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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

冷や汁をいただきます



7月法座の「お寺ごはん」に冷や汁を計画しています。

子供のころ 味噌汁をご飯にかけて食べていましたが それをイメージしていただくといいと思います。

ご飯の上に よく冷やしたお汁をかけていただくのですが このお汁に特徴があります。

宮崎県の郷土料理として有名ですが その宮崎から取り寄せた冷やし汁を準備しているのです。

数ある冷や汁メーカーの中でも この社長のこだわりが一番と評価している会社のものです。

私たちが食べていた「味噌汁かけご飯」と違うのは ゴマや落花生 イリコなどが入った味噌に 夏野菜や豆腐を加えたお汁をかけることです。

食欲がおちる夏場に ご飯が進むことは請け合います。


「愛楽仏法味 禅三昧為食(あいぎょうぶっぽうみ ぜんざんまいいじき)」の日にしましょう。

珍しい郷土料理を味わいながら 梅雨の一日をお過ごしください。7月15日11時から始めます。


 

 

お寺の役目は



周囲のお寺から面白そうなニュースが伝わってきます。

お寺の存在や役目のことを知っていただくために いろいろなイベントや事業が実行されているようです。

常設のカフェや音楽会 あるいは仮面をつけた僧侶が登場する子供会やコンピューター映像を使った雰囲気づくりなど 住職の裁量に合わせた企画が あちこちで展開されています。

それは地域やお寺に無縁であった人たちと縁を結ぶ行動で 私にはできないことでもありエールを送っています。

社会の変化に合わせながら少しづつスタイルを変えることは大切ですが 次第に「語り」の新鮮さが失われていることにも注目しなければならないと感じています。

お寺と同じではありませんが TDLやUSJなど 大きなアミューズメント施設は次々に新らしい企画や事業を展開します。

その目的は 「楽しかった」「また行きたい」という感動を創造することにあります。

お寺の役目を考えることは その「感動の創造」と同じような 「何かの創造」を考えることと同じだと考えてもがいています。


 

 

車検はなぜするのでしょうか



5月になって 自動車税の納税通知が届いたときのことです。

その通知はがきには 「この納税証明書は車検を受けるとき必要です」と書かれていました。

自動車税と車検時の税金など たくさんな税金を納めていることに気づかされるのです。

その金額が大きいと 自分が便利で快適な暮らしをしていることを忘れて つい不満が口に出ます。

余分な税金を支払う必要はないのですが 今の便利さや快適さを続ける必要経費として受け止めようと思い始めています。

生活にゆとりがあるかないかに関係なく 車に乗るからには納めなければならないものですから 「受け止める思い方」を変えてみようと考えたのです。

いろんなことは 考え方受け止め方によって変わります。

いやいや受け止めたら 腹も立ち不満を抱えて世の中を生き続けることになります。逆に受け止めたら 豊かな生き方が始まるはずです。

自分が納めた税金の使い道や使い方に関心が生まれます。気づかなかった恩恵を知ることにもなります。

さまざまな裾野が見え始め 安全運転へのいっそうの自覚や 車社会への貢献が始まると思います。


 

 

人材を見つける



人材を育てることも難しいことですが 見つけることも難しくなりました。

探す側の人にあらかじめイメージしている人物像があって そのフィルターを通して探そうとしているからです。

また人間の成長とか変化のことがわかりにくいこともあります。

性善説とか性悪説にとらわれないで 「人は変わる」ことを考えながら探すことが大切だと思います。

人はどのような人と出会っているかという 出会いと環境によって変化します。

ということは大変厳しいことで 自分のサイズ以上の人を見つけることは難しいということでもあります。

諸行無常という仏法のことばは そのことを教えていると理解しています。
 

 

 

梅雨の晴れ間は草取りを



ただいま我が家の庭は 草が伸びて一面の緑を見せてくれています。

家内がせっせと草取りをしてきれいにしていたのですが 草が生える勢いは手に負えません。

工夫をしながら 少しでも見栄えをよくしたいと梅雨空を見上げながら思案しています。

そういう私は 特にお花が好きだったわけではありません。子供のころから草花に囲まれて育ってきて 管理して育てたり鑑賞するという習慣は身についていませんでした。

それがいつの間にか庭に出て花を見るのが楽しくなってきました。見るばかりではなく 手入れをすることでずいぶん楽しくなったと思っています。

私には草花の表情が見えませんが 愛情を注ぐと何かで必ず答えてくれています。

病気の治療をしたら 葉っぱが生気を取り戻してよろこんでくれます。タイムリーに剪定をすると 新しい枝を伸ばしてくれます。

バラ園のつもりで始めたのですが いつしかいろいろなハーブが加わり 今は山野草も加わって新しいイメージのお庭になりました。今はその途中です。


しばらくは雨の止み間を見て 「花を楽しむお庭」というテーマを目標に 管理に精を出したいと思います。

 

 

ポツンと一軒家



「ポツンと一軒家」というテレビを見ています。

何が面白いのか明確に説明することが難しいのですが ほんわりと面白いのです。

人里離れた山の中にある一軒家を訪ねて そこでどんな人がなぜ暮らしているのか インタビューして紹介しています。

登場するのは 空から写した一軒家の周囲 登場する高齢者やユニークな人生観をもった数人の家族。そしてレポーターのスタッフ一人だけという番組です。

近くに職場はなく 先祖が大切にしてきた土地や田畑を守るための暮らし。

買い物や病気 あるいは災害などのことを考えたら不安になりそうな場所で 特に不自由さを訴えることもなく暮らす考え方。

楽しみらしきものが何一つないように見える場所での生き方には 妙に新鮮さを覚えるのです。

多くを求めず「足るを知る」という生き方 多と比べることなく「日々是好日」という生き方が 現代人に何かを考えさせてくれるのでしょう。

ポツンと一軒家には 過疎も過密もありませんでした。

 

 

品質が良くなっている



日本製の日常品は 品質が驚くほどよくなっていることを実感しています。

だから外国からやってくる人がお土産に日本製品を爆買いする理由はよくわかります。

先日家内がボールペンの芯を買いました。私も愛用している三色ボールペンの替え芯です。

力を入れずに線が伸びる感じで 字を書きたくなる気持ちになるのです。

インク玉ができることもなく 極寒の日でも即時にインクが出ます。そして何よりも「ペンが走る」という表現がぴったりするような書き心地がたまりません。

鉛筆も使いますが メモにはシャープペンシルが重宝です。その替え芯も折れにくくなっていますし 伸びもよくなっています。

筆記用具に限らず 洗剤などの日用品の使いやすさとか Tシャツなどの衣類の着心地も申し分ありません。

あらゆるものの品質が良くなって 豊かになっていることを再確認しています。 


 

 

夜の景色



錦市場の中にあるお店で夕食を終え 夜の市場通りを歩きました。

外国の観光客は歩いていましたが 昼間の賑わいはなく人通りはまばらでした。

多くのお店は 入間のゴミを店の前に出しシャッターを下ろしていました。

注意深く見ると そのシャッターに絵が描いてあるのです。それはすべて伊藤若冲の絵でした。

市場の中に「斗米庵」という料理店があります。

そのお店の人の話を聞いていたので シャッターを下ろした後の錦市場が 若冲美術館に変身する理由がわかりました。

若冲の絵がまだ認められなかったころ 描いた絵とお米一斗を交換してもらっていたことに由来して名付けられた店名と聞いていたのです。

京都人の奥の深さに触れたような思いがしました。京都はまだまだ未知の都市です。



 

 

「生きる」ってどういうことなんだろう



研修のためにお寺に来られる人の履歴書や その人への期待について読みながら考えたことです。

企業とか家庭 あるいは個人にしても 今日一日を漠然と生きてはいません。

何かを手に入れようと考えたり 何かを目指して行動していると思います。

研修では 「やがて死ぬ身であるのに なぜそんな行動をするのですか」と自問することをしてみたいと思うのです。

気の利いた答えを懸命に探そうとしたら どんな答えが見つかるでしょうか。

「生まれたからには 育てていただいたからには 社会や次世代のために何かをするようになっている」という答えがあります。

他方では 「一度かぎりのいのちをもらったのだから 生んでもらってよかったと満足するために生きるのだ」という答えもあります。

積極的に生きようとする人や 成り行きを重ねながら仕方なく生きる人もあり 実にさまざまです。

人はそれぞれその場そのときの出会いによって 自在に方向を変えながら生きています。

そしてその出会いのときの選択が 今になっていることは間違いありません。もしその今が 満足で感謝に満ちていたら そのときの選択基準がそこに導いたといえます。

そのとき自分が持っている選択基準はどのようなものであったのか。

それを自覚することと もしあらためたいと思ったなら 何をどうあらためるかを考える。

それが研修という時間なのだと思ったのです。


 

 

梅雨入りしたそうです



中国地方が梅雨入りしたと報道されました。

とっくに梅雨に入っていると思っていたのですが 気象庁からの梅雨入りの発表はお預けでした。

10日くらい前から雨模様で蒸し暑い日が続いていたので 梅雨になっているとばかり思っていたのです。

何度か「もう梅雨に入っていますよね」と周囲の人に話したのですが その都度「まだ梅雨入りの発表はありませんよ」といわれていました。

気象庁は 梅雨前線が近づいたかどうかという気象状況を見て判断されるようで 生活感覚では断定されないようです。

目くじらを立ててあれこれいうつもりはありませんが 生活者は感覚で判断してもいいのではと思っています。

梅雨になると雨が降り蒸し暑い日が多くなるという感覚。稲が育ち蛍が飛ぶという風景。初物のそら豆や桃を食べる暮らし。

そんな生活を体験するようになると 私の体感ではすっかり梅雨なのです。

気象図で判断する梅雨ではなく 体感で判断する梅雨に合わせて暮らしています。

今朝から 大阪に出かけますが大雨のことは心配です。