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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

記念に残すもの


鳴り物入りでプロ野球の世界に入った新人選手が初ホームランを打ちました。

アマチュア時代には華々しい活躍をして 相当な実力のある選手なので ホームランを打つことは当たり前のように思われていた選手です。

そうであっても その選手にとっては初ホームランはうれしことだったと思います。ホームランになったボールはご自身の記念品にされるという映像が映されていました。

その様子を見た後で ホームランを打ったバットのほうが記念になるのではないかと思ってみたのですが そうされた選手のことを聞いた記憶はありません。

オリンピックでメダルを取ったときのユニホームとかスケートシューズとか それはそれで記念品にはなるのですが やはりどこか違うのです。

その品物が「その時のただひとつのもの」だから記念になるのです。その時の道具などは 活躍を支えていた愛用品として記念品になりますが 人生の一瞬の出来事という意味で別格なものと理解しました。 
 

 

本当に大切なものは変わらない


人間の暮らしは 見えるものばかりで営まれているのではありません。喜怒哀楽の感情とか他者を思う心など 見えないけれども大切なものがたくさんあります。

そのような見えないものは おりに触れ見えるものに姿を変えて目の前に現れています。

機会あるごとにどちらが大切なのだろうと考えながら やはり見えないものが大切ではないかと思っているのです。

先日 自分の死期を自覚した男性が まだお元気なうちに丹精を込めて育てておられた盆栽を すべて親しい人に譲られました。 

盆栽という形あるものを人に上げられたのですが 形あるものはいつかはその形がなくなるときがやって来ます。

一方でそのお方は 仏法を大切に思う習慣も家族に残しておられます。自分自身が親から引き継いだ 仏具磨きや報恩講といった仏法を大切にする家風も伝えられたのです。

そのような仏法にふれる様式や形も やがては変わるでしょうが 仏法そのものは変わりません。 

そのことを忘れないようにしたいと思っているのです。

 

 

無印良品


昨日コピー機の修理に来てくださったお方が 玄関に置いている「今日のことば」を読んで 「おもしろいことばですね」と話しかけてくださいました。

「読んでくださいましたか」といってお礼をいいました。

反応が少ないので あまり目に留まらないのかなあと思っていたのですが 読んでいただいていることが分かってうれしく思いました。

そのお方の目に留まったことばは 「私は善人印の粗悪品だが 如来さまには無印良品」というものでした。

自分もおもしろいと思ったものでしたので 「私は無印良品のファンなのですよ」と話しましたら 「うちの奥さんも大ファンです」といって応えてくださいました。

無印良品というブランドは 商品群のブランドですが 阿弥陀如来様がつけられた人間のブランドに思えたのです。


 

 

世の中は広い


名前は聞いた覚えはあるが 何をしているかを知らないグループのメンバーの一人が事件を起こし 連日のようにテレビニュースで報道されています。

事件のことが報道され始めてから結構時間がたっているのですが いまだにどのような活躍をしていたグループか思いつきません。

もうそろそろ終わりにしてもっと別なニュースを報道してもらいたいとまで思い始めました。

聞こえてくるニュースを耳にしながら これほど繰り返されるのは 世の中にはこのニュースに関心を持っておられる人たちが多いということだと気づかされているのです。

振り返って 私が関心を持っている宗教のことについての報道はめったにというかほとんど行われません。

報道するネタもないし ネタがあって報道が繰り返されたとしても 「またか」と思われたり「もういいよ」という気持ちになられるのだろうと思うのです。

世の中にはいろいろな人がおられ それぞれ興味があることは違いますが ひかれるような篤信者のライフスタイルにも興味をもたれる人はあると思うのです。


 

 

転職


お参り先のご主人は 地域の要所要所にあるATMに現金を補充する仕事をしておられました。

このたびお参りしたとき 「連休中はお忙しかったですか」とおたずねしたら 「あの仕事は辞めました」とおっしゃいました。約15年勤めた現金運搬と補充の仕事から トマト栽培の仕事に替わられたというのです。

今までに転職の気配もありませんでしたし 新しい仕事への関連も話題になかったので驚きました。

「お替わりになっていかがですか?」と 様子をお尋ねしたら 「おもしろいです」と満足そうにいわれました。

「生きもののお世話は息が抜けないから大変でしょう」と話しかけたら 「油断が出来ずしんどいこともありますが 今までの仕事より楽しいです」と笑顔になられました。

多額のお金を扱う仕事には 厳しい決まりがあってもいのちと向き合うような愛情は無用です。トマト栽培の仕事にも決まりはあるでしょうが 今までのような厳格な規則や緊張感はなくなったと思います。

何よりも いのちの営みを身近に感じることが出来ることが楽しいといわれたのです。 

 

 

同じお話し


連休が終わります。この休暇を利用して 法事やお墓参りをされたお方が何人もおられました。

お参りさせていただくときは 読経の後少しだけ仏教についてお話をします。

今までの連休中もそうだったと思うのですが 今年も同じ内容のお話しを毎日話させていただきました。

小さな子どもさんがおられるお宅でも 大人ばかりお参りのお宅でも同じお話をさせていただいたのです。子どもさんがおられることを想定していましたので 子どもさんにも伝わるようなお話を選んで話しています。

繰り返し繰り返し話すうちに 間合いとか抑揚などにも工夫が出来るようになって 興味深そうに聞いてくださるお方も増えたように感じました。

お話しを繰り返しながら 仏教は理解するものではなく 感じるものではないかと思いました。
 

 

 

こいのぼり


今日はこどもの日です。早朝から市内の中心地まで出かける用事がありました。

きもちがいいお天気で さわやかな風も吹いて きもちがいい朝でした。車窓を開けて走りながら気づいたことは こいのぼりが泳いでいる家が一軒しかなかったことです。

見落としがあったのだろうかと思い 帰り道も見ていましたが やはり一軒でした。

子どもが減ったことが原因ですが 端午の節句の祝い方も変わっているようです。

何軒かの家で 武者飾りを見かけました。また柏餅も見かけました。

室内に武者人形を飾ることはしても 屋外にこいのぼりを泳がせることが減っていると感じたのです。

ひな飾りが武者飾りに ひなあられが柏餅に変わり 大空を勢いよく泳ぐ力強いこいのぼりが静かに消えています。

この現象は少子化ばかりでなく 街並みの変化や屋内遊びが定着したことに原因があるように思えてきているのです。
 

 

小鳥の救命


昨日の朝リビングのガラスを拭いていた家内が 「小鳥がガラス窓に当たって逃げたよ!」と叫びました。

見ると窓際に置いたベンチにきれいな色をした小鳥が仰向けになって落ちていました。

「そこに落ちているよ」といったら 「今当たった小鳥は ホラ あそこにいるよ」といって庭木にいる小鳥を教えてくれたのです。

2羽の小鳥がいたようで その一羽が脳しんとうを起こして落ちていたのです。

すると庭木にいた一羽が 落ちた小鳥のそばにやって来て くちばしで顔のあたりをつついたのです。驚いたことに 落ちていた小鳥が起き上がったのです。

でも飛ぶことは出来ず もうろうとしている様子で動きませんでした。元気な一羽が 「ほら元気を出せよ」とでもいうように 2度3度 頭を使って身体を押すのです。

そのたびに意識が鮮明になるようで 少しずつ動きだし ついには庭木まで飛びました。

二人とも 小鳥が必死でたすけようとしている様子を見ながら その場を動くことが出来ませんでした。 

2羽の小鳥が飛び立ったあとで 夫婦だろうか それとも兄弟なのだろうかと話ながら 感動的な短いドラマを観たような余韻に浸りました。

 

 

統計


プロ野球のテレビ観戦を楽しんでいます。解説者の方とかアナウンサーの方が 選手の記録の統計を紹介されるので それを聞きながら観戦する楽しみもあります。

ホームラン数や打率 防御率とか盗塁成功率など 実に細かなデーターが記録されていて その統計が試合で活用されていることも知りました。

そのような統計は 選手の実力とか成長あるいはクセのようなもので 実際に効果はあると素人ながら感じています。

統計は過去の記録の分析なので 現在とは違うはずですが いちがいにそういい切れません。ここに投げたらホームランを打たれることが多いという打者に対して そのコースに投げることはしません。

本願寺が発表した統計の中に 「本願」とか「他力」ということばや意味を認知している人は2割以下という数字がありました。

その統計を見て 「本願」や「他力」ということばとか意味を認知しやすいように解説して 3割4割の認知度にしなければという思いが浮かびます。なぜならこの認知こそ信心ということですから 当然の考え方です。

しかし一方で 今まででもそれをやって来た結果 8割は無駄話だったのですから 別な手法を考えることが必要だという思いも浮かびます。

この統計から 知的なことばでの解説に依存することはほどほどにして 認知して生きている人の言動や姿を紹介する手法が大切だと思ったのです。


 

 

投票日



お寺の行事を決めていたら あとで その日が地元の市長、市会議員選挙の投票日になっていることが判明しました。

投票日といっても 投票所までの道中のことや投票に必要な時間のことを考えると まるまる一日必要である行事とは思えません。

そう思いましたが お寺の行事に関係される皆さんのご意見もお聞きして 予定を変更することにしました。

投票は短時間で終わる行為なのですが 立候補された人や応援された人たちにとってこの日は 長いイベントの集約日になるはずです。そう思い変更させていただきました。

建前に聞こえますが お寺の行事には参加したいお方は誰でも参加していただけるようにしておきたいのです。またお寺の行事を何よりも優先して欲しいという思いもあります。

そんなことを思っているのですが 私自身の伝道への熱意が薄くて 予定を変更しました。

お寺の行事と地域の行事の重複について あらためて考える時間をいただきました。