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アーカイブ:2021年
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8月

過疎四苦八苦

過激にならないように



真実のことばには 忖度することやへつらうことは一切ないようです。

真実をそのまま伝えるのですから 受け取る人の感情とは関係がないのです。

そのため ときには冷たく感じますし 聞き手の心に響かないことがあるのも仕方がないことです。

しかし真実のことばが 人間の口で語り出されると相手の心に響きます。

信頼関係があってうまく届くときはあたたかいことばとして伝わりますが 波長が合わないときは悲劇になります。

誤解が生まれたり 神経を逆なでするようなことばになって届いたりするからです。

真実のことばがあたたかくなるのは 語る人の人間性によりますが 語る人がそのことばを実感していることが必要です。


 

 

敏感な反応



今まで少なかった感染者が急に増え始めました。途端に法事の予定変更の相談を受けています。

8月末から9月の予定を 見通しが立つまで延期したいという電話相談です。

異論はなく変更することにしていますが 素早い対応に驚いています。

変更を申し出られるのは 宣言が出された府県の人からです。

乗り物を使っての移動と 他府県の人たちとの交流があることへの不安や 心配をかけることへの配慮と思われます。

というわけで空いた2日間。

ゆっくり草取りとか 気分転換のドライヴを計画することにします。


 

 

君は何のために生きるか



何度か書きましたが ワクワクすることだけをしようと「仏法の読み直し」を始めています。

「読み直し」ということばが適切かどうかまだ決めかねていますが 趣旨は「生活現場で出会う仏法を語り合い楽しむ」のです。

「楽しむ」というのは 現場にある真実をことばで探し出すことと語り合うという楽しみです。

まずは「現実を仏法のことばで捉える」楽しみにワクワクします。次にそこで捉えたことばを 現場で悩む人と語り合って伝える。

「初め仏法ありき」ではありません。「初めに現場ありき」です。

その現場の苦悩の解決について 仏法が届けてくれていることばを探して そして読み直すのです。

お釈迦さまは何とおっしゃっているのか。親鸞さまはどうなさったのか。そのことにも思いを巡らせます。

私にとってはとても楽しいことです。そしてこれがしたくてお坊さんになっていたことに気づきました。 


 

 

イノシシと人間の違いは何?



お客さんをホテルにお送りした帰りの夜道 自宅の近所でイノシシの親子に出合いました。

狭い道の2,3メートル先を親を先頭に「ウリ坊」が4匹 恐れる気配もなく車に向かって歩いてきました。

母親らしい親は左手の草むらに逃げましたが ウリ坊はライトに照らされながら「どうしよう?」と立ち止まったのです。

車にぶつかって欲しくないので車を止め 4匹が退避するのを待ちました。

翌朝道沿いを見ると お寺の墓地の入り口あたりから 延々と路端を掘り返していました。

ほぼ2日おきくらいに同じ行動をしています。新しい餌場の開拓とか 地中のミミズや根っこ以外の食べ物探しはしていないように見受けます。

そうした行動を見る限り イノシシは ただ食べるためだけに生きているとしか思えません。

人間は食料をつくることも 手に入れるためにお金を稼ぐこともしています。

イノシシより少しはましに思えますが 自分の一生を30日位の縮図にしてみたらどのように見えるのでしょうか。

もし「あれこれしているように思えるけれど 結局は食べるためだけに生きている」と見えないでしょうか。

「無量寿」というライトに照らされたら 自分の姿に気づきます。


 

 

油断人間



この時期には 「非常時必需品コーナー」が設けられているお店があります。

備えの必要性が訴えられていることに刺激をもらったので 帰宅して備え付けの懐中電灯のチェックをしました。

6本の電灯のうち 使えないものが3本ありました。

常備の懐中電灯を何時使用したのか思い出そうとしましたが 思い出せません。

我が家には長い間 非常時がなかったということです。

そういえば消火器の詰め替え期限も過ぎていると思います。

非常時がなくても 常に万全にしておいてこそ非常灯なのですが 私は常時が続くことを疑わない人間の仲間です。

「諸行無常」とか「まさかの坂」の道理を人には話しているのですが それは話だけのことで自分の身の上のことではないのです。


 

 

梨を食べにくるクマの話



応援している一軒の梨農家があります。幸水や愛宕などの美味しい梨を育て生計をたてるという志をもち 梨畑を購入し移住した人です。

その心意気に感じて数年前から応援していました。

その人から 昨年はコロナ禍と天候のため不作という知らせ。そして今年はクマの被害によって収量が少ないという連絡がありました。

クマは梨の木に登って実を食べるのだそうです。

駆除をお願いして待機していても その気配を察知すのるのかそんなときは出没しないといいます。また電柵の囲いもしているそうですが 上手に侵入されるらしく お手上げの様子でした。

クマやサルとの「共存」をという意見もありますが 相手側にその気持ちがなければ実現しません。

それでも共存にこだわるか それとも人間本位に徹するか。あるいは智恵がある人間が「三方損」のようなアイデアを出して ほどほどに暮らすか。

ふと お釈迦さまは何とおっしゃるだろうか 親鸞さまならどうされるだろうか。問うてみたくなりました。




 

 

短歌の中の仏法



「今日までに自分がついた嘘なんて どうでもいいよというような海」。

歌人の俵万智さんのうたです。

一瞥したとき「これは仏法の歌だ」と思いました。

自分がウソを重ねて生きている自覚。

それを包み込むようにある海。「どうでもいいよ」とつぶやく海。

けっして善人といえない自覚と そんなこと知っているよと平然としている海の姿。

気持ちがいい仏法の歌です。

 

 

「人生の面白さを語り合うアプリ」をつくりたい



「あなたは何をするために時間を使おうとしていますか」。これは昨日の続きです。

「真実に出会いながら生きる面白さを語り合いながら生きたい」という答えをもっています。

人それぞれに人生があります。どのような人生を歩いていても その人生には必ず苦楽があり喜怒哀楽の繰り返しがあります。

そんな人生であっても面白くなる教えに出会いました。そしてその事実を語り合うことがまた面白いと思ったのです。

話しは変わりますが 音楽家の水野碧生さんの職業は「クラシカルDJ」というのだそうです。

具体的には何をする職業かというと 「クラシックといわれている音楽を楽しむアプリをつくるようなことです」といわれていました。

同じように「仏教に触れる面白さを語り合うアプリ」をつくるために時間を使うということもいいなあと思います。


 

 

自分は何をしたいのか



「自分はいったい何をしたいのか」 よくわからないで暮らしている人は意外に多いのではないでしょうか。

自分がそうだからそう思ったのですが いかがでしょうか。

いろいろなことをいいますが 「つまり何がしたいのですか?」と問われたとき何と答えるかです。

「あれもしたい」「これもしたい」「役目としてこれをしたいのです」「家族のためにこうしたい」「地域のためにもこうしたい」。

たぶん「したいこと」は次々に現れます。それでも 一生を通じて何がしたいかと問われたときどのように答えますか。

お釈迦さまはどうお答えになったのかはわかります。親鸞さまがどうお答えになられたかもわかります。

ステイーブ・ジョブズの答もわかりました。イチローさんの答もわかります。

答えが見えるお方の行動は 他人を惹きつけていることもわかりました。


 

 

「ベートーベン」



甲子園大会が雨天中止になると NHKの実況放送も中止になり昔の番組の録音からピックアップされた番組が放送されます。

数日前の放送で ある音楽家がベートーベンの話をアナウンサーと対談していました。

音楽家のお名前は 水野碧生。

ベートーベンをはじめ 当時の作曲家の方々は それぞれが新しい音を求めて活動されていたのだと話しておられました。

そして「その活動は 現代のアーティストと変わりません」ともいっておられました。

いわれてみれば全くその通りで クラシック音楽というとらえ方は 現代の人々がそう位置づけただけのことです。

ベートーベンたちが 「自分はクラシック音楽を創作するのだ」とは思っておられたはずはありません。

私たちは知らず知らずのうちに枠を作り上げ その中で作品を評価するようになっていたのです。