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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

お礼



合掌

長い間おつき合いをいただき ありがとうございました。

本日でこのページを明け渡します。

新居でお待ちいたしておりますので どうぞお立ちよりください。

https://kidukikenkyu.jp/


 

 

提案者はどちら



お寺に届く本山からの機関誌があります。

今年からその紙が変わったことはブログに書きました。

それは本山の関係部門が提案したことか それとも委託している出版業者が提案したことかを考えています。

本山が考えたこととしたら その気配りのレベルは相当に高いものです。

組織全体の気配りレベルも高くなるものなので これから動向を期待したいのです。

業者の発案としたら この改革を機関誌の改革だけで終えずに 組織活動全体に広げて欲しいものです。

私の感じでは 残念ながら業者の提案による改革と思っています。

お知らせ:あと一日で引っ越しを終えます。新居でお待ちいたしております。https://kidukikenkyu.jp/


 

 

どう思われますか



京都のホテルからタクシーに乗った。目的地への途中 知恩院さんの門前を通過したときのこと。

車窓から 2024年に計画されている大きな行事のポスターが見えた。

「念仏して幸せに」だったか「念仏して幸せを」だったのか とにかくそのようなキャッチコピーが見えた。

このポスターを見たら 念仏が幸せになるために役立つものと理解する人は少なくないと思う。

現代の人々にとって「幸せ」とは 自分や家族などのご利益のことだ。

それが念仏することで実現する。そう思わせるキャッチコピーに思えた。

単純に読んではいけないのかもしれないが そうとしか理解できない。

仏教への関心が薄れることへの焦りから出た勇み足だろうか。本当にそうなのか 聞きたい。


 

 

手考足思


京都で半日時間がとれたので 河井寛次郎記念館に行った。

民藝陶器を中心に展示されていたが 部屋に掛けてあった言葉がすばらしかった。

帰宅して入館券を見たら「土と炎の詩人」という紹介があり なるほどと思った。

ある部屋に掲げられていた額の文字に 「手考足思」と墨書されていた。

館内を回りながらその意味を考えていた。

河合さんの体験から 仕事は「手元で考え現場で学べ」という意味かと理解した。

とかく現場を忘れがちになるが 現場こそ気づきの宝庫だ。

現場とはビジネスの最前線であり 仕事を評価されている場所。

土をこねろくろを踏む。窯の炎を見守る。陶芸の現場で生まれた言葉だ。

 

 

本願寺へお参りしました



神戸でのお参りを終えて 修復を終えた国宝の本願寺阿弥陀堂へお参りしました。

駐車場に黒塗りの白ナンバーのミニバンがずらり。

組の方々が懺悔にお参りされたのかと思ったら すべて修学旅行生が利用している車。

運転手さんに案内され本堂に上がる女子学生の姿を見たのですが どんな思いでこのお寺を目的地に選んだのか理解不能。

京都の観光地としてお寺を選ぶことは不思議ではないが なぜ本願寺なのかと考える。

歴史の勉強なのか それとも仏教のそれなのか。

あるいはもっと単純に駐車料が無料とか 京都駅に近いから。

こんなことを考えるのは 自分が拝観か参拝か分別しようとしているからで。

修学旅行の在り方は時代とともに変化しているようでなので 方向を知りたいのです。


 

 

評価は常に正しい



他人からの評価をどう受け取るか。一概にはいえないが 一旦は「その評価は正しい」と受け取るようにしている。

評価される内容が絶対いうこだわりがないからです。

いただいた評価を正しいと受け取ったあとどうするかは次のことで そこに自分の成長があると感じている。

その評価は間違っていると決めつけたら おそらく成長はない。

受け止め方が素直であればあるほど 成長は大きい。

バラを観に来られた方が 庭が「広い」と評価してくださった。私たちは意識していなかったのだが いわれてみたら確かに広い。

そう受け止めたら 管理能力に応じて狭めたらよいと割り切れる。

野性味がある庭とも評価されたので 草花の成長特性をもっと大切にする庭に出来ることに気づかされる。


 

 

「考える」とはどうすることか



「自分で考えなさい」とか「しっかり考えてから」という声をきくのは珍しいことではありません。

研究者や哲学者が机に座り時間の大半を使っていると思うことも不自然なことではありません。

ロダンの「考える人」という名作もそのイメージを膨らませてくれています。

ところが現実において「考える」という行動は 決して頭を抱えて思い詰めることではないと思うのです。

現状を疑うこととか会話をしながら他者の意見を聞くことなど コマ切れのような時間が考えることの基本にあるのです。

疑ったことを実行してみることや 他者に話すという行動を繰り返して自分の思いを整理する。

思いを外に出して風に当ててみる 資料で確認する。そして見直すことの繰り返しが考えることなのでしょう。


 

 

お庭に看板を出しました



お庭の見学者少しづつ増えています。バラも見ごろになってきました。

在宅のときは声掛けして少し会話をしますが 留守のときはそれが出来ません。

そんなとき 私たちの思いの欠片をお伝えしたいと看板を出しました。

管理人:後期高齢者2人。

お庭の特徴:

①よく見せようとしているのに かってに育っているお庭です。

②「きれい」より「これもいいね」といわれることがあるお庭です。

③間もなく手入れが出来なくなることを思わせるお庭です。

お庭をそのように楽しんでいます。

 

 

目標と方向とそして私



事業所の決算発表の時期になった。

一年間の活動の結果と見えてきた課題の発表。今年の事業の方向や予算を説明して了解をいただく行事だ。

さらにそれを実現する人事体制も発表される。

そのとき思うことは 発表される方向が理解できないと目標を達成することが出来ないということだ。

まず説明者が十分に理解していなければ説明が曖昧になる。

なぜその方向に向かうのか。実現するために何が必要か考えて話さなければならない。

それを聞いた人は 自分の立場で何をするか考える。何が課題なのか考える。

事業所全体で方向が理解され 自分の実行課題になった結果が数字になるはずだ。

この原則を自分自身のこととして考えている。


 

 

自慢のお庭になりました



「野性的なお庭ですね」といわれました。

今年初めて我が家の庭を始めて見られたご婦人の言葉です。

家人は「手入れが出来ていない」と受け止めて「恥ずかしい」と感じていました。

私は「それぞれの花が自由奔放に伸びて咲いている」といわれたものとうれしくなっていました。

そして思ったことは そうならば通路だけはきれいにしようと思い草抜きをしたのです。

その効果はてきめんでした。

昨日お見えになった2人のご婦人から「きれいに手入れをされていますね」といわれたそうなのです。

その話を聞いたときしてやったりと思いました。

そして我が家のお庭は 「野性味を楽しむお庭」と格付けしました。