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アーカイブ:過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

おなら

お寺の行事にお参りしたときの出来事です。

控え室でおおぜいのお坊さんたちと法衣を着て身だしなみを整え、いざ本堂に出仕しようと立ち上がりました。

そのときです。

「プッ」と、自分ではさほど大きくは思いませんでしたがおならが出ました。

一瞬、周囲のお坊さんたちに「聞こえたかな?」とも思いましたが、「いやいや聞こえなかっただろう」と思い素知らぬ顔で歩きました。

家に帰ってこの出来事を家内に話しました。家内は、そのとき「それは聞こえたよ、アッごめん」といえばよかったのにといいました。

高齢になるとよくあることだし、笑って終わったのにというのです。そうでなければ「おならをしたこともわからないようになった」と思われるかも知れないというのです。

「いうべきか、いわざるべきか。それが問題だ」とシェークスピアの台詞のように考え始めています。


 

 

解体開始

お寺の門前にあるお宅の解体が始まりました。

このお宅は、一人暮らしだったお方が施設に入所されしばらく空き家になっていました。親戚の人たちと相談して、倒壊の恐れがないうちに解体することになったそうです。

「向こう三軒両隣」ということばがありますが、ついに「前に家なし隣なし」になってしまいます。

昼間の孤立には耐えられますが、夜間に灯りがないことはとても淋しいことです。せめて灯りだけでも点けておこうと、本堂の正面に明るい常夜灯を設置しました。

この灯が消える日がくるときもあるでしょうが、それまでは孤立せずにおもしろく暮らそうと思います。

 

 

小春日の翌日は寒波襲来。

毎年この時期の気候は不順ですが、あまりにも変化の巾が大きくて戸惑っています。

お参り先で雷がなっている音を聞いていました。我が家に帰ってパソコンを立ち上げたら、いきなり「インターネットにつながっていません」というサインが画面に出て来ました。

「落雷?」と直感したまではよかったのですが、ケーブルやルーターを点検しても素人の悲しさで回復できませんでした。

夕方でしたが出入りの業者にお願いして点検していただきました。15分もかからずに無事に回復させていただき助かりました。さすがはプロです。

「どうなっていたのですか?」とお尋ねしたら、「たぶん雷が鳴って、コンピューター保護のために自動的にネットワークを閉じたのでしょうかねえ」というお答え。「リセットボタンを押したら回復しました」といわれました。

落雷ではなかったようですが、激しい雷鳴のために起こったトラブルでした。

子どものころから雷とのおつきあいをしていましたが、恐怖心を感じたことはありませんでした。でもパソコンを持つようになって、メカ音痴の私には雷が新しい恐怖になりました。


 

 

小春日


明日は小春日和という予報を聞いて、柚子を採ることにしました。「小春日」ということばに後押しをしてもらいました。

我が家にある柚子の樹は、昔からある古くて大きなもので急傾斜面にあります。

足場が悪く、高剪りバサミを最長に延ばしても最上部には届きません。

採りやすいところから採ってゆくのですが、枝の隙間から実がついた枝にハサミを当てるのは時間がかかるものです。

家内はこの柚子でさっそくジャムを煮るといっています。毎朝いただくヨーグルトのトッピングにするわけです。

自家製のジャムは、糖分を控えた香りのいいものが出来るので楽しみです。


 

 

殺生

今年はくさい匂いを出す虫が異常発生しています。我が家にも沢山いますが、お参りに行く家でもほぼからず見かけます。

お参りのあとの片付けの途中で、その虫を見つけた家の人が、「虫を捕ってもいいですかね」といったり、私に見せないように虫を捕らえられる様子も見かけます。

仏事のときに殺生をしようとしていることへの後ろめたさがそうさせるのだと感じるのです。仏事という行事には、殺生を戒める力があるのでしょうか。

仏の教には、不殺生戒という教えがあります。そのような教えを、いつどこで誰から学ばれたのかわかりませんが、かって聞かされていたことを、仏事をきっかけに思い出されたのだろうと思いました。

そのときタイミングよく、不殺生戒(無益な殺生は止めよう)、不偸盗戒(盗みをしてはいけない)、不妄語戒(嘘や悪口は慎もう)といったお話しをしたらよかったと、帰ってから気づきました。


 

 

その後の心境

2週間前にご主人を見送られたご婦人に、その後の心境をお尋ねしてみました。その場にはもう一人ご主人を亡くされたご婦人もいらっしゃいました。

「ご主人の夢を見られましたか」という問には、「いいえ、一度も見ません。まだ隣の部屋に行けばそこに寝ているようで」といわれました。

隣の部屋で養生しておられたのですが、急に容態が変わってのお別れだったのです。

私は、「どこに行ってしまったのだろう」とか、「今ごろはどうしているのだろうか」というお話しを期待していたのですが、それはありませんでした。

お二人ともまったくそのようなことばを口にされませんでした。

「なぜだろう」と考えながら、ふとある思いが湧いてきました。

お亡くなりになったその人のことは、考えても仕方がないと思われているか、あるいは考える必要がないとお考えなのかのどちらかということです。

さてどちらなのだろうか、次の機会にお尋ねしようと思っています。

 

 

甘いのだろうか

昨晩お酒の席で日馬富士関引退の話題がありました。

暴力事件で大相撲界の名誉を傷つけたかと、世間を騒がせたことの責任を取って引退するという出来事が話になりました。

暴力事件の原因は、被害者の態度が悪いという注意から生じたものという理解をしていました。マスコミで伝わっている理由以外には想像できませんでした。

ところが原因について全く違う話がネット上に流れていることを聞いたのです。

それは、「モンゴル会」というモンゴル出身の力士さんたちの会にまつわる話でした。その話に加えて、かって相撲界で事件になった八百長問題の話が出たのです。

私たちが知らないモンゴルという異国の文化のこと、そして大相撲界の文化のことを重ねて考えてみると、まったく違う問題として疑うこともできるのです。

もしそれが事実なら、私のようにマスコミで伝えられる話を信じて暮らす人々はお人好しの集団です。何を信じていいか、怖くなってしまいます。

私はマスコミの裏を想像することはめったにしませんが、それを「甘い」といわれても仕方がないかと思っています。


 

 

マンガのおもしろさ



急にマンガとか絵本のおもしろさを感じるようになりました。

本堂内に地獄の絵を展示しているのですが、ひそかに関心が向けられている気配なのです。

先日、『君たちは、どう生きるのか』というマンガ本を購入しました。私が生まれる前に出版されていた本が漫画化されたのです。

さっそく目を通していると、「オッ、これは仏教に通じる本だ!』と思ったのです。

お釈迦さまの教えが、現代化されてマンガになっているように思えたのです。

大急ぎで読み終え、もしそうであれば、みなさんにお勧めしたいと思うのです。

どのような媒体からにしても、真実に気づくことが出来たらうれしいのです。


 

 

時間という贈りもの

「年に一度であっても、こうして我が家に来てくださることがうれしい」というお方のことばを聞きいてハッと気づきました。

過疎、高齢化の地域では、他人と話す機会がめっきり減るのです。

話さなくても、「ひと中」に群れるとか交わるという状態が減るのです。

過疎でお隣が遠くなります。高齢化で足腰が衰え、移動がおっくうにあるいは不自由になります。

そのような状況で、自分のところに来てくださる方があることがうれしいといわれたのです。

今までと変わらない訪問であっても、周囲の状況が変わったことでうれしさが変わったのです。

訪問する側からいえばそのお方に「時間を贈る」ことでもありますが、受け取る側で感じることは「一人ではない」という大切なものだったのです。


 

 

禁煙の表示

「店内禁煙」、「おタバコはご遠慮ください」と張り紙をしている場所が増えてきました。

愛煙者にとってはつらいサインですが、タバコを吸わない人にとってはうれしい張り紙でしょう。

ところがこのサインは寺院や教会のような礼拝施設で見かけることは少ないように思います。「なぜだろう」と気づき推測していることは、その施設を利用される方々のマナーを信頼されているのです。

また礼拝施設全体へうやまう心があるからではないかと気づいたのです。

高級ホテルのロビーとか高級といわれるレストラン、あるいは美術館とか劇場でも見かけることが少ないのは、同じようにわきまえられていると見えます。

あらためてサインを出すか、それとも出さないか。その施設を利用されている人々の雰囲気がサインになるといいと思うのです。

そしてその雰囲気の理解に異なる方がおられたら、教えてあげたらいいと思うのです。