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過疎四苦八苦
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アーカイブ:2018年

過疎四苦八苦

こんなお方がおられました


先日 神英雄さんとおっしゃる安来市にある加納美術館の館長さんがお見えになりました。

用件は 今年の 夏童画家であった 佐々木恵末さんの企画展を開催したいので  所蔵している童画をお借りしたいという申し出でした。

3点の絵をご覧いただき そのうちの2点を展示していただくことになりました。

この企画展を開催される神さんのお話しをお聞ききしながら 神さんのお人柄 仕事や地域に対する思いの深さに共鳴するところが多く よろこんで協力させていただくことにしました。

ときどき新聞紙上でお名前を拝見したことはあったのですが 私たちの身近にこのようなお方がおられることを知って うれしくなりました。

お話しをお聞きしながらとくに深く感じたことは 地域に対する思いでした。神さんのお仕事は 地域に埋もれ気づかないで消えてしまいかねない人の功績を掘り起こす仕事と感じました。私も同じことを考えていましたから お気持ちがよくわかりました。

中央で華々しく活躍される人はもちろんすばらしいのですが 地方で自分の暮らしの中で 当たり前のように真実を求めて生きられたお方はたくさんおられるのです。

あえて自慢なさることもないので 周囲の評価も少ないものですが そのような人々を探し出して小さな光を当てるお仕事をされておられたのです。

またご縁をつくり多くの人にお話をお聞きしたいと思っています。

 

 

通行止め


国道わきの山が崩れ通行止めになっています。

その道は 渓谷のように山間を流れる江の川に沿ってつくられた道で 上流の街と下流の街をつなぐ 私たちにとってはとても大切な道です。

降雨によって地盤が緩んでいたのか 先日の雨降りの日に山が崩れ 土砂が道路を塞ぎました。利用しておられた人々の生活は大変混乱し 困っておられます。

毎日の通勤通学をしていた人 通院とかデイサービスへの通所をされる人 ヘルパーさんの往来など 生活必需サービスのための移動所用時間が大幅に増えました。

支流に沿ってのびた山間の迂回路は狭く危険です。 一方で広い迂回路までは 所要時間が大変のびてしばらくは不自由が続きます。

そしてただいまの不自由さは 道路整備がされていなかった時代の不自由さも同じではなかったかと考えたり あるいは不自由でなかった暮らし方や地域の姿があったことも想像しています。

​私たちはつねに便利でありたいと思い それが地域の発展になると思ってきました。莫大な経費を掛け道路網を整備して 隣の町や多くの拠点都市に繋がろうとしました。

そして便利になって 不便であったものは廃れ始めていたのです。いま私たちは 一本の動脈が切れたときの混乱を余儀なくされています。



 

 

記念に残すもの


鳴り物入りでプロ野球の世界に入った新人選手が初ホームランを打ちました。

アマチュア時代には華々しい活躍をして 相当な実力のある選手なので ホームランを打つことは当たり前のように思われていた選手です。

そうであっても その選手にとっては初ホームランはうれしことだったと思います。ホームランになったボールはご自身の記念品にされるという映像が映されていました。

その様子を見た後で ホームランを打ったバットのほうが記念になるのではないかと思ってみたのですが そうされた選手のことを聞いた記憶はありません。

オリンピックでメダルを取ったときのユニホームとかスケートシューズとか それはそれで記念品にはなるのですが やはりどこか違うのです。

その品物が「その時のただひとつのもの」だから記念になるのです。その時の道具などは 活躍を支えていた愛用品として記念品になりますが 人生の一瞬の出来事という意味で別格なものと理解しました。 
 

 

本当に大切なものは変わらない


人間の暮らしは 見えるものばかりで営まれているのではありません。喜怒哀楽の感情とか他者を思う心など 見えないけれども大切なものがたくさんあります。

そのような見えないものは おりに触れ見えるものに姿を変えて目の前に現れています。

機会あるごとにどちらが大切なのだろうと考えながら やはり見えないものが大切ではないかと思っているのです。

先日 自分の死期を自覚した男性が まだお元気なうちに丹精を込めて育てておられた盆栽を すべて親しい人に譲られました。 

盆栽という形あるものを人に上げられたのですが 形あるものはいつかはその形がなくなるときがやって来ます。

一方でそのお方は 仏法を大切に思う習慣も家族に残しておられます。自分自身が親から引き継いだ 仏具磨きや報恩講といった仏法を大切にする家風も伝えられたのです。

そのような仏法にふれる様式や形も やがては変わるでしょうが 仏法そのものは変わりません。 

そのことを忘れないようにしたいと思っているのです。

 

 

無印良品


昨日コピー機の修理に来てくださったお方が 玄関に置いている「今日のことば」を読んで 「おもしろいことばですね」と話しかけてくださいました。

「読んでくださいましたか」といってお礼をいいました。

反応が少ないので あまり目に留まらないのかなあと思っていたのですが 読んでいただいていることが分かってうれしく思いました。

そのお方の目に留まったことばは 「私は善人印の粗悪品だが 如来さまには無印良品」というものでした。

自分もおもしろいと思ったものでしたので 「私は無印良品のファンなのですよ」と話しましたら 「うちの奥さんも大ファンです」といって応えてくださいました。

無印良品というブランドは 商品群のブランドですが 阿弥陀如来様がつけられた人間のブランドに思えたのです。


 

 

世の中は広い


名前は聞いた覚えはあるが 何をしているかを知らないグループのメンバーの一人が事件を起こし 連日のようにテレビニュースで報道されています。

事件のことが報道され始めてから結構時間がたっているのですが いまだにどのような活躍をしていたグループか思いつきません。

もうそろそろ終わりにしてもっと別なニュースを報道してもらいたいとまで思い始めました。

聞こえてくるニュースを耳にしながら これほど繰り返されるのは 世の中にはこのニュースに関心を持っておられる人たちが多いということだと気づかされているのです。

振り返って 私が関心を持っている宗教のことについての報道はめったにというかほとんど行われません。

報道するネタもないし ネタがあって報道が繰り返されたとしても 「またか」と思われたり「もういいよ」という気持ちになられるのだろうと思うのです。

世の中にはいろいろな人がおられ それぞれ興味があることは違いますが ひかれるような篤信者のライフスタイルにも興味をもたれる人はあると思うのです。


 

 

転職


お参り先のご主人は 地域の要所要所にあるATMに現金を補充する仕事をしておられました。

このたびお参りしたとき 「連休中はお忙しかったですか」とおたずねしたら 「あの仕事は辞めました」とおっしゃいました。約15年勤めた現金運搬と補充の仕事から トマト栽培の仕事に替わられたというのです。

今までに転職の気配もありませんでしたし 新しい仕事への関連も話題になかったので驚きました。

「お替わりになっていかがですか?」と 様子をお尋ねしたら 「おもしろいです」と満足そうにいわれました。

「生きもののお世話は息が抜けないから大変でしょう」と話しかけたら 「油断が出来ずしんどいこともありますが 今までの仕事より楽しいです」と笑顔になられました。

多額のお金を扱う仕事には 厳しい決まりがあってもいのちと向き合うような愛情は無用です。トマト栽培の仕事にも決まりはあるでしょうが 今までのような厳格な規則や緊張感はなくなったと思います。

何よりも いのちの営みを身近に感じることが出来ることが楽しいといわれたのです。 

 

 

同じお話し


連休が終わります。この休暇を利用して 法事やお墓参りをされたお方が何人もおられました。

お参りさせていただくときは 読経の後少しだけ仏教についてお話をします。

今までの連休中もそうだったと思うのですが 今年も同じ内容のお話しを毎日話させていただきました。

小さな子どもさんがおられるお宅でも 大人ばかりお参りのお宅でも同じお話をさせていただいたのです。子どもさんがおられることを想定していましたので 子どもさんにも伝わるようなお話を選んで話しています。

繰り返し繰り返し話すうちに 間合いとか抑揚などにも工夫が出来るようになって 興味深そうに聞いてくださるお方も増えたように感じました。

お話しを繰り返しながら 仏教は理解するものではなく 感じるものではないかと思いました。
 

 

 

こいのぼり


今日はこどもの日です。早朝から市内の中心地まで出かける用事がありました。

きもちがいいお天気で さわやかな風も吹いて きもちがいい朝でした。車窓を開けて走りながら気づいたことは こいのぼりが泳いでいる家が一軒しかなかったことです。

見落としがあったのだろうかと思い 帰り道も見ていましたが やはり一軒でした。

子どもが減ったことが原因ですが 端午の節句の祝い方も変わっているようです。

何軒かの家で 武者飾りを見かけました。また柏餅も見かけました。

室内に武者人形を飾ることはしても 屋外にこいのぼりを泳がせることが減っていると感じたのです。

ひな飾りが武者飾りに ひなあられが柏餅に変わり 大空を勢いよく泳ぐ力強いこいのぼりが静かに消えています。

この現象は少子化ばかりでなく 街並みの変化や屋内遊びが定着したことに原因があるように思えてきているのです。
 

 

小鳥の救命


昨日の朝リビングのガラスを拭いていた家内が 「小鳥がガラス窓に当たって逃げたよ!」と叫びました。

見ると窓際に置いたベンチにきれいな色をした小鳥が仰向けになって落ちていました。

「そこに落ちているよ」といったら 「今当たった小鳥は ホラ あそこにいるよ」といって庭木にいる小鳥を教えてくれたのです。

2羽の小鳥がいたようで その一羽が脳しんとうを起こして落ちていたのです。

すると庭木にいた一羽が 落ちた小鳥のそばにやって来て くちばしで顔のあたりをつついたのです。驚いたことに 落ちていた小鳥が起き上がったのです。

でも飛ぶことは出来ず もうろうとしている様子で動きませんでした。元気な一羽が 「ほら元気を出せよ」とでもいうように 2度3度 頭を使って身体を押すのです。

そのたびに意識が鮮明になるようで 少しずつ動きだし ついには庭木まで飛びました。

二人とも 小鳥が必死でたすけようとしている様子を見ながら その場を動くことが出来ませんでした。 

2羽の小鳥が飛び立ったあとで 夫婦だろうか それとも兄弟なのだろうかと話ながら 感動的な短いドラマを観たような余韻に浸りました。