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過疎四苦八苦

非日常と非意識


山陰中央新報紙の来週のコラムに 企業研修としてお寺で「非日常」の体験していただいていることを紹介しました。

投稿した後 本質は「非日常」でなく「非意識」のことを体験していただいているのだと思いました。

「非日常」といえばお寺での生活のような特殊な体験を想像しますが 「非意識」というと 日ごろは意識しないでいる自分自身の日常意識として想像することが出来ます。

たとえば 生産効率を上げるとか夕食の買い物に思いを巡らすような日常生活の意識活動に対して 自分の人生は必ず終わりが来ることを意識することは日常に意識しない「非意識」です。

そのような「非意識」を意識化したら 日常の意識活動に かならず新しい変化が生まれると思っているのです。

「苦の根源はどこにあるのか」という話とか 「何のために生きるのか」という話題を口にすることは非日常のことですが 苦の根源は自分にあると気づいて意識活動をすれば発想は変わります。

仏法は 非日常のことではなく毎日の生活の中に非意識として隠れているので 話し合って気づいていただこうと思っています。

 

 

観光地の選び方



きのう新潟県から70過ぎのご夫婦がお参りになりました。島根県に来るのは初めてだそうで 帰りに出雲大社に行く予定だといわれました。

今までも県外から初めて来られたお方に 「これからどちらか観光してお帰りになるのですか」と質問していますが ほぼ全員が「出雲大社へ」とお答えになったように思っています。

松江城や周辺の文化遺産だってあるのにと思うのですが 県外の人には出雲大社の知名度が圧倒的な高さのようです。

広島に向かう高速道路のインターもあり 空港も近くにあってアクセスがいいこともあるようですが 松江城を中心とした文化の観光では土産話になりにくいようです。

あらためて考えてみると 全国の観光地で他府県にないシンボルの所在地と お城のようなどこにでもありそうなシンボルの所在地の人気は違っているようです。

シンボル中心の観光は土産話にはなりますが 文化に触れるような観光では自慢話にならないからではないかと想像しています。

私の好みとしては その土地の文化に触れ 長く余韻が残る観光をおすすめしたいのですが。

 

 

習慣を変える


「いまさら」といわれそうですが 生活習慣を変えようと心掛けていることがあります。

まだ「心掛けている」段階なので 満足するほどの変化ではありませんが 少しは変わりつつあるという自覚は生まれています。

変えたいと思っている生活習慣はたくさんあるのですが いま始めていることは 人に相談し協力をお願いすることと 早く準備に取りかかるということです。

尻に火がつくようにならないと行動を始めない習慣が長らく続いていましたので 簡単には変わりません。それでも 気がついたときにすぐ取りかかるというクセは少しずつ生まれているぞと自賛しています。

そんなことを始めて 早く準備をしている人は ゆとりがある人ではなく 多くの人に対する思いやりが深い人なのだと気づきました。

早めに予定を立てたら 周囲の人も予定が立てやすくなります。 早目に到着したら 相手の人は安心されることになります。

理屈ではよくわかっていたつもりですが それを実行してこなかったことを申し訳なく思いながら 早めの行動を始めています。


 

 

季節の贈りもの


天候が悪くしばらく庭に出ることが出来ませんでした。

一昨日と昨日の夕方 少し風はあったのですが久しぶりに庭に出てみたら 巨大な椎茸が数本生えていました。さっそく夕食にバター焼きにしていただいたのはいうまでもありません。

いつしか季節の移ろいを感じる機会が狭くなっていましたが 生物は季節の移ろいを敏感に感じて生きていることを教えてくれました。

庭を歩きながら この庭を楽しむにはどうしたらいいのだろうと考えていました。

バラや山野草などが 本来の姿で生きる庭にするのが理想ですが 育てようとして肥沃な土をつくればモグラがやって来ます。

モグラや毛虫などの被害に遭うことも 自然の姿といえばその通りですが やはり元気でたくさん花が咲く庭を造りたいのです。

その折り合いをどのようにつけるか 私たちの庭造りの課題です。


 

 

地元企業のがんばり


休日の午前中 家内と一緒に市内のショッピングセンターに出かけました。

広島から進出したショッピングセンターですが その一角に「地場商品コーナー」が設置してあり ゴンドラエンドの特等場所に隣町のかまぼこやさんの売り場があるのを見つけやのです。

しばらく足を止め 商品のラインナップを見ながら自然にうれしくなってきました。

小さなかまぼこやさんですが 若い経営者が新しいことに挑戦している様子が見えたのです。原料を変えることや新商品の開発 ユニークなネーミングをつけることで 広いスペースを確保していました。

そのためには 売れ残りや場所代が増えるというリスクもあるでしょうが そのリスクを前進のエネルギーにしようとしていることを感じたのです。「リスクを取る」といいますが その実例を見せてもらったようでうれしくなりました。

ときどき使い物には利用させていただいているのですが 別の形で応援できることがないか考えて見ようと思います。


 

 

第一ボタン


「第一ボタンの掛け違い」という例え話があります。

シャツを着るとき 最初のボタンを 本来かけるボタン穴でないボタン穴にかけたら 後のボタンの位置がすべて狂ってしまうという例えです。

昨日のニュースで 僧侶が立ち上げた電力小売り事業の話がありました。特に興味があるわけではありませんが その話にはどうも「第一ボタンの掛け違い」があるように感じているのです。

商売の始まりは 需要があって始まるものだと思います。困っているものとか便利なものを紹介されたら欲しくなるのですが 不要なものは買いません。

次に日常の必需品なら安いものが欲しくなります。電力会社でなくても電気の販売が出来るようになって たくさんの業者が出現しました。そして「わが社と契約したら 今までの電気料金より節約になります」といって売り込んできます。

その売り込みをお寺でやろうという趣旨と理解しているのですが お寺の活動目的にそぐわないと思っているのです。

地域の門信徒さんの暮らしに少しでもお役に立つような活動をすることはムダなことではありませんが 過疎地に必要なことは生活費のコストダウンではなく 人と人との繋がり合いです。電

気の小売業は その基本からずれているように感じるのです。


 

 

お寺さんが小売業に参入


今朝のニュースを聞いていた家内が 「このことに西本願寺は関係ありませんとアナウンスしているが 何をしたの?」とたずねました。

初耳のことなのでさっそくネットで調べ だいたいのことがわかりました。

僧侶が中心になって設立した太陽光発電の会社が 太陽光発電の電気を仕入れ 中四国地方にあるお寺6千ヵ寺を通じて 周囲の門信徒さんに販売するという事業でした。

その電気料金は 今までのものより2~3%は安くなることに加え 販売するお寺にはその手数料が入るという制度になるというのです。

この仕組みを考えた人の話によると 近江商人の「三方よし」でなく「四方よし」のビジネスになるらしいのです。

読んだ後 このビジネスはうまくゆくのだろうかとしばらく考えました。

地方のお寺さんがお参り先の門信徒さんに 「うちのお寺から電気を買ってください」とセールスをするわけですが 買う側の人の混乱は相当なものと思います。

「損得の物差しだけでなく ウソかマコトかという物差しを大事にしてください」と話してきたお坊さんが とつぜんのように「こちらが得です」とセールスを始めたら混乱することは必定です。

 

 

人のことが気になる


他人がしていることが気になることはありませんか。

まったく知らない人がやっていることは気にならないのに 同じ年頃の人とか同業者の人がやっていることはなぜか気になるものです。とくにライバルのように思って居る同業者の動きは 些細なことでも気になります。

それはごく自然な人間の心理なのですが そればかりを気にして行動をしていたら疲れるばかりでなく 競争に負けてしまうことになります。

他人のことが気になる人の特徴は その人に理念がないことや 人生の目標がないことが原因です。

では目標があれば 他人がしていることが気にならないかというと そでもありません。自分の目標を実現するために 自分が気づかなかったことを学ぼうとしているわけで 気になる内容が違います。

私は「ほぼ日」というお店のことを追っかけています。糸井さんという経営者が考えておられることが気になるからです。

私は伝道の仕事で 糸井さんは物販の仕事で 内容はまったく無関係です。ところが糸井さんがやっておられることは 場を準備したら花を咲かせることが出来る人を見つけ その人を育てるビジネスです。

その発想が興味深く ビジネスモデルの変化が気になっているのです。

人のことが気になることがよくないということではなく 自分を見失わないようにしておかなければ 他人の人生を借りながら生きる人生になりかねないということです。

 

 

研修の後で


きのうは企業の中堅どころのみなさんの研修会でした。

研修が終わった後で夕食をいただきながら 参加者の家庭生活の話しになりました。みなさんが話される様子を聞いていると 家庭の様子が非常によくわかるのです。

お聞きしながら なぜこんなによくわかるのだろうかと不思議でしたが そのうち話しておられる人が 隠し事をされていないんだと気づきました。

子どもの病気のことや奥さんの性格 日常会話のことなどを素直に話されていたのです。他人に聞かれたら困るという意識がないから なんでもお話しされたのだと思います。

このような屈託のない雰囲気を 意識的に創造するにはどうしたらいいのだろうと考えているのですが よくわかりません。

その人たちだけの席であったこと もてなしの料理がすべて手作りであったことも無関係ではないと思います。

そしてなによりも 心が許せる参加者と 親身になって聞いてもらえる質問者がおられたということが何よりのことであったと思います。

 

 

携帯電話の時代


携帯電話の時代になって 世の中が変わり始めています。

先日 関西にお住まいのお方に電話しようと思い 住所を告げて104に問い合わせました。結果は登録されていないということで 固定電話を架けることが出来なかったのです。

そのとき思ったことですが これからは携帯電話だけの時代になるのでしょうか。

携帯電話だけの時代になると 用件がある個人に電話をすることになるので便利ですが 携帯電話の持ち主は 誰彼となく電話番号を教えていただけないのではないでしょうか。

世の中が個人主義化し 電話を使った犯罪が増えて物騒になってきていますので どのような犯罪に巻き込まれるかわからないという不安がある野だろうと思います。

携帯電話は便利なモノですが 紛失の恐れは大いにあります。一旦紛失したら あらためて番号の変更通知をすることにもなり大変煩わしいことになると思います

。固定電話は本籍地のようなもので そこを尋ねたら必ず本人に繋がるというものなのですから ぜひ加入をしておいて欲しいものです。