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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

ストリートリーグ



我が家でスケートボードが話題になり始めたある日 偶然19歳の若者が挑戦しているスケートボードの放送を見ました。

競技内容はよくわからなかったのですが 面白いと思ったことはその大会の名称でした。

「ストリートリーグ」という世界規模の競技大会らしく 「オッ!」と思いました。どなたが命名されたのか知りませんが 実にいいネーミングだと思ったのです。

その名前を聞いていると 誰でもすんなりとイメージ出来て わくわくして挑戦しようという気分になりそうです。

昔は「バスケ通り」とかいう名前がついた通りもあったとかで 広場が少ない地域ではそこらの通りが遊び場になっていたという名残です。

遊びは 場所の広さとか時間をえらぶことなく いつでもどこでも ひとつの道具があれば出来るのです。

それをしたいという人が一人いたら遊びが始まり 次第に広まって世界大会になるということを教わりました。

 

 

ことばで理解しことばが生かしてくださる


考えることも何かを理解することも ことばを使わないとできません。

あるときお参り先で お仏壇の中心に掛けてある絵像を指して 「あの絵のお方は誰と思われますか」とたずねました。

その方はしばらく考えておられましたが 「お釈迦様」と答えてくださいました。浄土真宗のお仏壇で ご本尊は阿弥陀如来さまの絵像でしたが おそらく阿弥陀如来ということばになじみが薄かったのだろうと感じました。

それでも神様とかキリストさまといわれなかったのは 神様もキリストさまということばをご存じなかったのではなく ことばは知っておられた上で「神様でもキリストさまでもない」と理解されたからだと思います。

長い間のお寺とお付きあいをしてくださったので 自分の家の宗教が仏教であることはご存知だったのです。

仏教に限らず 宗教にふれるためには ことばが必要です。ことばが伝えようとしている如来の意思と働きが伝わらなくてはなりません。

ことばの説明を聞いて理解できたとしても それで癒やされることも生かされるよろこびをいただくことは出来ませんが やはりことばを耳にしておくことは大切です。

生活の中で生じた行き詰まりとか絶望 深い悲しみを抱えたとき かねて耳で聞いていたことばと重なって 働きが届くときが必ず来るからです。

 

 

スモモすべてはカラスのため


鈴なりのスモモが熟れる日を楽しみにしていました。十数年前に植えた2本のスモモの樹が 今年初めて鈴なりに実をつけたのです。

昨年の冬しっかり牛糞の肥料をやったのが効いたのか それはそれはみごとななりようでした。

数日おきに畑に出て あと何日待てばいいだろうかと楽しみにしていたのです。

その日は朝から群れたカラスがしきりに鳴いていました。

家内は「スモモを食べに来ているのではないか」と心配したのですが 「梅はサルとか鳥に食べられない果物だ」と聞いていたので スモモも同じだろうと安心していたのです。

翌朝家内が 今まで見えていた実が見えなくなっていることに気づきました。

「もしや」と思い行ってみたら 色づいたものはほぼすべて まだ青かったものも半分以上なくなっていたのです。

カラスの仕業でした。

残っていたものの中で 少し色づいたものを2~30個持ち帰り 家で熟すことにしました。


残していたものがどうなったのか気になって見に行ったら すべてなくなっていました。カラスが思い出をつくってくれました。
 

 

今日は土用の丑の日


今日は土用の丑の日。
折り込みやテレビなどで鰻の話題が目についていましたので いつだろうかとぼんやり考えていました。昨日 「明日が丑の日です」と大きな鰻を届けて下さったお方が教えて下さいました。

子どもの頃は 十二支とかわからないままに 「土用は牛の日」といっていました。

近くの農家には農耕用の牛が飼われており お百姓さんがその牛を追って海に入れておられたのです。牛はいやがる風もなく しばらくつかったあと帰っていく姿を見ていました。毎年この日の夕方の出来事でした。

次第に農作業の牛を飼う農家がなくなって いつの間にか海水浴をする牛はいなくなりました。

「なぜ海に入れるの?」と親にたずねたら 「牛が病気にかからないためだ」と話してくれましたが ほんとうのことなのかどうか確かめることもありませんでした。

丑の日が牛の日ではなかったと知ったのは 鰻を食べる日として賑やかになり始めた頃でした。

夏ばてをしないように 精をつけるために鰻を食べるという説明も 牛が病気にならないためという話も重なるようで 丑の日の大切な言い伝えとしておきます。

 

 

蝉が鳴かない夏


夏になると蝉が鳴くものだと思っていました。子どもの頃からずうっと思っていました。

ところが今年は蝉の声を聞きません。気がついたら春先に鳴く蝉の声も聞かなかったように思います。

毎年夏休みに近くなると 早朝から日暮らし蝉がうるさく鳴き立てて目が覚めていましたが 今年はまだ聞きません。もちろん夕方に聞くこともありません。

毎朝花に水やりに出るのですが 支柱や木の枝のあちこちで見かけていた蝉の抜け殻も見えません。今月になって3個見かけただけです。

そういえばトンボだってたった2回 シオカラトンボを見ただけです。うるさいくらい飛び回って楽しませてくれていたトンボですが やがて見ることが出来なくなるのではないかと思い 庭にやって来た一匹をしっかり眺めました。

地中温度や用水路の水温も高温になり 卵も幼虫も死滅してしまったのでしょうか。

蝉が鳴かない夏は とても淋しい夏です。

 

 

まんが本を寄贈していただきました



「子ども時代に読み終わって 今では自宅の隅に置かれているマンガ本を寄贈してもらおうと思っているのですが」と親しいお方に相談しました。

賛成してくださり さっそく息子さんに話して 読み終えて保管されていた大量のマンガ本をもってきてくださいました。寄贈一番乗りでした。

きれいに読んでおられた本で その場で本棚に並べさせていただきました。

チラシを作って 機会あるごとにお願いをしようと始めたところでしたので 弾みがつきました。

賛同してくださるお方があれば 本をいただきに行くことになります。また修復などの手入れ作業も必要になります。

あれやこれや考えていると 図書館スタッフが必要に思えてきました。近々館長やスタッフ募集ということも考えなければならないようです。

小さなマンガと絵本の図書館ですが 新しいことをしようとしたら次々に必要な仕事が出て来ます。それも楽しみです。

というわけで 本格的な開館までにはもう少し時間がかかりそうです。

 

 

ワールドカフェ



ワールドカップならぬ「ワールドカフェ」ということばを見つけました。

東京大学で開かれた「赤ちゃん学会」という研究者の集まりに参加した 保育士さんたちのレポートに書かれていました。

ワールドカフェの意味を文面から推測して 肩書きや国籍 職業や年齢など一切の垣根をなくして話し合う場のことと理解しながら読みました。

赤ちゃんの発育について 学術的に研究をされている大学の先生や研究生が中心になって 心理学とか医学 あるいは教育学の研究者や 実際に赤ちゃんにふれているお母さんや看護師保育士も参加されるという会合だったようです。

その場で行われたワールドカフェという話し合いの雰囲気作りがとてもよかったようで 物怖じせずに話し合いに参加することが出来たという満足感を読み取りました。

さらに研究者という人たちから 毎日赤ちゃんにふれているお母さんや保育士さんのような現場の仕事が一番大切だと評価されたらしく それに対しての誇らしさもあったようでした。

お寺でもワールドカフェという場づくりは これから考えなければならないことだと思っています。仏教を勉強して専門知識に 日常で生まれている様々な苦悩をぶつけ合う場のことです。 

日常生活の中で苦悩にぶつかっているときは もっとも真実が近くにあるときではないかという思いがします。

その思いを話し合う場づくりを模索しているのですが 思い当たることが出来ませんでした。このたびのレポートに書かれていた「ワールドカフェ」という文字を見て ヒントをいただいたように思いました。


 

 

USBの水難



数日前から 大切なUSBメモリが行方不明になっていました。

お寺の行事や活動の記録が入っているメモリでした。2年前に一度コピーをしましたが それ以後の記録にも失いたくない大切なものが入っていました。

デスクの上にあったのを見かけ安心していたのですが いつの間にか姿が見えなくなっていたのです。事務所を探したり 二箇所にあるデスクの引き出しをすべて隅々まで探したのですが見当たりませんでした。

ふと思いついて 洗濯をしたズボンのポケットを確認しました。なんと 「ありました!」。声に出さずに「あった!」と叫んで 瞬時に「壊れていない?」と恐怖のような思いが浮かびました。

水没したうえに洗剤を入れてかき回し 脱水までしたメモリの記録が消えてしまったのではないか。わずかな時間でしたが とても恐ろしくていやな時間でした。

事務所にもって行こうとしてポケットに入れたことを忘れ 夕方洗濯ものを入れるカゴに入れてしまったのです。洗濯カゴに入れる前に ポケットの中は点検する習慣はあるのですが いいかげんな点検だったのでしょう。

矢も楯もたまらずという感じで 早速開きました。

なんと いつものように開くことが出来たのです。この感激と安堵感。少々オーバーですがUSBメモリのメーカーさんに思わず無言のお礼をいいました。


 

 

本堂にエアコンを設置しました


本堂にエアコンを設置しました。

温暖化現象はエスカレートを続けています。お寺参りの減少も止まりません。

原因は自然現象と過疎高齢化で 本堂内が快適でないからでないことはわかっています。

それでもエアコンを設置しようと思い立ったのは お参りして下さった善男善女の方々に 本堂内でのひとときを快適に過ごしていただきたいという思いからのことです。

お堂には直射日光が入ることもなく 天井が高くて広い空間ですから 30年くらい前まではヒンヤリして涼しい場所でした。

ところが次第に真夏日という呼び名が耳につくようになって 本堂の暑さが気になるようになりました。近年は大型の扇風機を2台と小型のものを4台並べていますが 快適にはなりません。

多くの公共施設や集会所ではエアコンが設置されていますが お寺に設置されている例は さほど多くはありません。

「真実と出会うためには 暑さ寒さに耐えてこそ」と 一世紀前の人たちからお叱りを受けそうですが そのような精神論は通じなくなっています。

現代は ゆっくりお話しを聞くための環境を準備することが必要とされる時代になりました。というわけで 今日の人間講座はきっと快適になろうと思います。


 

 

人間講座の日


あす「第23回 人間講座」を開催します。講師は安来加納美術館の館長 神英雄さんです。

今朝は「光親会」という お寺改革スタッフの皆さんが 準備に来て下さいます。

7月21日から9月16日まで 安来加納美術館で 童画家 故佐々木恵未さんの作品展が開催されることになりました。

5月のある日 そこで展示する絵を貸してほしいというお話で神さんがお見えになり あれこれとお話ししているとき出講をお願いしました。

そのお話の中に あまり知られていない素晴らしい石見人がおられたというお話しがあり ぜひお聞かせいただきたいと思ったのです。

特別な業績を残された石見人の話ではありません。すぐれた才能を発揮して活躍された石見人の話ではありません。

石見で根を下ろし 石見の太陽や雨に育てられながら 小さな花を咲かせた人がおられたことをお聞かせいただきたいと思ったのです。

そのような方々の暮らしぶりの中に流れていた何か たとえば「土徳」と呼ばれるような「石見の風土」をお聞かせいただこうと思っているのです。

7月15日 午前10時から12時まで 会費は1,000円です。どなたでも歓迎です。