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アーカイブ:過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

つまみ食いの人生



振り返ってみると これまで「つまみ食い」をしながら生きてきたような感じがしてきました。

あれもやり これもおもしろそうと手を出してきて 自分が本当にやりたかったことは何だったのだろうと振り返ってみたのです。

「あの人が生涯を通してやってきたことは何だろう?」と 整理しなければならないような生き方をしていたと思ったからです。

仏教の勉強をした人とか 熱心に布教をした人とは見えないはずです。

あるいは事業にも手を出して成功した人とか お坊さんをしながら地域に貢献した人ということでもありません。

いま評価を受けるとしたら 興味がわいたことに手を出し 真髄を極めることなくあれこれやった人になるはずです。

それも一つの生き方ですから 悔やんでいるのではありません。

このスタイルを徹底して おもしろいものをつまみ食いしながら あらためて自分の人生模様を描こうと思います。 


 

 

自分には何ができる?



東野圭吾さんの本が 電子ブック化されて発売されるようです。

東野圭吾さんが人気作家であることは知っているのですが 作品は読んだことがありません。

その東野さんが 閉じこもりを強要されるこの時期に「私の本が役に立つのであれば」と 電子ブック化をご自身から申し出られたようです。

電子ブックにすることについて 積極的でない作家はたくさんおられます。

その理由はわかりませんが 紙で読むことを念頭にして書きあげた作品を パソコンとかアイパッド スマートフォンのディスプレイで読んでほしくないと思われているのかもわかりません。

今まで電子ブックで出版しなかった作家が この時期だからぜひ電子ブックで読んでもらえたらと自分の本を電子ブック化されるのです。

新型コロナウイルス感染防止支援の姿勢として すばらしいと思いました。

そのニュースを読みながら 自分にも何かできることがないだろうかと考えています。


 

 

誕生日のお祝い



18日はお世話になっているお方の誕生日でした。

そのお方へ何かお祝いの気持ちを届けたいと思っていた家人が 「高齢の独身男性だから お弁当をつくってさしあげよう」といい出しました。

さっそく頭の中でメニューづくりが始まったようでした。

そして当日 季節の食材を中心に ご本人の生活ぶりなどをあれこれ考えてお弁当が完成しました。

フキと炒り卵を乗せた二色ご飯。

お酒もお好きなお方なので お酒も楽しめるお菜が出来上がりました。

そして最後に器探し。

いただいてくださった方が わずかでも「うれしい」と感じてくだされば それが私たちのよろこびになります。

よろこびは分け合ったほうが大きくなるようです。


 

 

行事の中止



これまでウイルス感染に一抹の不安を感じながらも 中止せずに続けていたお寺の行事をこのたびは中止します。

今月に入って12日の行事は実施しましたが 全国に対して「緊急事態宣言」が出されましたので 19日と26日の行事を中止することにいたしました。

チラシと ハガキによってご案内をしていたのですが あらためて口頭とハガキで中止のお知らせをしました。

中止ハガキの文面を考えながら 「これは文書による布教をしなさい」というメッセージと考えて文章を推敲しました。

85枚のご案内ハガキを出しましたが お参りは30人から40人くらいと予想をしていました。

でもこのたびの中止ハガキの文章で 2回目の布教が85人の皆さんにできることになったのです。

そう考えながら 「お浄土からの道は ことばになって届いている」と 4行のことばを書きました。

何事もポジティブに考える習慣を身につけたことが役に立ちます。

 

 

伝統を初めて疑った



きのう初めて一つの伝統を疑いました。

それが間違った考えであるかどうか その結論が出るのは50年先だとも思いました。

どのような伝統を疑ったかというと お寺にお参りすることは大切なことだという思い込みの伝統です。

お寺にお参りしてお話を聞くこと行動の是非ではありません。

そこで何が説かれ何を聞いておられたかという お話しの内容についての疑いです。

お寺では仏法を聞くことができるのですが その内容はほぼ伝統に従って説かれます。

それを聞き続けた結果は 何かの形で現在の暮らしに現れているはずなのです。

若者たちに頼られることもない僧侶やお寺。

家族葬の増加に見られる 縁起観の消滅。

どこか何かに 社会との乖離があるのではないかと疑いが芽生えたのです。


 

 

香り



山菜取りの季節です。

我が家でも 山菜がたびたび食卓にのります。

きのうはフキと三つ葉を採りました。フキは今年3回目 三つ葉は初めてです。

フキの下ごしらえをしながら気づいたことがあります。採る場所によって香りが違うことです。

畑の端で自生しているフキの香りより 肥料などをもらうことがない庭に自生するフキの香りが強いことに気づいたのです。

包丁できざむとき ゆがくときにフキの強い香りがたち 野趣を感じさせてくれたのです。

フキにも個性があること 野生のものにこそ個性が強く出ることを知りました。

人間も同じですね。


 

 

『日めくり』



我が家のトイレには三つの『日めくり』を置いています。

まことに不謹慎に思いながらも 毎朝用足しに行くたびめくっています。

その場所なら確実に目にしますし 頭が澄んでいるように感じます。

一つは『歎異抄』の『日めくり』。

二つ目は全米仏教会でつくられたもの。

三つめは世界遺産の大森銀山にある「群言堂」というお店でつくられた写真入りのきれいな『日めくり』。

そして四つ目が禅僧でもある 書家の相田みつをさんのもの。

この四つの『日めくり』を毎朝読むのですが 一番わかりやすく すう~っと頭に入るのが群言堂のオーナーが書かれたものです。

次が相田みつおさんの日めくりで 『歎異抄』の『日めくり』は一番難解に感じます。

なぜそのような順序になるのか考えて見ると 人生を見る視点が逆になっているからです。

外を見ないで 内を見る。

目先を見ないで 遠くを見る。

自分の目ばかりを頼りにしないで 他者の目を借りて見る。

そのことに気づいて 人生の学び方を考え始めています。 


 

 

ユーモア



ベテランといっても50歳代の女医さんが 「足を鍛える運動に これをお勧めします」といて片足立ちの運動を紹介されました。

「テレビを見ながら コマーシャルになったら1分間片足立ちをするのです。それで足がつよくなりますよ」というお話でした。

放送の間に入るコマーシャルタイムが 1分であることは知りませんでした。

続けにくい運動を 「テレビを見ながら習慣化しょうよ」というアイデア。

そしてその時間を コマーシャルタイムで説明されたことにユーモアを感じたのです。

医師と患者という関係の中では 医師が私生活を話されることは珍しいことに思えます。

「見たくもないコマーシャルを我慢して見ていないで 有意義に利用しましょうよ」という提案に聞こえたからです。

女医先生も コマーシャルタイムにはかなりうんざりなさっている感じであると十分に伝わりました。

 

 

言行一致



『日めくり』に 「いうことと行いを一致させよう」ということばがありました。

自分の行動を振り返ってみると 行っていることは平凡なことばかりで ことばにするほどのことは行っていないことに気づきました。

まず「日記を書こう」とか「人にはやさしくしよう」という宣言などしていないのです。

気持ちの中や周囲の親しい人にたいして 「親しみやすいお寺にしたい」とか 「後ろ姿で目標を実現しよう」などとはつぶやいていますから それを実行することが行いになるとはいえます。

ではそれが一致しているかというと やっていることは遠回りのしかも簡単なことばかりに思えるのです。

庭を耕して花を植えたり 姿勢を正して読経をする。

あるいはメリハリをつけてお葬式をお勤めしたり 生活に落とし込んで仏法を語る。

気づいたことを少しずつ実行しているだけなので この『日めくり』のことばは自分自身で評価できにくいことばでした。


 

 

おかしいのかな?



洗濯物を干すのは ほぼ私の日課です。

いつものようにテラスで洗濯物を干していたら 裏庭から来られたご婦人が 「洗濯物を干されるのですか?」と驚いたような口調で話しかけられました。

「はい いつも干していますよ」とお答えしたら 「そうですか」とだけいって庭に入っていかれました。

干している姿を見られたとき 一瞬「何かいわれるだろうな」と感じたのですが その通りでした。

男の人が洗濯物を干すことが珍しいのか それともお坊さんがしているのが珍しいのか。

想像しにくい光景を見たような反応でした。

そのような驚きがある社会は 次第になくなると思いますが まだ片隅では残っているのです。