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アーカイブ:過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

使わないと思い出せなくなるのだろうか



お寺に出かけてお話をさせていただいていたころは 仏教の専門用語や大切な法語は少しばかり覚えていました。

ところが お話に出かけることをやめ 人前でことばを使うことが減って とっさに思い出すことができなくなっています。

加齢の為と思いたくないので この現象は 使うことが減って引き出しの奥から取り出すまでの時間がかかっているのだと思うことにしています。

それにしても昨夜 「四苦八苦」の一つである 「求不得苦」を思い出すの数時間かかりました。

このようなとき 辞書やパソコンで調べたら簡単ですが そうしないで思い出すことをしているから時間がかかります。

でも そのご褒美として「すっかり忘れていたのではなかった」という安心感と「思い出すことができる」という自信も生まれることはうれしいことです。


 

 

周囲は花の里でした



昨日 地域の高齢者の送迎で 地域の集落をあちらこちら走りました。

その途中は まるでお花見のような楽しい時間で 同乗の高齢者の方たちとにぎやかに過ごしました。

川土手沿いに 牧場の周囲に植えられた大きな桜の木の花が満開でした。

そればかりか 自宅の前後や駐車場の周囲にも植えてある家もあって 地域一帯が花の里になっていました。

午後になって小雨が降り始め 落花する風情も楽しむことができて 至福の時間を過ごしました。

統一地方選挙の賑わいも消え 静けさを取り戻した地域に 花が咲き 花が散る一瞬を見ることができたことをうれしく思いました。


 

 

お土産



遠来のお客さんから お土産としてその地方の名物お菓子をいただくことがあります。

食べものにはかならず消費期限が記されていますが 当日のものをいただくこともあります。

昨日いただいたお菓子は 堺市からのお客さんのもので お饅頭が20個。

そして消費期限は4月6日。

二人家族で食べきることも お裾分けする人も思い当たらずに 冷凍保存することにしました。

そのとき 当日が消費期限と知りながらお買いになった思いを推察したのです。

消費期限のことを意識されなかったこともありますが そうではなく 一番美味しいときに食べて欲しいという気持ちであったと解釈することにしました。 


 

 

宇宙人は実在する?しない?



研修に来られた方から 「昨夜 宇宙人の襲来の夢を見た」という話がありました。

その日の折々に 「宇宙人は実在していると思うかどうか」という話題で盛り上がり ちょっとした気分転換の時間になっていました。

私は実在するかどうか真剣に考えたこともなく 信じておられる人たちのストーリーを聞いたこともありません。

会話に参加するきっかけに お釈迦様のお話をして私の思い方を伝えました。

お釈迦様が「霊魂はあるか」と問われたとき 「ノーコメント」の姿勢をお続けになったという「四無記」の例話です。

例話の内容は 「あるかどうかわからないことを考えて議論することに はたして意味があるのだろうか。それより大事なことを考えなくていいのか」というお話と理解しています。

そんな話をして会話に水を差してしまいました。

私は「宇宙人の存在を確かめ 関わることができるまで生かす」という約束をもらっていません。

無自覚ではありますが 人間として「いま」「ここ」にいのちをいただいた
ことを大切にしたいと思っているのです。

 

 

目には見えないが 繋がる糸は確かにある




おととい企業のトップの方から 「残業して仕事をかたづけようという社員が減りました」という話が出ました。

その方は 働き方改革に逆らうという思いで話されたのではありません。

「その日の仕事をきちんとケジメをつけて退社する」とか「翌日出社と同時に仕事にかかれるように準備する」という姿勢が薄れていることを嘆く話でした。

その話を聞いて 「そのような考えの人たちが増えてきたのか」という感想はもちましたが だからどうしようかというアイデアを巡らそうとはしませんでした。

ところが昨日事業所で 机の上にあったビジネス書をめくっていると 「納品がない受託開発 管理がない企業経営」というタイトルの会社の紹介がありました。

その中に その企業の働き方が紹介してあって タイトルに惹かれて画面を見ました。

読みながら「こんな働き方も出来るぞ」と 見えない糸がのびてきて昨日の話と繋がりました。

その繋がりの善し悪しは別にして 「念ずれば花開く」という坂村真民さんのことばを思い出しました。


 

 

タケノコのお刺身をいただきました



おもてなしの夕食にタケノコのお刺身が出てきました。我が家でのことです。

数日前にスタッフのみなさんが決めておられた献立にはなかったもの 驚きました。

「Aさんが掘りに行ってもってきていただいたものです」 という説明を聞いて感激しました。

Aさんの実家で掘ったそうで 実家は20分離れたところにあるのです。

昨夜のために 実家まで出かけていって まだ地上にのぞいていないタケノコを藪を歩きながら探し出してくださったのです。

じつはタケノコのお刺身を食べたのは2度目です。

最初のときはすでに地表にちょっぴり頭を出したものを自分で掘って食べたのですが   すでに「えぐみ」があり美味しいとは思えませんでした。

今回いただいたお刺身はえぐみがなく さわやかな風味とシャキシャキした歯応えをしっかり楽しめました。

お刺身には これも近くの渓流で掘ったワサビがおろされていて ほのかな甘みもご馳走でした。

スタッフのみなさんの気配りにありがとう。そして田舎にバンザイ!


 

 

神輿を担ぐ人とぶら下がる人



「神輿にぶら下がる人をなくそう」という話を何度も聞いていましたが いまは聞くことがなくなりました。

お神輿というものは みんなで担いで練り歩くものと思っているものなのですが 担いでいるふりをして実際には担がず楽をしている不届き者をなくそうという話です。

お神輿はたいへん重いもので 参加した仲間が力をあわせて担ぐのです。そうすると重い神輿だって軽く担ぐことが出来るのです。

ところがいやいや参加した人や こんなことで身体を痛めたくないという考えをする人は 担いだ格好をしながら前後の人の力を借りて 力を抜くというわけです。

20人で担いでいる人々の中で 3人の人が力を抜いていたら 17人で担ぐのと同じで重さが増えます。

この話は 一つの目標に全員が力をあわせて向かうことの大切さをいっているのですが はたして伝わっているのでしょうか。

神輿担ぎの勇壮さや雰囲気が広く知られる環境や時代であればいいのですが 神輿の重さが想像できない人には 「適当に力を抜いて休めることだ」という解釈もありそうです。

目標に向かって全力を尽くす大切さを伝える例えとしては 通じなくなっているかも知れません。


 

 

誰に何を呼びかけていたのだろうか



いままでお寺の本堂でやっている行事は 布教を目的にした「法座」でした。

ときには 落語会やコンサートのような行事を企画して使うこともありました。

いずれの場合も チラシとかハガキなどで案内をするのですが お見えになる方の顔ぶれは大体同じです。

身近なところに16世帯あって30人の人が暮らしておられますが 20年くらいの間に本堂に入られた方は10人くらいです。

足が不自由になられた人や 日程が合わないこともありますが 寝たきりになってはおられるわけではありません。通院や通学 仕事には行っておられますから 外出は出来るのです。

休日の使い方もそれぞれ違いますが その選択肢にお寺へ来ることが選ばれないのです。ふりかえって見ると その理由を考えようとしたことはありません。

いまあらためて地域とお寺の関係を見直したら お見えにならない人々にとってお寺は必要でないことがわかりました。

想像も出来ないフレンチのフルコースを 「美味しいですから ぜひ召し上がって見ませんか」と宣伝していたようなものです。

 「みんなで一品持ち寄ってお花見会をしませんか」と呼びかけて 「法座の真似事」をすることからはじめてもいいか という思いも出てきました。


 

 

新年度



国も学校も そして多くの企業も今日から新年度になります。

入学とか進学 それに入社とか異動などが行われる日でもあります。

特に大きな変化として 働き方改革で新らしい制度が始まりますが 自分の働き方はどうなるのでしょうか。

年度が変わり環境が変わったからといって 自分が変わるわけではありません。

環境や制度の変化は 自分を変える機会と受け止めてみたらどうでしょうか。

環境に慣れてしまうと 変化が出来にくくなります。

たとえば「退出時間を5分早くする」「挨拶の声を大きく」「声掛けを増やす」といった毎日のことを変化させてみませんか。

「変化した」という体験と「変化できる」という自信は 年齢に関係なく身につけられると思います。


 

 

プロ野球が始まりました



日米のプロ野球が始まりました。

イチロー選手の引退や ドラフトの目玉になったルーキーたちのデビューなどあっておもしろそうです。

菊池投手が先発したアメリカの野球を見ながら 日本の観客との違いを感じていました。

とくに感じたことは応援のスタイルの違いです。

応援チームのカラー服を着て 声を揃え選手の名前を叫ぶスタイルは日本流です。また二つのチームの応援団がはっきり分かれているのも日本流。

アメリカの観客はどちらのチームを応援しているのか 一瞥しただけではわかりません。

横の人とおしゃべりをしたり いいプレーをした選手が相手選手でも拍手したり どちらの応援にきているのかわかりにくいのです。

日本の観客同じとは思うのですが アメリカの観客の方が 勝負へのこだわりよりも 野球を楽しんでいる雰囲気を多く感じます。

野球の歴史と 国民性の違いであろうと思いながら 今シーズンもときどき見ることになります。