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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

怨みをこめて



朝の時間に庭を歩きます。時々立ち止まって バラの咲殻を切ったり気になる草も抜きます。

そうしていると たちまち短パンから出ている足に蚊がやってくるのです。

一瞬の油断で 多いときには6匹くらい止まって血を吸い始めています。

あわてて しかし確実に 狙いをつけて叩きます。

私を襲い血を吸う蚊を 恨みや憎しみをこめて叩きます。

一撃で二匹も潰したら「してやったり」という気持ちと 殺生したという気持ちが混ざり合います。

朝のすがすがしさを忘れ 非情な仕打ちへの気まずさも湧きます。

それでも庭に出る行為は止められません。


 

 

不惑



親しくしている企業で 社員の平均年齢が40歳代になっているという話を聞きました。

日本の年齢別人口構成は 次第に若者が減ってピラミッドの形がなくなって久しくなります。

大方の企業の社員は高齢化し 今までの仕事を現状通り継続し発展させることが困難になる傾向にあります。

しかし高齢化社会になることは 一方的に悪いことではなかろうと思います。

孔子さまは「40にして惑わず」とおっしゃいました。

個人に対しておっしゃったことばですが 組織での働き方に置き換えて聞いてみましょう。

「惑わずとは」自分の殻に閉じこもることなく 目先の損得とか自分の都合で生き方を見失うなという意味でしょう。

企業の目的は何か。自分に期待されていることは何か。そしてそれに応えるにはどうしたらいいか。

一年一年の加齢とともに 大胆に見直して変化することを「不惑」といわれたものと解釈しています。

個人も組織も 殻に閉じこもることなく「不惑」に向かって変化したいものです。


 

 

ビジネスライク



独り暮らしのお方の成人後見人から電話をいただきました。

「○○さんはそちらの門徒さんですね。ご本人から何かあったら連絡するように聞いていました。」ということから始まった電話でした。

趣旨は「今入院中ですが 間もなく亡くなられます。そのときはよろしくお願いします。」という内容でした。

現状をお聞きしていたら 寿命が尽きるのが迫っていることを感じさせられました。

そうは思いましたがその話しぶりに あまりにもビジネスライクな感覚があって少し違和感を覚えたのです。

事実としては間もなくお亡くなりになるのでしょう。

それをことばにして伝えるとき 「いのち」への敬意が感じられなかったのです。

人の一生には 畏敬の念をもって接して欲しいと思っています。


 

 

国宝 一遍上人絵傳



一遍上人というお坊さまがおられました。

鎌倉時代のことです。

この時代は 偉大な仏教僧が出現した不思議な時代です。

法然上人 親鸞聖人 一遍上人 道元禅師 日蓮上人など 今日の日本仏教の新しい時代を築かれたお方々が誕生されたのです。

共通していることは 信念に基づいた「行動力」です。

このたび偶然にも そのうちのお一人である一遍上人の絵傳に出合いました。

現物は国宝になっているらしく 私が拝観したのは複製の絵傳でした。描かれていたのは 上人の周囲に群れ集まる人々の様子でした。

画かれた人物の姿などから暮らしぶりなどに思いをはせながら 仏教が生き生きしていることを思っていました。

 

 

小津安二郎監督の映画を鑑賞



「『晩春』という映画がおもしろいそうだね」と家人がいいました。毎月見ている雑誌に紹介されていたようです。

その映画を見たことはありませんでしたが 小津安二郎監督の作品だということは知っていました。

小津作品は機会があれば一度見たいと思っていましたので鑑賞することにしました。

昭和24年の作品で白黒の映像。テンポが緩やかで 撮影現場とかセットが限定されていて見る人によっては くつろげる感じの作品でした。

当時の風景やファッションなどの文化 生活の断面もうかがうことができて退屈することなく鑑賞しました。

時代の変化とともに 技術や表現方法は変わりますが 中心になる人間の本質には変わりがないことも思っていました。

 

 

近くにクルミが実っていた!



テーブルの上に 見たことがない青い木の実のようなものが置いてありました。

家人が「クルミだよ」と教えてくれました。

近所のご婦人とお茶を飲みながらクルミの話が出たようで 「今から一緒に採りに行きましょう」とその人に誘われて採ってきたといいます。

ピンポン玉の大きさで濃い緑色の実が 葡萄のように房になっていました。

それがなんと我が家の近くに!これは驚きでした。

私にとって クルミとは深い山にある木の実で 秋になると木から落ち 渓流を流れて降りて海辺で拾うものと思っていました。

どうやら私が知っているクルミというのは 果肉がなくなった茶色の種だったようです。

簡単に手に入りにくいロマンに似た思い込みがあっけなく崩れ 複雑な気持ちになりました。


 

 

これには怒りましょう



家人が 故人の枕元に座って存命中の出来事がよみがえったと話してくれたことがあります。

何年も昔 故人から聞いた話です。

玄関にお花を活けておいたら お花の心得がある人がやってきて断りもなく手直しされたそうです。

それを知った故人が 「大変腹が立った」と話されたそうです。

心得がある人は 「せっかく活けておられるのだから より整ったお花にした方がいい」という親切心のつもりだったのでしょうか。

一方の手直しを受けた人にとってそれは「余計なお世話」であり プライドを傷つけられた思いがしたのでしょう。

「よくぞ手直しをしてくださった」と感謝する気持ちなどさらさらなく 「ほっといて!」といいたかったように思います。

「自分が育てたお花を 自分が楽しめる場所で楽しみたい」。そのお方はそんな行動ができる自由人に見えました。

そう思っている人にとっては 気持ちを踏みにじられたような思いがしたのでしょう。


 

 

経年劣化



経年劣化ということばがあります。

早くから使われていたことばでしょうが 耳にするようになったのは最近です。そのことばを耳にしたとき 意味はすぐ分かりました。

と同時に一瞬 自分のことをいわれたような気分になったのです。

機械類とか造作物について用いられることばですが 人間にも当てはまると思ったからでしょう。

肉体の経年劣化は確かにあります。「年齢相応」とか「歳のせいです」といわれるのがそれです。

しかし道具や機械ものなどと少し違うのは 経験が蓄積することです。

さまざまな出来事を謙虚に受け止める習慣から生まれる知恵が 経年進化するからです。

人生には経年進化という反面があるのです。

 

 

弔辞



日経新聞の日曜版で「弔辞」の特集がありました。

その中に弔辞を数多く書いた人は川端康成さんだったとか 嵐山光三郎さんは弔辞についての本を書いておられるという紹介もありました。

弔辞は故人が目の前におられるかのように語りますが 儀式の前に読む表白とは少し違います。

葬儀の趣旨を述べるのが表白で 故人の追憶一辺倒ではないからです。

コロナ禍をはじめ社会の変化によって 葬送の儀礼が変わりました。

これからの時代には 宗教家としての目で故人の人生を追憶し 故人を送ることの意味を語ることが大切になります。

好き嫌いとか自分中心で故人を見ていたであろう人々に ご縁の中でご縁を結んで生きられたことを語るのです。

そんなことを思いながら 明日のお葬式の表白文を考えています。


 

 

次の首相に何を期待するか



日本のリーダーを決める手続きが始まっています。

一昨日の新聞に「次の首相」という世論調査の結果が掲載されていました。

共同通信社が 4、5の両日に緊急に実施した電話世論調査です。その中に「次の首相に何を期待するか」という質問があったようです。

第一が「国民への説明能力」で36.3%。次に「リーダーシップ」が28.4%となっていました。

「説明能力」とは 単に表現の技術ではなかろうと思います。国民に限らす社員とか参加者に「お考えはわかりました」といってもらえたら説明能力は発揮できているわけです。

ところが 説明を聞く人々は「自分の思いに合うかどうか」についての説明を期待しているのです。

演説とか記者会見などの限られた機会と時間の中で考えを語る能力。また議会での質問とか反対意見に対して説明をする能力。

あれこれ考えているうちに 説明能力とは その人の「熱意と計画を伝えて欲しい」ということに思えてきました。