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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

応援したくなる人たちのこと



応援したくなる人たちが周囲に何人もおられます。

相性もありますが 基本は真摯な人です。

そしてもう一つ 前向きに生きようとされている人を応援したいのです。

我欲へのこだわりが強いと感じる人はうれしくありません。

愚痴が少なく 前向きに暮らしている人たちが好きなのです。

応援するといっても特別なことをするわけではありません。自分にできることで 勝手に応援するのですからご都合主義の応援になります。

たとえばご本人が気づいておられない特性 自分では話しにくい特技やライフスタイルなどを紹介して賛同者が増えたらいいと思っているのです。

ひたむきに文字の力を探っておられる無名の書家。

事業の栄枯盛衰という現実を謙虚に学び 新事業に挑戦する事業家などが応援したくてたまらないのです。


 

 

連休中に観た映画



連休中の夜は 自宅で3日間映画鑑賞をしました。

3本の映画を観たのではなく 「万引き家族」1作を三日間かけて観賞したのです。

昨年に上映館を探していたのですが タイミングが合わず DVD化されて発売されるのを待って購入しました。

ひとことで感想をいえば 「おもしろかった!」。

いろいろな見方が出来る映画ですが 現代の家族について特に考えさせられました。

カンヌ映画祭の最高賞受賞作ですが 世界の人々が求めているコトが求めていることが語られていました。


 

 

期間限定の催し



長い休みの間には 各地でいろいろな催しが開かれていた はずです。

一日だけの催しもあっただろうし 連休期間中の全日の催しもあったと思います。

その内容を計画したり 期間とか会場を定めるのは おそらくは実行委員会とか企業の特定スタッフでしょう。

全国でどれだけ多くの催しが行われていたものやら 想像出来ませんが これはおもしろいと目についた企画がありました。

「ほぼ日」という企業がやっていた 「メールするから メールください 2019」というゴールデンウィーク限定の催しです。

たとえば 通りすがりの人が 有名フレンチのシェフにメールをしたとしましょうか。

名前くらいは知っていたとしても ことばを交わしたこともないのに 「あなたの得意料理は何ですか」とか 「見習いのとき どんな気持ちで働いていましたか」なんていうメールを送れますか。

無縁同士であっても 一週間にかぎり 「ほぼ日」の誰かとメールの交換が出来るという催しと理解したのです。

ネット時代にふさわしい 何かがおこりそうな企画だと思いませんか。

さてどんなメールが返ってくるか。


 

 

アイデアが浮かぶのは



いろんなのことに アイデアがどんどん浮かんでくるように感じます。

自分で評価して 実現させたくなるものもあれば おもしろくないものもあります。

内容は大小さまざまで 他人に話したくなることとか 直接自分に関係ないようなことなどさまざまあります。

その中で実現するものはわずかなのですが アイデアが浮かぶことは楽しいものです。

浮かぶことに蓋をしないで 浮かぶことにまかせておけば 頭は固くならないのではないかと思うのです。

浮かんだアイデアを 素早くメモすることはありませんが 再考したいと思ったものはできる限りメモに残します。

でもそのメモを見直すことは 必要がないかぎりありませんので いつの間にか古くさいアイデアになっています。

その繰り返しをしているようですが それも人生の楽しみです。 


 

 

お芋のお菓子



5月になって芋のお菓子を2回食べました。続けて重なったので すこし考えさせられました。 

一回目は高知の芋屋金次郎商店で コーヒーといっしょに出されて食べた芋けんぴ。

二回目は昨日 車中でつまんだタリーズコーヒー店で買っていたさつまいもチップス。どちらも美味しく作り上げられた 日本特有のスナック菓子です。

原材料はもちろんさつまいもですが それぞれにブランドがついていました。芋けんぴに使われているのは徳島の鳴門金時。さつまいもチップスのは黄金千貫という九州産。

それぞれが美味しさの研究をつくしていることを感じました。

とくに芋屋金次郎商店さんのことを最初に知ったのは 東京の室町コレドというショッピングセンターでした。さつまいものスナックだけの専門店でしたが 繁盛していました。

その本店が高知にあるというので訪れたのですが 全国どこでも評価されるに値する店でした。

全国に通じる店は 味はもちろんセンスとサービスの質が研究されていることを感じました。


 

 

改革者は「よそ者 若者 ばか者」



世の中を変えるような改革は よそ者か若者 あるいはばか者によって実現するという話があります。

世の中の改革者を見ていると なるほどそういう人が多いように見えます。

私はそのどれにも当てはまらないので 改革は出来ないと思っていました。よそ者ではありませんし若くもありません。

そして自分をばか者とは思いたくもなかったからです。

もし本気で改革したいと思えば ばか者になって実行するチャンスしか残っていないので 本気で考えて見ました。

ばか者というレッテルは 自分で貼るものではありません。その行動を見た他人が貼るものです。外部の人が 「あいつは何をやっているの」とか「変わり者だよ」と見られることになるのです。

他人の評価を考えず 自分の信念で行動し続けていると たぶんそのように見えることになります。

それに耐えるのではなく どのような悪口や非難もおかまいなしに自分の考えを実行することがばか者の第一歩になるのです。

まずは自分の信念は何か その点検からです。


 

 

砂丘美術館に行きました



高知県黒潮町にある砂丘美術館に行ってきました。

展示品は白いTシャツ1013枚。

広大な砂浜が美術館でした。

太平洋を展望する浜で 小さな椅子に掛けて海を見ていた家内が 「水平線は真っ直ぐだ!」と新発見のように話しかけてきました。

「ほんとうだ 真っ直ぐだ」と 私もあらためて眺めていました。

首を回さなければ全部を見ることが出来ないほどひらけていたのです。

往復16時間 約900キロ走ってやって来てよかったと思いました。


 

 

そうはいっても



大きな智慧に出会うと その智慧の力が すこし自分に伝わるような感じがします。

冬眠から醒めたヘビが道路を横切る季節になりました。そのヘビを轢かないようにあわててハンドルを切ります。

通り過ぎた後 バックミラーでヘビが草むらに入るのを確かめることが永年の習慣になっています。殺生したくないという思いが働いているからだろうと思います。

そう思いながらも間に合わずに轢き殺したり ねずみ取りシートは仕掛けて ネズミが掛かるのを待っている自分がいます。

まったく矛盾しているのですが このような感情をどのように整理したらいいのか よくわからなかったのです。

ところが最近になって その場そのときによってコロコロと思いを変える適当人間の私を 見つめながらそれを受け入れる智慧があることに気づきました。

そのような智慧との出会いによって 殺す私も殺されたヘビやネズミもなど すべてのものがその智慧の中で生きている真実を感じているのです。 


 

 

令和



令和になりました。

といっても特に興奮するような思いはありません。昨日と同じように 今日も充実した一日を目指します。

昭和の後半から 次第に国際暦を多用する習慣になっていましたからだと思います。といって元号があることに違和感をもつこともありません。

私が国際暦を多用する理由は計算がしやすいということです。そして周囲にある資料に日付が記入しやすいという単純な理由なのです。

2019(令和元年)年5月1日の朝になりました。

お寺のサポーターの書家から いただいた色紙です。とてもすてきな書体で気に入りました。


 

 

出る杭は?



出る杭は打たれるのでしょうか それとも切られるのでしょうか。

木でつくった杭なら 切ることも出来ますから 「出る杭は切られる」こともあります。

さて今の時代に 出る杭はどちらになるのでしょうか。打たれた杭は ふたたび出ることもありますが 切られたら二度と出ることはありません。

「出る杭は打たれる」ということわざの意味は 目立つ生き方をしていたら 世間からたたかれるという意味ですから 本来は打たれるであったろうと思います。

しかし現代では 再起できないほどいじめられ 切られてしまうようなことが起こっています。禍になるものは完全に断ち切ろうとする時代になっているように感じます。

杭はそれが出る場所や出るときを選びませんが それが目障りになるとか邪魔になるというのは 場所や時代の変化です。

杭が出ても やがてそれが目立たなくなったり 役に立つときが来とお思って見守ることも必要ではないかと思うのです。