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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

夢を追っかける



「夢を持て」とか「夢を実現する」ということばを聞きます。

自分でも誰かにそういうことをいったこともありますが いわれた記憶はないのです。

いわれていたのに思い出せないだけなのかも分かりませんが あまりはっきりしません。

もしいわれたいたとしたら それに向かって何かをした痕跡くらいは残っていると思うのですが それらしい痕跡は見えないのです。

夢を追っかけた人の成功談を見聞しながら その人たちには夢というものが具体的なカタチでイメージされているのだと思います。

芥川賞をとるとか 芸人になってテレビに出るというように 明確にイメージが出来ているのだと思うのです。

建築家になるとかプログラマーになる あるいは坊さんになるといった資格や技術をもつことは 夢ではなく夢を実現する手段です。

夢はその先にあって 「夢をもつ」ということは 世間に認められ評価される具体的なカタチをもつことだと思います。

過疎が進んだ地域で 移送システムを実現する。あるいは人生のヒントに気づくお寺を創造する。

「夢をもて」といわれませんでしたが 私がもっている夢です。


 

 

人間の面白さは



自分は面白くないダメ人間になろうとしているのではないかと思ったので 振り返って整理してみようと思います。

そう思ったからといって ダメ人間と決めて落ち込んでいるわけではありません。

ただ周囲の人から見たら面白くない人間に見えているのではないかと 自問自答して見るのです。

私は自分の夢を実現するためあれこれいろんなアイデアを発想して それを周囲の人に話すことが好きです。

それを聞く人たちは おおかた「面白いねえ」といってはくださいますが すべてその場だけで終わります。話だけが面白くて ほんとうの面白さではないのです。

ほんとうの面白さは 自分が実現したい目標に向かって真剣に取り組む姿から出ていると思うからです。

純真な子どもが 実現したい何かに向かって 真剣に取り組んでいる様子を想像すると ほんとうの面白さはなにかがわかります。

ダメ人間には妥協が多く そのひたむきさが不足しています。その結果が面白くない人に見えるということを自覚して 夢の実現に向かいましょう。


 

 

古い道が懐かしい



バイパスの補修工事が行われ 利用している道が通行止めになっていました。

2年以上も通らなかったので 左右の家や景色を見て懐かしく思いました。
 
どこに何があったのか詳しくは思い出しませんでしたが 管理されていた建造物の周囲が夏草で覆われていたのには妙に感慨がありました。

所要時間は5分程度増えましたが 道路沿いの変化を探しながら走ったので気になりませんでした。

田舎には目立つものが少なく 注意深く見なければ変化に気がつきません。

ところどころの集落の家々では 諸行無常の変化はあったことでしょうが 外見は一段とのんびりしたように感じました。


 

 

不真面目に見えて真面目なこと



何事を行うにしても 真面目であることは大切です。

舞台の上でハチャメチャな言動をしているコメデイアンは 真面目にそのハチャメチャを演じているはずです。

ということは 不真面目に見えてもそれが伝えようとしていることには 真面目な場合もあるということです。

先日 京都の錦市場で由緒ある鮮魚店の前を通りました。

そのお店では 立ち食い用にお刺身の串刺しを売っていました。たしか250円であったと思います。

大ぶりの鮭の切り身が竹串に刺さされて ショウケースに並べられていました。

今までの商慣習にはあり得ないことで 不真面目な行いに思えます。

でもお店にとっては 美味しいお魚を味わってもらいたいという 実に真面目な行動なのです。

今までの慣習を破る行動は ときに不真面目な行動と思われがちなのですが その目的が信念に基づいたものであれば 真面目な行動になるのです。


 

 

ビワのコンポート



昨日は一日中雨が降りました。

家内と二人で おととい採っておいたビワでコンポートを作りました。

私の役目は ビワの皮むきです。

アクの多い果物で 素手でむくと親指の爪の間が黒くなります。ゴム手袋をはめて約一時間皮むきをしました。

それが終わると二つに割って 種を取り出す作業です。

水につけてしっかりアク抜きしたビワを 湯通してレモンを搾り砂糖掛けするのは家内の仕事。

夕食後に早速いただきましたが なかなか美味しく出来ていました。

長雨で傷みが出なければ あるいはカラスに食べられなければ もう一度つくろうと家内はいいます。

食べることはもちろんですが 収穫からつくりあげる作業には ささやかですが「生きる」よろこびを感じます。


 

 

慣習を変える方法は



何かにつけ 古くから行っている仕事ほど慣習はたくさんあり その上しっかり根を下ろしています。

いろいろな時代を体験し 生き延びるために懸命に根をつよくしたのです。

庭の草を抜きながら スラッと抜ける草や相当な力がなければ抜けない草があることに気づいています。

そしてその都度 草の根っこをしげしげと眺めています。

考えてみると人間社会の慣習とか制度についても よく似ています。

毎日の食事が3食であるという慣習。正装の決まりごとや男女の服装や色彩にも いつの間にか慣習が無意識で根付いています。

国際化とか人口の減少や分業化など 時代は大きく変わっています。

制度や慣習も変わらなければならないのですが 長い時間とエネルギーが必要と思います。


 

 

自前でやることが面白い



二日間の奉仕作業に参加して 開始前のオリエンテーションで隣り合わせた人の話を聞きながら思ったことです。

私たちの奉仕作業のチームは一泊二日で来ていたのですが 両隣のチームは二泊三日の予定でした。奉仕作業が終わった後一日は観光を予定しているわけです。

それぞれ比叡山見学のチーム 神戸港クルージングのチームで 観光の手配は出入りの旅行社にまかせたようです。

私たちがチームを募集するときも 「せっかく京都まで行くのだから もう一日どこかの見学とか観光をしたい」と思われる人があることは承知しています。

それでもあえて一泊二日の予定にこだわって奉仕旅行を続けています。

第一の理由は料金の安さですが 合わせて「奉仕作業に参加する」という目的意識を薄れさせないためです。

それともう一つは 限られた時間をどのように濃くするかを考えたら 印象に残る旅行が出来ると思っているからです。

知らないところを見て見聞を広めることもいいことです。一方で モノの見方を変えることによって 何かを発見する体験をすることも悪くないと思うのです。

移動方法とか食事のこと あるいは隠れた観光スポットやお土産のことなど しっかり情報を集め個性的な旅行を目指しています。

 

 

修学旅行



京都には修学旅行生がたくさん来ていました。

中学生や高校生らしき生徒さんが 6人から10人くらいのグループで歩いている場面に 何度も出くわしました。

本願寺や錦市場で タクシーの運転手さんらしい制服の人と一緒に歩いているので 一目でそれとわかりました。

修学旅行といえば 座学で学んだことを現地に行って確認することが目的と思いますが いい勉強をしていると思います。

国宝になっている建築技術力や存続する力 あるいは世界から旅行者がやってくる経済の動き。過去と現在の都市計画や政策のことなどを学んでいると思いました。

京都は古都といわれますが 街並みとか生活には新しい文化が次々に取り入れられて 奇妙な一体感が生まれつつあります。

スロープがついたお寺 串に刺したお刺身やお好みのお魚を目の前で盛り合わせ立食いさせる市場の魚屋。

人の集まりは 古くても大切にしなければならないものを残し 新しいモノには大胆に挑戦することによって生まれるようです。

  

 

今日は錦市場を見物します



昨日から20人で京都に来ています。

本願寺のお掃除の奉仕にやってきたのです。

正午に終了後 みんなで錦市場を見物する予定ですがそれが楽しみです。

わざわざ京都まで来て市場に行かなくても 地元にも市場はありますが 目的は買い物だけではありません。

地元の市場でも売られているものを 京都のお店はどのように工夫をして売ろうとしているのか見るのです。

味付けの違いは食べ歩きをして確かめます。売り方の工夫は 人だかりや何をお土産に買ったのかで判断します。

去年の暮れに行って少し雰囲気と情報を仕入れましたが そのころからどのように変わっているか それは私の楽しみです。

皆さんのも上手に見物してもらえるように 資料を整えてやってきました。



 

 

自分流の音の楽しみ



中学生になったとき「音楽室」という教室が建築されました。

音大を卒業したばかりの先生が赴任され ピアノが上手な男性の先生でした。

歌うことが苦手であったこともあるのですが 教え方も専門的で楽しい時間であったという記憶はありません。

試験問題に出るからといって ベートーベンや滝廉太郎さん方の年譜や作曲名を覚えました。

また五線譜や記号も覚えましたが これはお坊さんになったときお経の練習に役立ちました。

歌ったり聞いたりする楽しみよりも 覚えることが記憶に残っているのです。

楽器に触れることもなかったので 音楽に近づく機会は多くはありませんでした。

そのころのラジオの電波は不十分で雑音が多く おりおりに放送劇や浪曲を聞く程度でした。

そのような音楽と触れる環境を経て なぜかいまは 気分に合わせてクラッシックと演歌を楽しんでいます。