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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

私にとっての国際化の始まり



世の中の変化について話すときに用いられる用語の中に 国際化という単語があります。

日本だとか韓国 あるいはアフリカやアラブといった国や地域のさまざまな個性が薄れていることを表現することばと理解しています。

人の出入りとか品物の交流が活発になり 文化や生活習慣の特徴が薄れるという状況もあります。

そのような国際化という流れによって 比較的厳密に守られているイスラム教に従った信者の生活習慣も薄れてくる予感がします。

戒律が厳しい宗教においてそうですから おだやかな戒律や無戒律の仏教徒が 国際化の渦に入ったときどうなるのか想像することは難しくありません。そんな時代になった現在 仏教をどのような形で伝えるか しっかり考えなければなりません。

国際化の流れはますます激しくなります。それを認めることは 自分の変化が必要になるときです。内輪の中で考えても方向は見えません。世界の中に身を置く意識で考えなければなりませんが それは簡単なことではありません。

先日から中国製のスマホを使い始めています。購入することをしばらくためらっていましたが 使ってみると驚くほど使いやすく しかも安価でした。

些細なことですが 井戸の中から外の世界を見たような気分になっています。

 

 

過疎仮説


「過疎」とか「過密」ということばは 身近な生活の感覚で捉えられています。

さまざまな現象を日常生活の上で感じ そこで感じた不都合なことを過疎とか過密ということばで捉えているように思うのです。


過疎も過密も 私たちがつくり上げたものであることを考えたいと思っているのです。豊かな暮らしを求めて働いて 大切なことを見失ってきた産物ではないかと思うようになったのです。

そして過疎や過密は私たちに何かを気づかせようとしているサインだという仮説を立てました。

いま目の前にあるお寺は 過疎とか過密ということばがなかった時代にあちらこちらに出現しています。当時の人たちはそこに何かを期待し 大変な苦労をして満足する生活スタイルを創り上げようとしていたと思います。

その思いが やがて時代の波に飲み込まれ 気づかないうちに 過疎過密という現実をつくりあげてしまったという仮説です。

その仮説を実証するために 時代を超え 大事なものを見失わないで生きるための場づくりを いろいろな試みを重ねながらやってみようと思っています。


 

 

サルのはなし


しばらく見なかった野生の猿が出没するようになりました。

暑さが和らぎ 猿にとっても日中の活動が楽になったからでしょうか。

先日の朝方お参りの通り道で 畑を耕しておられる顔見知りのご婦人がおられたので「猿は出ませんか」と声を掛けてみました。

「出ますよ たった今ここに来ていたんです。も~う腹が立つといったらありません」と待っていたかのように話し出されました。

「今 ふと振り向くと 小猿が一匹すぐ後ろで私を見ていたのです。コリャ!と叱ったら ゆっくり歩いて逃げましたが バカにしたような動作で腹が立って 腹が立って」と話されたのです。

姿は見えなくなっていましたが つい今しがたの出来事だったようです。

野生の猿は高齢の女性をバカにするという話をたびたび耳にしますが それは事実のようです。猿だって 自分の身が安全かどうか相手を見ながら生活をしているのです。

このような猿の考えを尊重して 見かけたときには「人間に近づくことは危険だ」と教え込む行動を私はひそかにパチンコで実行しています。


 

 

アサガオ


やっとアサガオの花が咲き始めました。蔓は大きく成長したのに 花が咲かないので少し気にしていたのです。

苗をいただいたお方に話すと 「家ではとっくに咲き始めていますがねえ」といわれ 「そのうちに咲きますよ」といわれていたのです。 その花が気にならなくなった頃 やっと咲いたのです。

数日前から一輪咲き始め 最近は数輪の花を見ることが出来ます。

4本植えてあるのですが 花が咲くのはそのうちの1本で 期待している一面の花が楽しめるのは もう少し先になりそうです。

アサガオも人間と同じく個性がしっかりあるようで 今では納得しています。


 

 

お別れの作法


お世話になったお方がお亡くなりになったので お悔やみにお参りしたときのことです。

お仏間に寝かせてあるご遺体に向かって一礼し 座っておられるご遺族の方に許可を求めるお声掛けをしました。

「お顔を見てお別れをしてもいいですか」とお伺いをしたのです。

許可をいただいて お顔にかけてある白い覆いを静かに開け 「長い間お世話になりました」とお礼をいいました。

そのあとで ふとお悔やみに見える方々はどのようになさるのだろうかと思い お別れには決まった作法があるのだろうかと考えたのです。

作法を指導される先生の本の中には この場面のマニュアルを見たことがありませんので おそらく自分の裁量でされているのだと思います。

ご遺体が拒否の意思表示をされることはなく 間近で見てほしくないと思われていたとしても もはや何もできない状態になられています。

そのお方との間近な対面には ご遺族の意志を確認することは大切な作法だと思ったのです。

 

 

鬼さんからの電話


お説教に見えたご講師さんに 地獄の絵を見せたら 「鬼さんから電話だよというアプリがあるのをご存じですか」とたずねられました。

「知りません」とお答えしたら 「こんなものです」といってアプリを開いて見せてくださいました。

たとえば テレビなどに夢中になってなかなか寝ようとしない小さな子どもに 親がこのアプリを開くのだそうです。

スマホの中の赤鬼が大きな声で用件をたずね 「子どもを電話口に出すように」というのです。突然恐ろし形相の画面と不気味な鬼の声を聞いて 怖がって眠りにつくという脅しのアプリでした。

小さな子どもには有効なアプリですが いつまでも通用するものではないと思います。しかしこのようなアプリが開発されていることは 研究次第で大人の思いを和らげるようなことも出来るのではないかと思いました。

その中身を考えることはおもしろいのではないかと思い しばらく話し合いました。

 

 


先日 興福寺の中金堂再建にカメルーン産の欅が66本使われているという記事を読みました。

うちのお寺の本堂にも欅の柱がたくさん使われていますが すべて日本の木です。先日数えたら39本ありました。

丸い柱お直径は約25センチで長さは4メートルくらいはあるものです。また四角い柱は30センチ四方の大きさで やはり4メートルくらいはありました。

この本堂が完成したのは昭和11年ですから82年前になります。

建築開始までの話し合いや 話が決まった後からの木材探し。伐採後の放置期間のことを考えると 100年くらい前に切られた欅と思われます。

当時は周囲の山々にこれほどまでのみごとな欅があったことにただ驚くばかりです。

さらに深い山から 道らしい道がないところを通り 人力で運び出す苦労は想像することが出来ません。

そんな貴重な資材が使われている建築物のことを忘れてはいけないと思い 当時に苦労や情熱を見えるようにする準備を 専門家の力をお借りしながら始めました。

 

 

ロッチャドオーロ


挑戦する若い人に会いました。

神楽坂にある「ロッチャドォーロ」というイタリアンのシェフは 島根県浜田市出身の人でした。

島根県の美味しい食材を紹介する仕事を始められた平和亭のご主人に教えていただきました。

数日後に東京に出張の予定があったので さっそく訪ねることにしました。

予約してうかがったことと まだ来客までには間があるようで シェフと店長の挑戦をゆっくり聞くことが出来ました。

私たちには想像が出来ないことですが 食事を提供する業界の中では熾烈な競争が行われているだろうと思います。

そこで生き延びるためには よほどの苦労をしなければならないだろうとお話をお聞きしながら思っていました。

開店して3年くらいとお聞きしましたが どのような夢をお持ちなのか伺いませんでした。夢があれば苦労が出来ると思います。

そしてその積み重ねがその地域で輝くお店になり やがては島根の食材が評価されることになるのだと エールを送って帰りました。


 

 

つくずく日本はいい国と思います


先日 羽田空港の出発ロビーにデジカメを置き忘れました。

そのことに気づいたのは帰宅してからで それまで気づきませんでした。帰って荷物を整理しながら デジカメがないことに気づいたのです。

置き忘れたとしたら 座って待っていた搭乗口の前のシートか あるいは搭乗の直前に行ったトイレだろうと見当をつけ 羽田空港のお忘れ物センターに電話を掛けました。

夜9時半を過ぎており 翌日の朝9時から受け付けるというメッセージを聞いて休みました。

カメラは使い込んでいましたが 記録とか思い出になる場面の撮影がありましたので それが失われることは残念でした。

翌日9時を待って電話をかけ 置き忘れ場所とデジカメの特徴を伝え 届が出ていないか問い合わせました。

「あってほしい」という気持ちと 「あきらめなければならないか」という気持ちが入り混じった2~3分の時間でした。

電話の先では品物探しが始まった気配を感じたので 所要のため受話器を家内に渡しました。

しばらくして始まった会話を聞いていると 「会合の場面が数枚 孫を写したものが・・・」という家内の声が聞こえ 相手の人がカメラを確認している様子を知りました。


無事であったことをうれしく思うと同時に 「日本はいい国だ!」とつくずく思いました。 
 

 

小さな変化の積み重ね


明日はお寺で「永代経法要」という行事を行います。

いくつかの変化をさせて準備していますので 初めて行う行事のような新鮮さを感じてワクワクしています。

例年は2日間の行事でしたが 今年は1日限りの行事にしました。

お参りしてくださる人が減ったことと まんが図書室を設けたので 本堂のスペースが3分の2とコンパクトになりました。

接待するおそばの業者が変わり メニューを「盛りそば」に変えました。

準備のために 今日の朝からたくさんな人にお手伝いをお願いしました。

まんが図書室が充実し始めましたので 「子どもさんもおいでください」とPRしてみました。

一部の方のためにお参りする読経スペースを 内陣余間の法名軸前に設置することにしました。

休憩時のお茶接待場所をまんが図書室に設置して まんがや絵本のPRをしようと考えました。

みんな小さな変化ですが このようなことを積み重ねていたら やがてお寺のイメージが変わるだろうと思っているのです。