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アーカイブ:過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

成仏の種



共同墓地に行ったら 管理してくださっている方がおられ 立ち話をしました。

「この新しいお墓は すでに大きなお墓をお持ちのお方のものなんですよ。どうしてもご先祖と一緒のお墓には入りたくないらしくて」と話し 2基のお墓を案内してくださいました。

お話を聞きながら ついにこのようなことが起こってしまったかと 申し訳なく思いました。

浮世の愛憎を 死後まで抱えて行かせることになったのです。

ご本人がそうしようと思われた因縁話も聞きました。

「自分が嫁に来てから ずいぶん舅さんたちにいじめられた」のだそうです。耐え忍んできた恨みを お墓を分けることで納めたいと思われたらしいのです。

そこに成仏の芽は見えてはいませんが 間違いなくきれいな花の種は落ちているのです。

まだ 怨愛の情を超えた世界とつなっがっていることに気づいていただけていないだけなのです。

この事実は 「お坊さん!こんな悲しい思いをいつまでもさせないように しっかりしてくださいね」といわれているようでした。

雲一つない5月のお昼 真っ青な海原を遠望しながらしばらく佇んでいました。


   

 

お店は静かに変わっている



よく買い物に行くホームセンタの決算書を すこしていねいに読みました。

感想は 「変わろうとしているなあ」ということでした。

売れ行き商品が変わってきているのです。

今までお店を引っ張っていた家庭用品の売り上げが減り 園芸とかに工作関係の売り上げが増えていました。

ホームセンターというお店が誕生した60年ほど前は 園芸や工作関係中心でした。

時代の変化とともに家庭用品が増え始め 主流は変わっていたのです。

また車の用品や電気製品も売られるようになっていました。

ところが人口の減少や生活の多様化で また原点に戻り始めているのです。

店舗の整理も行われており これから10年20年先のお店の芽が出始めていると感じました。


 

 

1円の出来事



先日 行きつけの郵便局で 家人が「お釣り」を受け取りました。

お釣りとして2円渡されるところで 1円しか受け取らなかったようです。

局員の方は 「〇〇円いただきましたので 2円のお返しです」といって渡されたお釣り銭が1円しかなかったようです。

受け取った家人は 確認しないで財布に入れて帰ってしまったようです。

しばらくして郵便局から電話がありました。

「お釣り銭を1円少なく渡してしまった」というお詫びの電話でした。そして「今からお届けします」といわれました。

家人が「明日もう一度訪問しますので そのときで結構です」といったのですが 「今日のうちにきちんとしておきたいのでお届けに上がります」といって届けてくださいました。

わずか1円のことです。でもその日の間違いはその日のうちに訂正する。それが金融機関の基本姿勢なのでしょう。

翌日訪問した家人は 「私がその場で確認して受け取らなかったことで ご迷惑をおかけしました」とお詫びしたそうです。


 

 

苗を4本買いました



今年もゴーヤを植えます。

また新たに ウリを植えます。

ウリは 味ウリで子供のころに「マクワウリ」と呼んでいたものです。

昨年このウリをいただき 苗が手に入れば植えたいと思っていました。

味ウリといっても メロンのように甘いものではありません。ほんのりと甘みがあることから昔の人がそういったのでしょう。

ただ真夏の水分補給にはちょうどいいので 懐かしさもあり 植えて見たくなったのです。

今年は オレンジ色のものと縞模様がある二種類を植えました。

ゴーヤとともに夏を楽しませてくれると思っています。


 

 

時間のこと



自分の人生の持ち時間を考えている人は あまり多くはないと思います。

ところが高齢者からは 「残り時間が少なくなりました」とか「そう長いことはないのだから」なんていう話はしばしば聞こえます。

私もその話はごく自然な姿であると思っていました。

ところがいざ自分がその話題を交わすようになって気づいたことがあります。

それは「時間」というものについての考え方です。

「人生とは自分が使える時間のこと」とか「時間の貯蓄はできない」「時間は誰にも平等に与えられたもの」という格言もあります。

また「高齢になってからの時間は 一日一日が大切」という脅迫のような話もあります。

あらためて考えてみたら 時間は自分に与えられた財産であり それは自分の意思で何かと交換できるものなのです。

お金と交換するために働くこともあるでしょう。花鳥風月を愛でることに交換することもできます。

私は せっかくいただいている自分の財産ですから すべてを他者のよろこびと交換したいと思い始めています。

時間は自分がいただいている財産なのですから 自分の人生の終わりは財産を使いきったときなのです。

そのように思い始めてから 人生の目標は簡明になり 一瞬がとてもおもしろくなりました。


 

 

イチローさんのこと



先日のNHKテレビで イチロー選手が引退を決断される直前に行われた密着取材の様子が放映されました。

その放映を見て あらためて感じたことがあります。

偉大なお方ではあるのですが 私にはなぜか「怖い人」「親しみ難い人」という印象があったのです。

このお方のような人に無礼なことに思えますが 率直にそう思うのです。

そして「なぜそう感じてしまうのか」「そう感じることは 自分に人間としての欠点なのだろうか」ということを考えました。

選手時代のイチローさんは まるで禅僧のように自分に向き合ったお方です。そして結果を出し続けたお方です。

このお方の修行と同じような行動は 私にはとうていできません。

そのイチローさんが ヤンキースに移籍して満足な結果が出なくなったころから 「自分は大勢の人たちに支えられていることを感じるようになった」と話しておられたのです。

そのお話を聞きながら こころの変化が生じていることを感じました。智慧の深まりを思ったのです。

智慧が深くなることは 見えない力が見える 自分を支えている働きがわかるということだと思っているからです。 


 

 

キャッチコピー



久しぶりにキャッチコピーのことを考えました。

お寺の掲示板に張り出すことばは キャッチコピーと気づいたからです。

まず短いことばであることが原則です。

次にそのことばを目にした人が 「?」と思い 背景の写真とか並んで書かれている宣伝文を読んでくださらなければなりません。

そんなことを思いながら むかし目にした有名な作品を思い出しました。

「人間らしくやりたいナ」とか「トリスを飲んでハワイへ行こう」という60年くらい前の作品。

新しいところでは 「不思議、大好き」とか「おいしい生活」という20年前の作品。

いずれも 商品とかお店の宣伝として専門家によってつくられたものです。

ところがごく最近の傑作は 「のぞみはありません ひかりならあります」というお寺のキャッチコピー。

これはお寺の掲示板に張り出された仏法の宣伝ですが このことばを話した人は 新幹線のチケット売り場の人。

「おもしろい!」と取り上げた人は心理学者。

仏教学者でもなく お坊さんではないことがおもしろいと思います。


 

 

初体験



世界の混乱に乗じたわけでもないと思うのですが ついにここまで「直葬」がやってきました。

「直葬」というのは 通夜もお葬式という儀式をしないで ご遺体を火葬場に運び焼くというお別れのことです。

今までに 「周囲の人たちも知らないうちに 白骨になっておられた」というケースが1件ありました。

ところが今回は 「亡くなりましたから お願いします」とお知らせをいただき ご遺体が安置された会館に行って読経はしたのです。

いつもなら そのあとでお葬式などの予定確認をするのですが その場で「通夜もお葬式もしません。納骨をよろしくお願いします」といわれました。

少しお話をして 火葬場で火入れの前にお葬式をすることになりました。

ご遺族とお話ししながら そのようなお気持ちになられた原因を考えました。

新型コロナウイルス感染防止という理由もあります。家族の体調がよくないという ご遺族の事情もあったようです。

経費のことやわずらわしさのこと いろいろな気持ちが重なっての判断だったようですが ついに「直葬」という初体験をすることになりました。

まずは受け入れて これからのおつきあいを大切にしたいと思いました。


 

 

鯖寿司



家人が 仕事の相談に来た人と話していたら 鯖寿司をつくって販売している元職員さんのことが話題になったそうです。

お昼ご飯を食べながら家人の話を聞いていて 40年くらい前に立ち寄った 「鯖寿司がおいしい」というお店のことを思い出しました。

そのお店は 広島県との県境に近い山中の集落にあったのですが 名前も場所もおぼろに記憶しているだけでした。

妙に懐かしくなり 「行ってみようか」と思い立ちました。

二人とも自粛のストレスがあったのかもわかりません。

車を1時間くらい走らせて お店を見つけました。お店は開いていましたが あいにく鯖寿司は売り切れ。

そこが 元職員さんの実家だろうと思って少しお話をしたら それは別なお店で80メートル先だと教えて下さいました。

そこを訪ねて元職人さんにお目にかかり 近況をお聞きしたり 鯖寿司を手に入れました。

その日は噂通りのおいしさを楽しみながら 夕食を終えました。

それにしても なぜこんな山中でおいしい鯖寿司つくりが40年以上も続くのか 不思議な気がします。 


 

 

掲示版



掲示板の見直しをしました。これは このたびの新型コロナウイルスがきっかけになった出来事です。

過疎高齢化した地域にあるお寺の掲示板は 車に乗って通りかけにチラッと見られることがほとんどです。

文字は大きく そして短いことばで書かれています。

このたび考えたことは 少し長めな文章を書くことにしたのです。そして車を止めて読んでいただこうと考えました。

車の通行量はわずかですから 数分の停車でご迷惑をおかけすることはありません。

車に乗ったままで掲示板に近づきやすいように 掲示板の前の植え込みを伐りました。

ことばも変えました。数文字で書くことばをやめ 生きる元気をくださっていることばを書くことにしました。

2日たちましたが 車を止めて読んでくださっている人はまだ見かけません。

一年で何人読んでくださるか 何人の人が仏法の智慧にふれてよろこんでくださるか。

ささやかながら新しい試みを始めました。