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人の死は「普遍化」すること?

過疎四苦八苦

人の死は「普遍化」すること?


樹木希林さんがお亡くなりになりました。お亡くなりになるひとつきほど前 偶然どこかのテレビ局が密着取材をしている対談を観て境遇などを知りました。

今年「万引き家族」という作品に出演しておられ 観たいと思いながら見逃していたこともあって 樹木希林というお方をもっと知りたいと思う気持ちがありました。

お亡くなりになったあと NHKテレビで2年にわたる密着取材番組を観て 少し深く人柄にふれたような感じがしていました。

そしてお葬式の日 「万引き家族」の監督であった是枝さんの弔辞が代読されている様子も見ました。

その中で間違いでなければ 「樹木さんはお亡くなりになって普遍化した」という意味のことばがありました。いままで私の身近では聞くことがなかったことばで 引っ掛かりました。

もちろん人柄にもよるでしょうが 死という出来事を 芸術の感覚で捉えると「普遍化した」ことになるのだろうかと受け取ったのです。

あるいは樹木さんが 深く仏教に近づいておられて そのようなお話をしておられたのだろうかとも思ったのですが どちらであるのかわかりません。

しかし人の死を その人が「普遍化」して 存命中の愛憎や苦悩を離れ 思い出として昇華することを普遍化といわれたのならわかるような気がします。

強さの中に弱さを見せながら 自分の生き方を貫いて逝かれたことに さわやかさのようなものを感じたからです。