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アーカイブ:過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

童心展


加納美術館で童心画家の佐々木恵未展が開催されています。館長の神先生とご縁が出来たこともあって 観賞に出かけてきました。

佐々木恵未さんの作品を これほどまでに丹念に集めて展示されたことはなかったのではないかと思うほどたくさん揃えておられました。

なかでも圧巻だったのは 「あったか家族」というタイトルで 山陰中央新報に掲載されていたことばと原画を 一室にすべて展示されていたことでした。

入り口から ことばを読んで絵を見る動作を繰り返し 疲れたら絵を見てことばを読むという動作を続けながら 気がついたら全部の作品を鑑賞していました。

作品の中には人間や身近な動物がたくさん画かれていましたが 一人ひとり一匹いっぴきが全部笑顔でした。

子どもが童心であることは当然ですが 高齢者の皆さんの童心も画かれていました。その童心を ほほにつけられている赤みに感じたのです。

観賞の途中で昼食時間になり 敷地内にあるすばらしいしつらえのレストランでいただきましたが 童心画の展示期間中には「大人のお子様ランチ」がふるまわれるようでした。

展示期間中は館内全体が童心に返るように企画されている展示会でした。

 

 

考える人がいたら


新築して13年後 統合のため使わなくなった小学校を見る機会がありました。

7年前まで子どもたちが学んでいた校舎で 当時の教育方針に従った教室や最新設備が備えつけてありました。

コンピューター教室やIH式コンロがついた調理室。電動で上下するボードなどが 急に利用者がいなくなって放置されていました。

不思議に思うのは これほど早く校舎が不要になるという 少子化の予測が出来なかったのだろうかということです。

意思決定する仕組みや 責任の所在などについて気になります。そこに投資された資金は税金ですが 不良債権としての追及はないのでしょうか。

年間事業計画に織り込まれているのだろうか あるいは対策担当を設置して 対策を考えようとしておられるのか気になるところです。

目的や設立の経過は違いますが お寺も同じようだなあと思って いのちを吹き込み蘇らせるのは人間の仕事であることを自覚しました。


 

 

お隣さん


朝ごはんを食べていたら玄関のチャイムが鳴りました。出てみると数少ないお隣のYさんでした。

「Y農園の朝採り野菜です」といって野菜をもってきてくださっていました。茄子とキュウリ トマトに糸ウリを入れたビニール袋を笑いながら渡されました。

Yさんは定年過ぎの男性で 一人暮らし。関西地方で働いていた人ですが お母さんの介護のため2年前に引き揚げて帰ってきたUターン者です。

私たちにとっては 彼はお母さんに代わる新しいお隣りさんの誕生です。

そのお隣さんには仕事がたくさんあります。家の周囲の樹木の管理とか草刈。荒れた畑を再生しての農作業。ほとんどが肉体労働の農林業です。

ただ我が家のことなのでお金はいただけません。現金収入がない田舎での暮らし方を身につけるまでには しばらくの時間が必要になろうと思います。

自分で名づけているY農園は 無農薬栽培ですがお店には出しません。食べきれないほど採れたとき 誰かに配っておられるのかどうかわかりませんが 我が家では喜んでいただきます。

そして我が家からも何かのおすそ分けをするのですが 趣味とか嗜好などまでは知りません。隣にお住まいだからといってお隣さんとはいえないのです。

もう少し深くお互いが理解できるように工夫をして 一日でも早くお隣さんという絆づくりが必要だと思っています。


 

 

漬物の季節


夏は漬物の季節だと思います。なぜか漬物が食べたくなり そしておいしく感じる季節だからです。もちろん個人差がありますから 私が感じる季節感です。

なぜそう感じるかというと 汗をかいたあと 体が塩分を求めていることが考えられます。

あるいは暑さのために衰えがちな食欲を刺激するために しぜんに出来上がった感じとも思えます。

あるいはたくさん実る夏野菜が 漬物づくりを催促しているわけではないでしょうが 野菜を無駄にしないように考えた古人の知恵の名残かもわかりません。

いろんな事情によって夏野菜の漬物が並ぶのですが つい箸を伸ばしたくなるのはうれしいことです。

キュウリやナスの浅漬けとかどぶ漬け 近年ではビール漬けなども出現して楽しませてくれます。

夏の季節をあらためて漬物の季節というのはこじつけでもありますが 漬物の存在感が他の季節より少しばかり強くなると感じています。


 

 

海の祭り

隣町は かっては漁業で栄えた村でした。漁師さんや採れた魚や海産物を売る人たちで賑わっていたのです。

この町では毎年7月になると夏祭りが行われます。4キロほど離れた浜に近い島の神社から 村の仮殿にご神体を迎え 2日間の祭礼が行われるのです。

初日の夜は漁船に引かれた舟に乗せられたご神体が 鉦と太鼓を打ち鳴らし かけ声を掛けながら人々が出迎える浜に上陸されるのです。そして2日目の夕方には島にお送りするというお祭りです。

お魚がいなくなり 漁師さんも住民も激減しました。高齢化もすすみ かってのお祭りの賑わいはすっかり消えてしまいました。

21日の夜 迎え船が戻るところを見に行きました。

7艘の舟が凪いだ海上を 鉦と太鼓に合わせたかけ声とともに 滑るようにゆっくりすすんでいました。灯された灯が海面を照らし 隊列を組んですすむ様子を 無言で眺めました。

波の音が消え 船を曳く男衆のこえが海いっぱいに響いていたのです。はるか沖にはイカ釣り船の漁火が並んで 前をすすむ神様船を見送っているような不思議な感覚を覚えました。

過疎高齢化とともに このお祭りを続けることが出来なくなることも考えられます。

お祭りは人の力で支えられる行事です。どうなってゆくのでしょうか。 

 

 

マンガ図書館


マンガ図書館に行ってきました。

夏休みになった日曜日ということもあって たくさんの人がやってきて利用していました。

子どもたちに交じって 大人もたくさんマンガを読みふけっていました。

従来型の公立図書館を 約20年前にマンガ専門の図書館に変えた図書館でした。その時代にマンガ専門の図書館をつくることを発想し実行した人がいたことに驚きました。

当然ながら館内はすべてマンガ本でした。丹念に見たわけではありませんが 外国の本が一冊もなかったこと 「のらくろ」などの昔の本はなかったように思いました。もちろんポルノまがいのマンガ本はありませんでした。

作者ごとに並べられているところを見て マンガ本は本の題名よりも作者で選ばれることが多いのかという気づきもありました。

マンガ愛好者がどのように本を選んでいるのかという 選択基準というかマンガ本と人生の関係を垣間見たような気がしました。

本の冊数は数万冊になるということでしたが お寺のマンガ図書館ではそこまで集めることはなかなか大変です。

本の数が図書館の魅力ですから せめて千冊以上は集めようと思って帰りました。

 

 

ストリートリーグ



我が家でスケートボードが話題になり始めたある日 偶然19歳の若者が挑戦しているスケートボードの放送を見ました。

競技内容はよくわからなかったのですが 面白いと思ったことはその大会の名称でした。

「ストリートリーグ」という世界規模の競技大会らしく 「オッ!」と思いました。どなたが命名されたのか知りませんが 実にいいネーミングだと思ったのです。

その名前を聞いていると 誰でもすんなりとイメージ出来て わくわくして挑戦しようという気分になりそうです。

昔は「バスケ通り」とかいう名前がついた通りもあったとかで 広場が少ない地域ではそこらの通りが遊び場になっていたという名残です。

遊びは 場所の広さとか時間をえらぶことなく いつでもどこでも ひとつの道具があれば出来るのです。

それをしたいという人が一人いたら遊びが始まり 次第に広まって世界大会になるということを教わりました。

 

 

ことばで理解しことばが生かしてくださる


考えることも何かを理解することも ことばを使わないとできません。

あるときお参り先で お仏壇の中心に掛けてある絵像を指して 「あの絵のお方は誰と思われますか」とたずねました。

その方はしばらく考えておられましたが 「お釈迦様」と答えてくださいました。浄土真宗のお仏壇で ご本尊は阿弥陀如来さまの絵像でしたが おそらく阿弥陀如来ということばになじみが薄かったのだろうと感じました。

それでも神様とかキリストさまといわれなかったのは 神様もキリストさまということばをご存じなかったのではなく ことばは知っておられた上で「神様でもキリストさまでもない」と理解されたからだと思います。

長い間のお寺とお付きあいをしてくださったので 自分の家の宗教が仏教であることはご存知だったのです。

仏教に限らず 宗教にふれるためには ことばが必要です。ことばが伝えようとしている如来の意思と働きが伝わらなくてはなりません。

ことばの説明を聞いて理解できたとしても それで癒やされることも生かされるよろこびをいただくことは出来ませんが やはりことばを耳にしておくことは大切です。

生活の中で生じた行き詰まりとか絶望 深い悲しみを抱えたとき かねて耳で聞いていたことばと重なって 働きが届くときが必ず来るからです。

 

 

スモモすべてはカラスのため


鈴なりのスモモが熟れる日を楽しみにしていました。十数年前に植えた2本のスモモの樹が 今年初めて鈴なりに実をつけたのです。

昨年の冬しっかり牛糞の肥料をやったのが効いたのか それはそれはみごとななりようでした。

数日おきに畑に出て あと何日待てばいいだろうかと楽しみにしていたのです。

その日は朝から群れたカラスがしきりに鳴いていました。

家内は「スモモを食べに来ているのではないか」と心配したのですが 「梅はサルとか鳥に食べられない果物だ」と聞いていたので スモモも同じだろうと安心していたのです。

翌朝家内が 今まで見えていた実が見えなくなっていることに気づきました。

「もしや」と思い行ってみたら 色づいたものはほぼすべて まだ青かったものも半分以上なくなっていたのです。

カラスの仕業でした。

残っていたものの中で 少し色づいたものを2~30個持ち帰り 家で熟すことにしました。


残していたものがどうなったのか気になって見に行ったら すべてなくなっていました。カラスが思い出をつくってくれました。
 

 

今日は土用の丑の日


今日は土用の丑の日。
折り込みやテレビなどで鰻の話題が目についていましたので いつだろうかとぼんやり考えていました。昨日 「明日が丑の日です」と大きな鰻を届けて下さったお方が教えて下さいました。

子どもの頃は 十二支とかわからないままに 「土用は牛の日」といっていました。

近くの農家には農耕用の牛が飼われており お百姓さんがその牛を追って海に入れておられたのです。牛はいやがる風もなく しばらくつかったあと帰っていく姿を見ていました。毎年この日の夕方の出来事でした。

次第に農作業の牛を飼う農家がなくなって いつの間にか海水浴をする牛はいなくなりました。

「なぜ海に入れるの?」と親にたずねたら 「牛が病気にかからないためだ」と話してくれましたが ほんとうのことなのかどうか確かめることもありませんでした。

丑の日が牛の日ではなかったと知ったのは 鰻を食べる日として賑やかになり始めた頃でした。

夏ばてをしないように 精をつけるために鰻を食べるという説明も 牛が病気にならないためという話も重なるようで 丑の日の大切な言い伝えとしておきます。