HOME
»
過疎四苦八苦
»
アーカイブ:2019年
»
1月

過疎四苦八苦

ピーナツのこと



私の好物のひとつにピーナツがあります。

昨年末に千葉からのお客さんが 殻のまま炒った本場のピーナツをお土産にといってくださいました。

一日5個と決めて食べていましたが なくなるころあいを見計らったように 数日前に「長野のお土産です」といってピーナツせんべいをいただきました。

カロリーが高い食べ物なので食べ過ぎには気をつけるようにして 少しずついただいているわけです。

ピーナツは食べ始めると なぜか止められなくなるやっかいな食べ物です。

「もう少し」という誘惑を感じながら 「この一粒でおしまい!」と軽く決意をして切り上げるのですが 子供じみた葛藤をしている自分をおもしろいと思っています。



 

 

マインドセット



いつの間にか耳慣れないことばが増えているように感じます。

そのひとつですが先日「マインドセット」ということばを耳にしました。

ビジネスの世界に身を置いて業績向上に関わっているような人なら日常的に使っていることばではないかと思いますが お寺暮らしでは使うことはないことばです。

その意味は 組織の全員が同じ意識を持つという意味でしょうが 個人で仕事をしている人にとっても少しわかりにくいのではないでしょうか。

個人の場合 しいていえば「腹をくくる」というほどの意味と理解してもいいと思います。

せっかく耳に飛び込んできたマインドセットということばですから 「向き合ってみなさいよ」というメッセージとして受け取ってみました。

そして気づいたことは 「田舎はこんなものだ」という現状への甘え心や 「お寺の改革は難しい」といったネガティブな心にマインドセットされている自分に気づきました。

ことばを理解することは出来たとしても どのようなマインドセットをするかはまだ見えません。 


 

 

追憶で気づいたこと



1940年生まれの人がお亡くなりになりました。

その方の人生をたずねようとして 20歳代はどんな時代であったろうかと1960年代の関西地方のことを知りたくなりました。

駆け足でネット画面を覗き 頭のなかを回転させました。私の年齢にちかいので 自分のことを思い出しながら振り返ってみていました。

私にとっては京都での学生生活と 大阪でサラリーマンになった時代でした。

今思えばものすごいスピードで発展する世の中の真ん中にいた時代でした。その中での暮らし方を いまなら客観的に見ることが出来ます。

都会には大勢の人たちが 仕事を求めて集まっていました。その中には志をもった人もそうでない人もおられたと思います。

その人たちのほんの一部の人のその後の人生を垣間見て思うことは 真面目さと正直さを掛け合わせた 真摯さが大切であったと感じます。

故郷を出た多くの人たちには それがあったように思います。


 

 

行動を継続するエネルギー



何かの仕事をやるとして それをやり通すためには気力とか体力あるいは知力が必要です。

気力を維持するためには しっかりした目標が大切になります。

体力や知力を維持するためには食事とか睡眠で 体調管理をしなければなりませんん。

それだけで十分かというと 自分が取り組んでいる仕事そのものを価値あるものと信じることがなければ継続は困難です。

昔のことで恐縮ですが ステイーブ・マックイン主演の「大脱走」という映画を観ました。

主人公が 捕虜収容所から脱走するために 失敗を繰り返しながらも最期には脱走に成功して バイクで疾走するシーンで終わるストーリーでした。

脱走であれなんであれ 自分の計画の価値を信じることが大切だと語りかけていた映画でした。

あらためて 宗教が必要な人に宗教を届けるという事業の価値を信じて行動を継続します。


 

 

それは待ち遠しい行事ですか?



数日前のことです。「君は 今やろうとしている行事を待ち遠しいと思っているか」と自問して見ました。

そしてその答えは 「このたびは待ち遠しい行事だ」という答えでした。

今までならいろんなことを 「いつものように」習慣に従っている行う場合が多く 待ち遠しいと思うような準備をすることが少なかったように思います。

毎回の行事ごとに 「どのような反応があるだろうか」とワクワクしたり はたしてよろこんでもらえるか」と不安をもちながら迎えることは少なかったのです。

「継続は力なり」という格言もありますので これといった期待感などなくても 通常通りの行事をすることが大切だという考えもあります。

そうではありますが 主催者の自分自身がわくわくするような行事でなければ 参加者の楽しみにはならないと気づいたのです。

昨日と今日のお寺の行事には 小さなわくわく感があります。「お寺ごはん」の接待が わくわくさせてくれます。 「お寺の百均」の新商品の反応も楽しみです。

あるいは行事を午前中に変更し タイムスケジュールを変えた反応も気になります。

そんなわけで今年最初の行事は 準備が大変でしたが 私や家内が待ち遠しい行事になっています。


 

 

「心に汗をかく」



かなり前になりますが 矢沢永吉さんが書かれた『成り上がり』という本を読みました。

CDを買って 矢沢さんの歌を聞いていたころのことです。

昨日たまたまカーラジオで 女性の漫談師がその本の書評をしておられました。

その中で「心に汗をかく」ということばに衝撃を憶えたと話されていました。

「心に汗をかく」。
逆境から立ち上がり 襲ってくる難題から逃げないで 矢沢ロックの領域をつくりあげた矢沢さんならではのことばです。

気持ちの中に残っていたそのことばは 私の心の中では別なことばになっているように感じています。

考えごとをしていて一つのアイデアを思いついたとき 最近ではそれをなんども角度を変えながら問い直しているのです。

いったんは否定して 面倒でも別のアイデアを探すこともあります。

「思いを練る」という作業なのですが 私にとっては「心に汗をかく」作業をしていると思っているのです。

 

 

自分が得意なことを実行するチャンス



どうしても読みたくなって ドラッカーさんが書かれたエッセンシャル板の『マネジメント』を読み直しています。

これからのお寺のことを考え 改革するために ぜひもう一度読んでおきたいと思たのです。間違って変化させてはならないと思ったからです。

そう思ったとき くしくも自分の生き方にも気づけたように思いました。自問する機会になったのです。

お寺をお預かって暮らしながら マネジメントするということばを表に出して口にすることをためらっていたように思います。お寺とマネジメントがそぐわないというのではなく 表に出してはいけないという無言の壁を感じていたのです。

しかしそう思いながらでも こそこそとマーケテイング手法を取り入れながら小さなお寺の改革は行っていました。

改革に必要な時間のことを考えたとき 自分が得意なマーケテイングを表に出して実行するラストチャンスになっていると気づいたのです。

「お寺は何をするところか」「お寺を使ってくださるのは誰か」という答えを明確にするところから始めています。

自分が得意で 好きな仕事に取り組むことのおもしろさも感じています。


 

 

親鸞聖人にお出会いします


西本願寺を本山とする浄土真宗のお寺では いま「ご正忌法要」という法座が開かれています。

9日から始まって16日までの期間に 一日か二日間つとまります。

私がお預かりしている二つの寺では それぞれ今日と明日 一日ずつ勤めます。そして自分のお寺では 15日16日の二日間おつとめします。

ご正忌法座という法座は 浄土真宗の教えを体系づけられた親鸞聖人のご命日にお勤めする行事で 当日は聖人の伝記を読み絵図を掲げてご生涯と教えを語り合います。

2~30年も前のことですが 今は90歳を過ぎたご婦人が 子どもの頃の思い出としてお話しくださったことばが忘れられません。

「お亡くなりになる前夜の15日に家の中で騒いでいたら 母が『静かにしんさい! いまご開山は死にかけておられるのだから』といって叱られました」と話されたのです。

まるでいま 親鸞さまが生きておられるかのように その日を過ごしておられたお方があったという事実にしずかな感動を覚えたのです。

今日からの4日間 親鸞さまのお話をしながら 親鸞さまにお出会いしているような時間になればと思います。


 

 

暮らし方を身の丈サイズに



ふと老いを感じて これからの暮らし方を考え始めました。習慣や環境を変える思考の力が残っているときに行動しておかなければと思っているのです。

あらためて「暮らし方」というと 生計や老後の時間の使い方が思い浮かびますが そうではなく大切なことは毎日の衣食住です。

高齢化によって 日常の行動範囲は次第に狭くなります。動作も鈍くなり感覚も衰えます。

というわけで 身の丈のサイズ縮小に合わせて衣食住を見直し 変化させようと思っています。

生活に欠かせないベットやトイレ 洗面場の位置や器具のこと。食事準備や片付けの簡素化 あるいは浴室などの温度管理。さらに万一の地震や火災時の安全性や避難路。多岐にわたる検討が必要です。

主体的に人生を全うしたいと思っているのです。

高齢者介護の仕事に携わり 多くの方々に出会うことが出来ました。そこで学び気づいたことを取り入れて みなさんのお役に立てたらいいという思いもあります。

暮らしのサイズやスピードをダウンすることは大切ですが 視野を狭くする考えはありません。所有品の整理をして身を軽くしますが 無理な我慢やあきらめも無用と思っています。

出来だけ人との出会いの場を広げ 小さな気づきに感謝しながら暮らすという 身の丈に合わせた「ランディングエイジ」の設計図を楽しみながら描いています。


 

 

人生は勝負の世界だが



久しぶりに錦織選手が世界ツアーで優勝しました。決勝戦までいって 「今度こそ優勝」と思われながら負けが続いていました。

勝負の世界はまことに厳しいもので 勝者は讃えられますが敗者は早々と忘れられてしまいます。

勝ち負けはスポーツの世界だけにあるのではありません。私たちの人生においても 日常生活の隅々で勝負を繰り返しているはずです。

病気に勝つか負けるか 誘惑や怠け心に勝つか負けるか 入試や就活に勝つか負けるかなど 人生においてはつねに何かとの勝負をしているように思えます。

ところが宗教には勝負というものがありません。「そのままでいいよ」といって そのままの人生を容認されて生きるのが宗教ですから 勝負のしようがないのです。

宗教で話されるすくいの前では 勝者も敗者もなく 善人も悪人もありません。

ひとつの世界に向かって 同じように導かれているのがすくいの基本ですから区別差別がないのです。

錦織選手の活躍は話題になっていますが いつまでも勝ち続けることは出来ません。

大きなすくいの中であることを感じながら たびごとの勝敗に一喜一憂することなく活躍して欲しいと思います。