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アーカイブ:2019年
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4月

過疎四苦八苦

独居成人



検死の結果 15日にお亡くなりになっていたという男性のお葬式にお参りしました。

発見されたのは2日後の朝だったそうです。

お風呂から出て 着替えを済ませたのちに風呂場でお亡くなりになったようです。

過疎地では 独居老人の安否確認は気をつけていますが 独居老人の対象にならない人に対してはとくに強く意識していません。

周囲の人たが 独居老人として意識する前の独居成人も増えています。

その人たちのことを「独居成人」と位置づけして安否確認をしなければならない環境になってきているようです。

まずは「独居成人」ということばから始めましょう。


 

 

山菜の季節到来



夕方家内に頼まれていた「フキ」を採りにでかけたら 「ワラビ」と「クレソン」が目にとまりました。

さっそく山菜料理の準備が始まっていますので 明日の食卓にでてくるはずです。

夕食をたべているとき お世話になっているお方が 「ハナウドとタラの芽を てんぷらにしませんか」といって持参してくださいました。

先日いただいたのは タケノコとコゴミ。
いま山菜の真っ盛りです。

都会で暮らしている人たちに このような暮らしはどのように見えるのでしょうか。

私たちにはとくに珍しくもない暮らしですが 都会の人にとってはちょっとうらやましい暮らしに見えるのではないかと想像しました。

同じようなものを食べようとしたら 市場で買うか あるいは休日に乗り物に乗って山に行かなければなりません。

「そんなものを食べる必要はありません」と思えばその通りですから 得意になったり残念に思うことは無用です。

でも 自然という不思議なものと直に向き合う体験は さまざまなことを考える大切なことと思うのです。


 

 

生き方をかんがえる角度



「過疎地でどう暮らしたらいいのだろう」という生き方の答えを けっこう真剣にかんがえています。

そしてそれは 「人生をかんがえる角度によって変わる」のではないかというかんがえで固まりつつあります。その角度のことを キーワードといいうこともできます。

過疎というというのは 社会全体から見た一時の現象で 人口密度の過密と過疎 近代化の進化と停滞または荒廃 あるいは利便性の多寡という現象に過ぎません。

さらにいえば いまの過疎地が突然過密地に変貌し 過密地の都市が過疎化する現象だってあるのです。

その中での暮らしをしている人々は その「現象から逃げだしたい」とか「仕方がない」と 自分のかんがえで現実を見て行動するわけです。

そのときに 「かならず老病死がやって来る」という真実を基盤にしてかんがえる人は少ないと思います。目先のことを中心にかんがえるからです。

文化や娯楽など身近に手に入る楽しみ 農作業などの自分の身近な範囲で手に入れる楽しみなど 健康とか老化をかんがえながら選ぶという角度があります。

同じ景色 同じ時間の中でつくったコミュニティーと 個々がバラバラに暮らす希薄なコミュニティーの中で迎える死からかんがえる角度もあります。

「健康」「仕事」「利便性」あるいは「コミュニティー」というキーワードがありますが その中に 一切のことは思い通りにならないという「宗教」からの角度も必要ではないかと思います。


 

 

本人確認の方法は何種類ある?



本願寺へ送金するために郵便局に行きました。

日常利用している郵便局で 局長さんも局員さんも全員顔見知りです。

とはいっても 決まり通りに本人確認をされますので 手許にあった健康保険証をもっていきました。

それを提示したのですが 本人確認にはならないといわれ 運転免許証を要求されました。顔写真が必要なのだそうです。

顔を見て本人確認をするという念の入れ方ですが 運転免許証をもっていない人は何を提示したら本人の証明ができるのでしょうか。

身近にあって顔写真がある公的な所持品は パスポートくらいしかないと思います。

それももたない人は どうしたらいいのでしょうか。

犯罪防止のための手続きと思いますが 面倒な社会になっています。


 

 

牡丹の花をいただきました



きのう自宅で育てておられる牡丹の花をきって 施設にもってきていただきました。

濃いピンクの色があざやかな 大きな花を三本いただきました。

さっそく玄関に活けてもらうと 一瞬にしてホールが華やぎました。

出入りする人の中には 思わず歓声をあげる人もおられ 楽しんでいただいています。

「お花をください」とお願いしているわけではありませんが 自発的にそうしてくださる人がおられるのです。

丹精をこめて育てられたはずの花を 他人のために惜しげもなくきってくださる思いを すがすがしく感じています。

自然にこのような行動をしている集まりを コミュニティーというのでしょう。


 

 

「共感する」とはどういうこと



家族や身近なお方が病気になって難儀をしておられる様子を見ることが増えました。

周囲の人たちが次第に高齢化していることが原因で どうすることもできません。

患っておられるご本人やそのご家族の状況を想像することが 共感の始まりだと思っています。

「いたい」とか「しんどい」 あるいは「不安でたまらない」ということばを耳にしたとき 「そうだろうなあ」と感じたら それは共感することです。

自分自身が同じ病を患って体験したことなら そのことばにはつよく共感できると思いますが そうでないときは ことばになって現れた現実に耳を傾けることで共感できます。

同じいたみは体験はできないけれども つらさとか苦しさ不安は感じることができるからです。

そして その人にたいして共感することばが生まれるのです。

 

 

目的を変えて集まろう



仏教に親しむために結成された集まりがあります。

結成時のねらいは お寺に集まる機会を増やし 宗教心を深めてもらおうということでした。

すでに30年以上継続している集まりですが メンバーが増えません。

役員のみなさんがいろいろ考えて声かけをしてくださっているのですが増えないのです。

初心に返って 集まりの目的を見直したらどうかと思いはじめています。

「仏教に親しむ」というストレートな目的を 「お寺を維持する」という目的に変えるのです。

たとえば 毎日住職や坊守の話し相手になったり 寺務所当番や境内の管理などに参加するスタッフになるのです。

関わりを重ねていたら 仏教について話し合う機会は見つかるだろうと期待するのです。

価値観が多様化している時代です。 一つの目的のために集まろうという人が増えることは望めません。

また悲しいことに 仏教の求心力も薄れています。その現実を直視して再考しなければならないようです。


 

 

10連休の過ごし方



10連休という 経験したことがないお休みが近づきました。

みなさんがどのような過ごし方をされるのか ふと想像してみました。

昨年までの連休には 休みを利用して法事を計画される方が少なからずありました。

今年は例年の倍のお休みですから 法事を計画される方も増えるかなと思っていましたが そうでもありません。

ということから想像して この連休の過ごし方に戸惑っておられるのではないかと思っています。

依頼されるときの話しぶりでは 大方の場合それぞれが先に遊びなどの予定を決め その空き日程で相談されますが 先約などがあって都合が合わないときであれば わりとすんなり都合に合わせていただけるのです。

法事を最優先にしようと思われているのか それとも旅行や遊びなどの予定が決まっていないのかのどちらかではないかと思ったのです。

私の方は 飛び飛びに約束した法事の隙間を のんびりと過ごすことになりそうです。


 

 

治療の進め方を確認しながら



上唇の内側が痛くなって 食事が出来にくくなっていました。

昨日治療に行って やっと食べることができるようになりました。

その医院には治療室が4室ありました。その中の一番奥まった治療室に入って まず顔の少し上にある大きな鏡で口の中を見せられました。

そして「いまからこの治療をします」といって 口に中を見ながら説明を受け 治療が始まったのです。

上唇を傷つけていた入れ歯を削り まずそれを治し そのあとで麻酔注射。続いて抜歯でした。その間は約15分。

歯を抜いて消毒を終え 止血の時間をおいて ふたたび口の中を見せられました。

目的の治療は どうやら無事に終わっていました。

治療中は目を閉じて緊張していましたから 何が行われているのか想像するだけでしたが無事に終わっていました。

患者の不安を減らし 納得してもらうことが こんなところでも進んでいました。
 


 

 

手話の公衆電話



羽田空港の待合室で 珍しいものを見ました。

「手話の公衆電話」があったのです。

障害があって 手話が必要な人のための公衆電話ですが 考えて見たら一般のでんわでもスマホやアイホーンでも手話で電話をすることはできません。

興味があったので中を覗いてみました。想像したように テレビ電話のようになっていて相手の人と会話が出来るのです。

少しずつではあっても 障害者にやさしい社会になりつつあることを感じました。

来年のオリンピック、パラリンピック開催に向けての準備とも思えますが こんなところでも準備が始まっていることに感心しました。

バリアフリーとかブラインドタッチの標識などに合わせて 誰もが暮らしやすい国になる気配を感じました。