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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

お参りは短い方がいい


「お参りの時間は短い方がいいです」。大阪からお参りになったご家族に 「この後の予定がありますか?」とお尋ねしたときのお返事です。

その日は ご主人と息子さんお二人の仏事でした。

最近仏事の回数を減らそうと考えられる傾向が目立つようになり 複数の故人の仏事をお勤めする機会が増えました。

長いお経を一巻読ませていただくときと 短めのお経を二巻お勤めするときと その場の様子を見ながら決めるようにしています。

その日は夕方からのお参りで 久しぶりで集まった姉妹の懇談もあるらしく 「短く」というご希望でした。

話を聞いてお参りを始めたのですが お二人の故人のことを思い出し 自分の思いで二巻のお参りをさせてもらいました。

一巻目が終わるとき 「また会えるようにいているよ」と 如来様が約束してくださっていると感じ 読経を続けてもう一度お聞かせいただきたいと思ったのです。

そのことをみなさんにお話ししたら 涙を流しながら聞いてくださいました。


 

 

闇に光を



お寺の塀にそって 照明を点けました。60個の電球が暗い夜道を照らします。

仏さまの教えは 人間の闇を破る光です。その事実を形にして気づいていただきたいと思い 実行しました。

地域を活性化する専門家の指導を受けながら 有志スタッフのみなさんと話し合って始めている改革の第一歩です。

この「光プロジェクト」は始まったばかりで これから少しずつ充実させていきます。

昨夜 照明が点った様子を見に道路に出てみました。お寺の塀に沿った道があかあかと照らされていました。空を見上げるときれいな星空と三日月が 「負けたよ」と笑っているようでした。

人生の闇に光を届けるお寺を実現したいと思います。

 

 

達人


世の中には達人といわれるお方がたくさんおられます。何かの極意を極め 自他共に認められるところに到達した人の敬称であると思います。

そこでふと思ったのですが 「聞くことの達人」といわれる人はおられるのでしょうか。今まで「聞くことの達人」という人のことを聞いたことがありません。

お釈迦様のお弟子さんの中で 10大弟子と称されるお一人に 「多聞第一」と賞賛されたお方がおられたそうです。

そのお方は お釈迦様のお話を誰よりもたくさんお聞きになったお方ということで 多聞第一という称号なのですが 必ずしも聞いた回数の多さのみではないと思います。

回数を重ねるためには さらに真実を求めていく求道心が不可欠です。

自分でわかったつもりになることなく 謙虚に耳を傾けることが大事です。

そんなことを考えていたら 謙虚に話を聞いていると沢山の気づきがあり いつしか「聞くことの達人」になれるのでしょう。

 

 

働き方改革


働き方を見直そうと思っています。私が行う働き方改革は 国会を賑わしている働き改革というものとは趣旨が違います。

環境が変わり人々の暮らし方が変わって 自分の役目に変化が必要になってきているのです。

独居の高齢者が増え お寺参りや自宅での法事は困難になりつつあります。核家族化によって法事の勤め方などの伝承も出来なくなっています。

これまで出来ていたことが出来なくなり 過去の行事やそのやり方を 原点から見直さなければならない時が来ているのです。

少子高齢化して過疎地になっているという現実は 刺激とか面白さが見つけにくくなる現象にもなります。その中で 自分の方から あえて刺激や面白さを創り出す役目を担おうと思い始めているのです。

五感で感じていただく刺激とか面白さを考え お寺の目的を見失わないでその発信拠点にしようと思っているのです。

かって越後の地や稲田の地に居を構えられた親鸞といわれるお坊さんとそのご家族がありました。他所から来られた親鸞さまとそのご家族の暮らしは その地域の人々に刺激や楽しみを与えたと想像しています。 

そのお方々の 信仰に支えられた暮らしに接した人々にとって 新しい希望が育まれたことだろうと考えているからです。 

 

 

金遣い


すこしばかり昔のことになりましたが あの人はお金遣いがキレイとかあるいは汚いとかいうことばを聞いたことがありました。

また金遣いが荒いとか細かいということばも聞きました。

近年はそのどちらも聞くことが減ったように感じているのですが 話題が出る場にいることが減ったためなのか あるいは社会全体のお金についての見方が変わったためなのかよくわかりません。

これからのお寺のあり方や過疎地域での暮らしを考えているうちに お金の遣い方を考えるようになりました。

苦労していただいたお金ですから自分や家族のために使うことは当然のことですが その使い方について聞こえてくるのは 品物の値段のことや損得のことばかりに聞こえるのです。

「応援してあげたいので 高くても買います」とか 「たくさん税金を払えるようにならないと」といった話があまり出ないのです。

お金遣いの話題で 世の中がどう進んでいるかわかるような気がします。

たとえ口先だけでも 「お金は天下の周りものだから」といいながら 他の人と一緒に喜こぶお金遣いの話題を増やしたいものです。

 

 

三頭目の仔牛



お参り先で仔牛が生まれました。

その家のおばあさんがお亡くなりになって 七日ごとのお参りの日に生まれるという巡り合わせで 6七日にして三頭目の誕生です。

親牛が五頭いて その牛が次々に赤ちゃんを産んでいるのです。

初七日の日に男の仔牛 3七日の前日に二番目の男の仔牛 そして6七日の夜中に産まれた三番目の仔牛はメス牛でした。

それぞれの仔牛には 名前が付きますがこのたびはまだつけられていません。

残りの親牛も出産予定があるようなので 49日か100日ころには新しい仔牛の顔を見ることが出来るかもしれません。

人間社会は少子化が進みますが この家は違っていました。


 

 

衣更え



置き薬屋さんが薬の点検と入れ替えに来て下さいました。

入れ替えが終わった後 「夏物に入れ替えました」といわれ 驚きました。薬にも夏物とか冬物があることを思いもしなかったからです。

「エッ?」といったら 「虫刺されのお薬を入れました」といわれ納得しました。

花粉が飛ぶシーズンには目薬とか冬には咳止め。いわれてみたら当然のことですが 必要度を考えたきめ細かな仕事が行われているのだということを知りました。

​次に出会ったときには その家の家族構成を考えて置く薬を変えているのかもたずねてみたいと思いました。


 

 

細切れの連続が人生


考えて見ると 人生といっても それは一本の糸のようなものがあるのではありません。今日一日の そして今という細切れの行動が続いているだけなのです。

そしてその細切れの一つ一つには 同じクセがあって そのクセでその人らしさが生まれているのだと思います。

そう考えると人生を変えようと思えば、今日このときの判断のクセを見直して 変えることが必要になるのです。

そしてそれを積み重ねることが 自分の人生になるのでしょう。

何かことをするとき 人に相談せず自分一人でやってしまうと 早くできることがあります。

あるときから 多くの人に協力をしてもらいながら進めるように変えたいと思い 意識してお願いをするようにしています。

すると 電話を掛けることが増えています。思いがけない繋がりも増えてきました。

さらに協力いただくありがたさも感じることが増えてきました。少しだけ人生が変わるのを感じています。

 

 

こんなお方がおられました


先日 神英雄さんとおっしゃる安来市にある加納美術館の館長さんがお見えになりました。

用件は 今年の 夏童画家であった 佐々木恵末さんの企画展を開催したいので  所蔵している童画をお借りしたいという申し出でした。

3点の絵をご覧いただき そのうちの2点を展示していただくことになりました。

この企画展を開催される神さんのお話しをお聞ききしながら 神さんのお人柄 仕事や地域に対する思いの深さに共鳴するところが多く よろこんで協力させていただくことにしました。

ときどき新聞紙上でお名前を拝見したことはあったのですが 私たちの身近にこのようなお方がおられることを知って うれしくなりました。

お話しをお聞きしながらとくに深く感じたことは 地域に対する思いでした。神さんのお仕事は 地域に埋もれ気づかないで消えてしまいかねない人の功績を掘り起こす仕事と感じました。私も同じことを考えていましたから お気持ちがよくわかりました。

中央で華々しく活躍される人はもちろんすばらしいのですが 地方で自分の暮らしの中で 当たり前のように真実を求めて生きられたお方はたくさんおられるのです。

あえて自慢なさることもないので 周囲の評価も少ないものですが そのような人々を探し出して小さな光を当てるお仕事をされておられたのです。

またご縁をつくり多くの人にお話をお聞きしたいと思っています。

 

 

通行止め


国道わきの山が崩れ通行止めになっています。

その道は 渓谷のように山間を流れる江の川に沿ってつくられた道で 上流の街と下流の街をつなぐ 私たちにとってはとても大切な道です。

降雨によって地盤が緩んでいたのか 先日の雨降りの日に山が崩れ 土砂が道路を塞ぎました。利用しておられた人々の生活は大変混乱し 困っておられます。

毎日の通勤通学をしていた人 通院とかデイサービスへの通所をされる人 ヘルパーさんの往来など 生活必需サービスのための移動所用時間が大幅に増えました。

支流に沿ってのびた山間の迂回路は狭く危険です。 一方で広い迂回路までは 所要時間が大変のびてしばらくは不自由が続きます。

そしてただいまの不自由さは 道路整備がされていなかった時代の不自由さも同じではなかったかと考えたり あるいは不自由でなかった暮らし方や地域の姿があったことも想像しています。

​私たちはつねに便利でありたいと思い それが地域の発展になると思ってきました。莫大な経費を掛け道路網を整備して 隣の町や多くの拠点都市に繋がろうとしました。

そして便利になって 不便であったものは廃れ始めていたのです。いま私たちは 一本の動脈が切れたときの混乱を余儀なくされています。