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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

新しい道を走りました



いま利用している道路に並行するように 高速道路が開通しました。

待ちかねていた道路です。さっそく利用しましたが とても便利になりました。

同時に いままで利用していた道路の利用は ガクンと減りました。

それによって周囲が受ける影響をあれこれ想像しています。

具体的には いままでの道路沿いにあったお店がどうなるのだろうということに関心があります。

ガソリンスタンドやコンビニ 食堂やお菓子屋さんなど 通りがかりに利用することが出来なくなります。

すでに対策は立てておられたことでしょうが 存続が心配です。

新しい道路 しかも高速道路の貫通となると 確実に地域は寂れます。便利になるのは移動であり 日常の生活ではありません。

よろこんでいいことなのですが その反面に現れてくる先細りの暮らしは覚悟しておかなければなりません。


 

 

人事異動の季節



年度末になって 人事異動の発表が行われています。

昨日は 山陰中央新報社と県西部の町役場の異動が発表されていました。

今朝も 県や学校 そして一部の市役所の異動が発表されています。

やがてすべての市町村の異動 警察や学校病院など 生活に密着した行政の異動が発表されます。

その必要性についてあれこれいうことはありませんが 文字が小さいことと見にくいことに閉口します。

お世話になった人が異動されることも考えられますので 読ませていただくのですが 老眼には辛い作業です。

人口の減少とともに 行政機関も目的を変え 新しい部署が設立されたりしています。

人事異動にわせ その目的などを詳しく報道してもらうと 地元にある公的機関の方向がわかるのですが それは少ないので残念です。

せめてその記事は 大きな活字で掲載して 希望を持たせてもらいたいものです。


 

 

自動運転の時代になれば



自動運転の車が走る時代が近づいています。

高齢者が運転席に座り 声で目的地をいえばそこへ安全に運んでくれるという 夢のような時代が来るというのです。

そうなったとき 運転免許証が必要かどうかという話が出ました。

運転免許は 自動車という便利ではあるが凶器にもなる代物を 安全に操ることが出来る人が手にする免許だから必要だ。

いや自動運転ということは いかなる場合でも安全であるということなのだから 免許など不要。

意見が分かれる問題ですが どうなるかわからないので 急いで返納しないほうがいいという意見は説得力があります。


 

 

ホテルロビーにて



法事が営まれるホテルにチェックインしたのは 午後7時前でしたが大変な混雑でした。

披露宴が終わる時間と重なったようで 礼服を着た人たちで賑わっていました。

ホテルマンの話では 土曜日とか日曜日には 結婚式や法事が2時間おきにあるとか。

かって自宅で行われていた結婚式がホテルや会館で行われるようになり 自宅で行われていた法事までが 次第に会館やホテル利用に変わりました。

なかでも法事は 年間で180件くらいあると聞きました。

居宅が郊外に移り マンション暮らしも増えると 駐車場や集まりやすさなどを考えなければなりません。

お仏壇がない家も増えています。

会館とホテルの間で その取り合い競争も始まっているようにも感じました。そしてその勝負の決め手になることは何だろうと考えたのですが わかりませんでした。


 

 

スズメと遊ぶ人



「我と来て 遊べや親の ない雀」 小林一茶の句を思い浮かべるような話を聞きました。

話した人は 80歳目前の独居男性。

「毎朝スズメに餌をやるのが楽しみで・・・」と話し出されました。

毎朝決まった時間になるとスズメが40羽近く 庭の木の枝にやって来て さえずりで来ていることを教えてくれるといわれます。

「おおみんな来たか おはよう」といいながら 用意していたパンをちぎって 作っている餌台の置いてやります。

親スズメが子スズメにえさを与える様子 自分が外出先から戻ってくる姿を見ているスズメがいて 知らせを聞いて集まる様子。

パンの中にお米やおまんじゅうなどを入れたときの食べ方などを おもしろおかしく丁寧に話してくださいました。

同席の方から 「ついに相手をしてくれるのは スズメだけになったんだ」と笑われ みんなで笑いました。そうかもわかりません。

そうであっても よくぞ格好の遊び相手を探されたものです。よかった よかった。

いろいろな発見を話される楽しそうな姿に場が和みました。




 

 

リーダーの責任



あらためてこんなことを書くのも気が引けるが 先日聞いたお話しに考えさえられたので書いておきます。

お参りした家には黒毛和牛が15頭飼育されています。

その牛を見て 牛の話を聞くことが本当に楽しいのです。

このたびは 仔牛の値段から話が始まりました。

仔牛1頭の最近の相場は平均で80万円台だそうです。私が和牛に興味を持ち始めたころの相場が30万円台でしたから ずいぶん高騰しています。

そのことを話したら 島根県は全国で最低から三番目だそうです。

その理由は いい種牛がいないからだということでした。

島根県には かって「第七 イトサクラ」という有名な種牛がいました。

その子どもを求めて全国から買いに来られ 島根和牛の名が一世を風靡したことがありました。

そのとき 地元にそのタネを残そうとする積極的な行動がなかったといわれたのです。

飼育農家はお金に換えたいのが本音ですが 「将来のために仔牛を残そう」と呼びかけるリーダーが不在だったということです。



 

 

入口はいろいろある



3月10日発行の「本願寺新報」という新聞に興味深い記事がありました。

「ほぼ日」という会社を経営しておられる糸井重里さんと 相愛女子大学の釈哲宗先生の対話の要約でした。

「私は親鸞聖人のファン」と 聞き慣れない宣言をされた糸井さんのお話がとても新鮮でした。

ファンになられたきっかけが 親鸞聖人のことを大切に思っておられた吉本隆明さんというお方の魅力に惹かれたからだとおっしゃっていたのです。

吉本さんのお話しと人柄に惹かれ それかで親鸞さまのファンになったとおっしゃったのです。

なかでも「在家」ということばが新鮮で 在家として自分に何が出来るかを探しているというお話しに強く惹かれました。

信者になる入り口はいろいろありますが 信者の姿に惹かれて入信するというお話しには強く考えさせられたのです。


 

 

住めば都



田舎暮らしのことを語るとき ひとことで 「ゆたかな自然にかこまれて」とか「ゆるやかに流れる時間とともに」とかいわれます。

じっさいに田舎で暮らしている人が同じように感じているかというと そうではありません。

これはどこで暮らしていても 住み続けている人にとって「そうであることは当たり前」のことで 目につくのは不都合なことばかりです。

豊かな自然は 花粉をまき散らしています。

バスも列車も3時間くらいな間隔で ゆるやかにやってきます。

「住めば都」ということばは そこで暮らしている人たちが工夫を重ねながら不都合を乗り越えたとき使うことばです。

ただいま私は「都暮らし」です。


 

 

相づちが打てない言い訳



いろいろな言い訳を聞く機会があるのですが 相槌が打ちにくい言い訳をいわれたときは困ります。

「貧乏していますので」とか「努力が足りなくて」とか 自分を卑下した言い訳を聞くことがときどきあります。

「そうですか」と同調するわけにもいかず 「それはないでしょう」と否定も出来ません。

あきらかに自分を卑下しておられることがわかっていると それを話される人の思い上がりのようなものを感じます。

「それはないでしょう」 と否定してもらいたいという 期待心を感じるときもあります。

自分の思いを卑下したことばにして 言い訳のことばに使われるのです。

そんなときは相槌が打てないのす。

楽しい会話は 相槌が打ちやすい会話です。 


 

 

人生の変わり目が鮮明になる年齢



80才になって思うことですが 線を引いたような年齢の変わり目があります。

20才になったときとか60才になったときにも境目のようなものを感じたかもわかりませんが それはすっかり忘れています。

ふりかえってみて思うのですが 年齢の大台によって人生の変わり目を感じたことはありませんでした。

学生暮らしから社会人になったとき あるいは転居とか定年を迎えたときのように 環境によってつくられた節目は確かにありました。

新しい環境に合わせた暮らし方や心構えを探すことになったからです。

そのような変わり目でも 見つめる将来にあるものは夢とか希望といった そのときの潮目に乗ったものです。

80才という大台の変わり目の特徴は 前に置くものが変わり 潮目が変わったのです。

人生の終わりを意識するようになり それを前に置いて生きるという潮の流れに乗っている実感が生まれたからです。

これから「どう生きるか」という生き方の裏側にある 「どう死ぬか」という死に方を考え始めたからです。

80才という年齢は 「何を残すことが出来るか」ということを意識して暮らす人生の始まりに思えます。