新しい仏具をひそかに待っています。