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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

境内とはなんだろう


お寺の前にあるお庭とか駐車場のような広場のことを 昔から境内と呼んでいます。誰が名付けたものか いつごろからそう呼ばれるようになったのか知りません。

あらためて誰かに聞いたことはないのですが お寺の境界の中という意味だと思います。たしかにお寺の周囲には塀が巡らされ 外と中は明確に分けられていますが 目的ははっきりしていません。

聖域と俗域の区分?盗賊などの侵入防止?それとも?。

その内側の空間は「お庭」なんだろうか それとも好きなように使う「広場」なんだろうか と考え始めました。

都市の住宅街のような場所にあるお寺なら その空間は非日常の貴重な空間として大切にされると思います。あるいは地域の人々の交流の場にもなるはずです。

山野にあって緑豊かな田舎のお寺には あえて静寂や癒やしを求める空間としての働きは期待されているように見えません。

かって子供たちが遊んでいた広場の役目は 校庭とか公園がその役目を引き受けています。お寺にある境内という空間は 明確な存在感がすっかり薄れてしまいました。

通路でもなく駐車場でもなく といって観賞する庭園ともいえない空間を どう呼べばいいか考えているのです。

あれこれ考えているうちに 立派に管理された公共の空間とか私有の空間 あるいは路上ではままならないことが出来る多目的空間という新しい発想が生まれました。たとえば 盆踊りや物売りはもちろん 手軽にBBQが出来る ローラースケートが楽しめるつながる広場です。 

名付けて 「てらっぱ」はいかがでしょうか。 

 

人探し



携帯電話がつながらない人 居場所がわからない人を探すことは難しいものです。

急用があって 独居の男性を探すことになりました。周囲の人から「本人が車の中で寝る」と話しておられたと聞きました。

「道の駅の駐車場を利用して仮眠をすると話しておられることを聞いたことがある」という情報をたよりに 近所の道の駅まで探しに行ってみました。

車種もナンバーもわからないまま 黒い軽自動車でワンボックスという手がかりだけで探すことになりました。

道の駅のお店が開店直後でしたが 駐車している車は20台くらいで その中で黒い軽自動車は4台でした。

運転者の心理を考えながら お店の入口に近い車から 一台ずつ中を覗いて歩きました。

横になっていると思われる人を確認するためには 中を覗かなければなりませんが 車外からは意外に見にくいのです。

しっかり見ようとガラスに頭をつけようとしたとき ハッとしました。「不審者」「車上荒らし」ということばが頭をよぎったのです。

ヒヤヒヤしながら さいわい「何をしてるんだ!」と怒鳴られることもなく 黒い軽のワンボックスカーすべてを確認できました。

人影が見えなかったので店内に入ったら 当人はお食事中でした。やれやれ・・・。

 

 

死刑執行


オウム真理教の幹部7人の死刑が 同時に執行されたというニュースにショックを受けた一人です。

その日 昼ご飯をいただきながらテレビのニュースを見ました。家内は「気分が悪くなった」といって箸を置きました。私はそれほどまで強く悪寒は感じませんでしたが 違和感は感じていました。

その後法務大臣の発表や官房長官のコメントを聞きながら 「このように殺されいく人がいる」と執行までの心境などを想像して 冷たいものを背中に感じたのです。

死刑が認められている法治国家で暮らしていますから 法に従って死刑という殺人が行われることを止めることは出来ません。

しかしいくら法によって許されていることであっても 人間のいのちを奪うという殺人行為に関係する人々には 人間としての良心の呵責のようなものは現れると思っているのです。

死にたくはなかったのではないか。どのような遺言をしていたのだろうか。本人や家族 被害者や執行人の心情などを思うと ことばが見つからない虚脱感があるのです。

以前から 「死刑」という制度を廃止して欲しいと思っているのです。

 

 

集中豪雨


ひどい雨はおさまったようですが 次は猛暑。台風8号の直撃は免れそうですが 復旧には厳しい天候が続きます。

この度の豪雨災害でたくさんのお方がお亡くなりになり まだ安否が確認されていないお方も大勢いらっしゃいます。

テレビ画面を見るたびに 死者の数が増えており心が痛み続けます。

ご遺族の皆さん 行方不明になっておられるご家族や関係者の皆さんの心中をお察しする同時に 早く救出されることを願っています。

私が暮らしている地域でも 裏山の大木が倒れ その枝が屋根を直撃して 一軒の家屋の一部を壊しました。職場の仲間の家が床上浸水の被害を受けていました。

報道の有無や災害規模の大小はありますが 全国で非常事態が発生しています。

災害が発生する旅に 毎回同じことを思い 同じことばを聞いているように思うのですが 現場に立ちますと人間の知識も力も自然の威力の前では弱いものだと知らされます。

この教訓を どのような形で生かすのか。
難しいことですが一人一人が自分のこととして考えなければならないという教訓はつよく残りました。



 

 

アサガオ

アサガオの苗を7本植えました。「キキョウアサガオ」という種類のアサガオだそうです。

お付き合いをしているクリーニング屋さんが苗をもってきてくださったものです。

プランターに土を入れ植えた後 テラスの軒を利用してネットを張りました。アサガオのグリーンカーテンが出来るのを楽しみにしようと思います。

お花についてこだわりがあるわけではありませんが アサガオを育てることはしていませんでした。

あらためてそのわけを探してみても よくわかりませんでしたが むりやり出した答えは 夏になると必ず話題になる花で 多くの家で育てられている花だからやめておこうという答えでした。

そんな答えにたどり着いて 自分の性格が見えたような気がしました。

 

 

スクラップマニア


スクラップマニアということばがあるかどうか知りませんが スクラップを上手にしておられる人の話を聞きながら つい「スクラップマニア?」と思ってしまいました。

スクラップが上手に出来ている人は 整理が上手にできる人であり しかも根気がある人だろうと思います。そしてそれを繰り返しながら 次第にマニアになっていくのではないかと思うのです。

かくいう私は 今までスクラップをしようと思った記憶がなく 醒めやすい自分の性格は テーマを決めてスクラップを続けることに向いていないと思っているのです。

また負け惜しみのようにも聞こえますが スクラップをすることが 人生にとってさほど必要ではないと思っているところもあります。スクラップをしておられる人の話を聞きながら 「それがいつ役に立つのだろうか」と冷めている自分を見ることもあります。

同じことではないのですが 本を読んで素敵なことばや意見に出会ったとき その個所に傍線を引いたり付箋を挟むことはけっこうやります。

しかし後日 「どこかにあったなあ」と思い出して本を探し めくりながらその箇所を探すことがたまにはありますが 見つけて読み直しても感動が薄れているのです。

「諸行無常」。
自分を取りまく社会も自分自身も日夜変化しています。

根無し草のようになるのではないかという不安もありますが その場で目にして脳裏に焼き付けたものは 身についていると疑わずに行動したいと思っています。

ということで これからもスクラップをすることはないはずです。

 

 

新設! 「お知らせページ」


お知らせページを作りました。

気づき研究所の行事や PRなどをお知らせするものです。長い間あたためていたものがやっと実現しました。それを実現したとたんに いろいろな気づきが生まれました。

その第一は 「お知らせ」という以上は特別なことでないと無意味だと考えなくていいということでした。うろついていた野良猫が 子どもを生んでいたということも「お知らせ」になるということです。

7月の日曜日 早朝の「トウモロコシ丸かじりイベント」という行事のお知らせを見て驚きました。そして「素晴らしい」と感じました。

畑をもたない人にとって またトウモロコシを育てていない人にとっては それは特別といえる行事です。しかしトウモロコシを育てておられるお百姓さんにとっては 特別な行事ではないだろうと思ったのです。

お寺であれば 今日は「本堂の大掃除の日です」といった行事のお知らせです。

それをお知らせするからには そのお知らせを見てくださる人にとって 「知らされてよかった」と思っていただけるような工夫が必要であることも気づきでした。

これからの「お知らせ」をのぞいてみてください。


 

 

亀の卵を狙うヘビ


バラと山野草の庭に 「どん亀」と呼んでいる土亀が卵を産んでいるらしいのです。

どん亀は庭にやって来て やわらかそうな土を掘り 産卵します。産卵を終えたら土をかけて 卵を隠してしまいますので 亀の姿を見かけないと気づきません。

先日大きなシマヘビが 土を掘ろうとしている現場を見かけた人がおられました。

その方から 「ヘビが亀の卵を狙って穴を掘っていましたよ」といわれ 現場に行ってみたら 手でなでたような浅い凹みがありました。

ヘビの好物がであることは知っていましたが 5センチから10センチくらいの厚さでかけてある土を払うとは思いませんでした。

田舎で暮らしながら 周囲の自然界のことにはある程度精通していると自負しているのですが ヘビが卵を狙って穴を掘ることは知りませんでした。

ヘビには申し訳ないのですが さっそく卵が隠されている場所の植木鉢をかぶせ ヘビの襲撃を防ぎました。

どん亀の卵が孵化して 亀の赤ちゃんが這い出す日を待つ楽しみをもらいました。


 

 

使い捨ての傘


ふと気づいたのですが 最近は「使い捨ての傘」という商品が少なくなったように感じます。

天気予報が正確になって あらかじめ雨具の用意をする人が多くなって需要が減ったせいだと思っています。

使い捨ての傘が たしか一本200円で出現したときは世の中が豊かになったことと それを実現する生産技術の進歩にびっくりしました。

同時に 路上に捨てられた壊れた傘とか 邪魔になってあちこちに捨てられた傘を見て 平気でものを粗末にする文化になり始めたことを恐ろしく感じてもいました。

お寺でも古びた忘れものの傘がたくさん貯まるようになっていました。どこにも持って行けないので まとめては何度かゴミとして捨てました。そんなことを繰り返すうちに 自分たちに出来ることは何だろうと思ったのです。

取り違えられてもいい傘 どこかに忘れても惜しくない傘を持つのを止めようと思い 自分のライフスタイルに合った傘を買うことにしました。手頃なサイズと好みの色などを考えて選ぶのですから 少し割高にはなります。

コンビニで売られている「ただいまの必要性」のみの傘の3倍はする値段でしたが 自分の傘という気分は捨てがたいものです。

きっと大切にするだろうと思います。また当分は 傘を差すことのうれしさも感じるのではないかと思っています。

たかが一本の傘ですが 自分の生活を豊にしてくれる用具でもあると気づきました。

 

 

半夏生の日にはタコを食べよう


ショッピングセンターのチラシを捨てようとしたら 「半夏生の日にはタコを食べよう」というコピーが目につきました。

「?」。
初めて知りました。

半夏生とは7月2日から7日くらいまでの1日をいうのだそうですが 毎年同じ日ではないようです。

その日までに田植えを終えるのが昔のお百姓さんの習慣だったらしく 植えた苗がタコの足のようにしっかりと根を伸ばすように願ってのこととか あるいは このころに収穫されれる野菜には毒があるとかで タコにある「解毒作用を利用するという説もあるようでした。

科学が進んだ現代では どちらの説も重要視されませんが 求めているものや姿勢は変わりません。

安心やいい暮らしを求めて知恵を絞り その時代に出来る最良の手段を習慣にしておられたのです。

どなたの発想か知る由もありませんが 「半夏生に日にはタコを食べよう」というチラシから 一瞬ながら人生を考えさせてもらいました。

今年の半夏生の日は7月2日だったようですが 我が家では食べませんでした。