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過疎四苦八苦

鬼ごっこ



ぼんやりと仏教の教えのことを考えていたら 「鬼ごっこ」遊びのことを考え始めていました。

じゃんけんに負けた人が鬼の役になり それ以外の人を追っかけて 体にタッチして鬼を増やすという単純でおもしろい遊びです。

この遊びは 逃げる役より 鬼になって追っかける役がおもしろかったと記憶しています。

早く鬼の役を終えるためには 鬼を増やして 大勢で追っかけることが上策です。

鬼役になった人は 自分より足が遅い人をターゲットに追っかけ 早く二人目の鬼をつくり 協力して逃げ役の人を追っかけます。

この鬼ごっこがおもしろいのは 必ず全員が捕まってリセットされ新しい展開が始まるからです。

終われば 鬼の役を終えた人も捕らえられて鬼に加わった人も それぞれがおもしろさを感じたことを思い出します。

「鬼ごっこ」遊びは 逃げようとしても逃げおおせることができないことを体験する遊びではないかと思っています。

7月15日11時から お寺で鬼ごっこを始めます。参加しませんか。


 

 

帰り道のことば



寄席を出ての帰り道に話す感想のことばは 「おもしろかった」でしょう。

スポーツ観戦の帰り道では 「いいゲームだった」とか「惜しかった」などの評価です。

講演会や研修会のときは 「いい話だった」とか「よかった」。「すばらしかった」「参考になった」あるいは「ためになった」とか 感想のことばは様々です。

ところでお寺参りのあとの感想では どんなことばが出るのか尋ねてみました。

「よかった」ということばを聞くことがありました。「ありがたかった」ということばを聞くこともありました。

「ありがたかった」ということばが聞こえるためには 感動的な話が必要ですが 誰にでも簡単に出来そうに思えません。

その結果にこだわらず そうなっていただきたいという熱意と準備によって 感動が生まれるお手伝いなら出来ると思います。



 

 

お寺参りは仲間があったほうがいい



お参り先のご婦人と話しているとき 「お寺参りは連れがあると精がいい」ということばが出ました。

一人では「今日はお参りに行こうか」という決心がつかないという意味の話しでした。

それってよくわかります。

一人でディズニーランドに行くとかレストランや回転ずしの店に入ることをためらう心理と同じように思えます。なぜかよくわかりませんが 実際にはそんな気分があるのです。

それでは本屋さんに行くときもコンビニに入るときも同じ気持ちになるかといえば そうはなりません。

入りにくい場所は一人客を対象にしていないかというと そうではないのですが 面白くない気分になるのです。

一人で座ることへの気おくれとか 勇気が出ないこともありそうです。

おそらく 仲間といっしょに過ごしたほうが楽しいと感じるところには 一人で行ってもつまらないという逆の気分が動くのでしょう。

楽しみというものは 誰かと何かを共有するということであり その感動を話し合うことにも大きな比重があると思っています。


 

 

掃除のこと



掃除の達人と呼ばれる人がおられることは テレビの紹介で知っていました。

再度そのお方が掃除に向き合われる心構えや 具体的な方法について紹介があったときに考えたことがあります。

子どものころ 広い本堂の縁側を雑巾がけすることや境内の草削りなどは 手伝いとしてやるのではなく 自分の仕事だと思っていました。

遊びたい気持があるときは 出来ることならしたくないと思うことはありましたが 掃除そのものが嫌いとは思ってはいなかったのです。

最近になって なぜか一段と掃除のことに興味が増えた感じがしています。

その原因の一つに 掃除道具類の進化があるようです。

例えばルンバという自動掃除機の上手な使い方。洗濯物や衣服から出る綿埃をふき取る便利なモップ。あるいはガラスの汚れをきれいに拭き取るクロスや汚れ落としの薬品など。

そのような道具や薬剤が次々と身近に整ったことがあります。

しかし何よりも私にとっての大きな原因は 生活のダウンサイジングを意識するようになって 「きれいな暮らし」をすることが楽しいと感じるようになったことです。

身の丈サイズの暮らしと きれいに暮らそうと思う気持ちの関係はよくわかりません。


 

 

人間とペットのお骨を一所に納めてはいけない?



朝の家事をしながら何気なくテレビから聞こえる話を聞いていました。

「ペットの骨を自分たちと同じお墓に入れてはいけない」とかいう声が聞こえ 「おや?」っと画面を見ました。

「六道輪廻」ということばがあるように 人間と畜生は死後の行き先が違うからダメという意見でした。

続いて宗派の研究所で経典を調べたら いけないと書かれているものはないという意見が紹介されました。

ペットと暮らす人が増え このような課題が生まれ増えているようです。

その日の放送で取り上げられたかどうかわかりませんが 私は宗教に関わる人が「お墓」についてどのような見解をもっているかに関心があります。

一般には「お墓は死後の家」と受け止めている人が少なくありません。一方では 粗末にできないから納めるために形を整えたものという見解もあります。

暮らしにゆとりが生まれるようになった現在 お墓は立派な石で建てられるようになりました。あるいはマンション生活者も増え お墓を建てる場所の確保も容易でなくなりました。

そのような社会になって いつの間にか「お墓は必要」なものであるという意識が固まりつつあります。

「土にかえる」ということばがありますが 骨は土にかえすのが自然に思っています。その大地は一切の生き物の骨を受け入れてくれています。

一緒に納めたい人はそうされたらいいのです。


 

 

もったいない



「もったいない」ということばは もともとは仏教のことばでした。

そのことばに潜んでいる仏教の精神に気づいて それを考えた生活をしたら きっと人生が変わるだろうと思います。

今ではもっぱら「十分に使えるものを使わない」とか「それを捨てる」ときに用いています。

傷みがなく食べられる食品が 消費期限が過ぎたからと捨てられているとき。

やる気を出せば目の前にチャンスがあるのに 手を出そうとしないとき。

様々な場面で「もったいないなあ」と ため息とともにことばに出します。

社会が豊かになって あえてそうしないでも困らないようになったからです。

「もったいない」ということばの精神を知って 捨てるか捨てないかを選ぶと 少しづつであっても人生が楽になり充実すると思います。

適量生産とか適量在庫という方向もあります。自分サイズの時間や環境で暮らすという方向もあります。あるいは周囲や社会とのつながりを大切にする考えも生まれます。

「もったいない」ということばは 自分を見直すことばです。


 

 

冷や汁をいただきます



7月法座の「お寺ごはん」に冷や汁を計画しています。

子供のころ 味噌汁をご飯にかけて食べていましたが それをイメージしていただくといいと思います。

ご飯の上に よく冷やしたお汁をかけていただくのですが このお汁に特徴があります。

宮崎県の郷土料理として有名ですが その宮崎から取り寄せた冷やし汁を準備しているのです。

数ある冷や汁メーカーの中でも この社長のこだわりが一番と評価している会社のものです。

私たちが食べていた「味噌汁かけご飯」と違うのは ゴマや落花生 イリコなどが入った味噌に 夏野菜や豆腐を加えたお汁をかけることです。

食欲がおちる夏場に ご飯が進むことは請け合います。


「愛楽仏法味 禅三昧為食(あいぎょうぶっぽうみ ぜんざんまいいじき)」の日にしましょう。

珍しい郷土料理を味わいながら 梅雨の一日をお過ごしください。7月15日11時から始めます。


 

 

お寺の役目は



周囲のお寺から面白そうなニュースが伝わってきます。

お寺の存在や役目のことを知っていただくために いろいろなイベントや事業が実行されているようです。

常設のカフェや音楽会 あるいは仮面をつけた僧侶が登場する子供会やコンピューター映像を使った雰囲気づくりなど 住職の裁量に合わせた企画が あちこちで展開されています。

それは地域やお寺に無縁であった人たちと縁を結ぶ行動で 私にはできないことでもありエールを送っています。

社会の変化に合わせながら少しづつスタイルを変えることは大切ですが 次第に「語り」の新鮮さが失われていることにも注目しなければならないと感じています。

お寺と同じではありませんが TDLやUSJなど 大きなアミューズメント施設は次々に新らしい企画や事業を展開します。

その目的は 「楽しかった」「また行きたい」という感動を創造することにあります。

お寺の役目を考えることは その「感動の創造」と同じような 「何かの創造」を考えることと同じだと考えてもがいています。


 

 

車検はなぜするのでしょうか



5月になって 自動車税の納税通知が届いたときのことです。

その通知はがきには 「この納税証明書は車検を受けるとき必要です」と書かれていました。

自動車税と車検時の税金など たくさんな税金を納めていることに気づかされるのです。

その金額が大きいと 自分が便利で快適な暮らしをしていることを忘れて つい不満が口に出ます。

余分な税金を支払う必要はないのですが 今の便利さや快適さを続ける必要経費として受け止めようと思い始めています。

生活にゆとりがあるかないかに関係なく 車に乗るからには納めなければならないものですから 「受け止める思い方」を変えてみようと考えたのです。

いろんなことは 考え方受け止め方によって変わります。

いやいや受け止めたら 腹も立ち不満を抱えて世の中を生き続けることになります。逆に受け止めたら 豊かな生き方が始まるはずです。

自分が納めた税金の使い道や使い方に関心が生まれます。気づかなかった恩恵を知ることにもなります。

さまざまな裾野が見え始め 安全運転へのいっそうの自覚や 車社会への貢献が始まると思います。


 

 

人材を見つける



人材を育てることも難しいことですが 見つけることも難しくなりました。

探す側の人にあらかじめイメージしている人物像があって そのフィルターを通して探そうとしているからです。

また人間の成長とか変化のことがわかりにくいこともあります。

性善説とか性悪説にとらわれないで 「人は変わる」ことを考えながら探すことが大切だと思います。

人はどのような人と出会っているかという 出会いと環境によって変化します。

ということは大変厳しいことで 自分のサイズ以上の人を見つけることは難しいということでもあります。

諸行無常という仏法のことばは そのことを教えていると理解しています。