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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

ハリウッド郊外のショッピングモールに出掛けました



ハリウッド郊外のショッピングモールはクリスマスセールで賑わっていました。日本のような混雑場所はあまり多くは見かけませんでしたが、レストランには行列ができていました。

どこの国も、何かのお祝い行事のときは、プレゼントやご馳走をしてお祝いをすることを納得しました。

「ハレ」と「ケ」ということばの意味がいまひとつよくわかりませんが、日ごろの無事をお祝いして一切のものに感謝する特別な日を「ハレ」というのでしょう。

そうであれば、私は「ケ」の日ばかりです。そして、「ケ」の日を楽しくしたいと思っているのです。毎日、他者のために何か役に立つことが出来ないか、自分のことに気づくことがあっただろうかと振り返ることが楽しいのです。

そういう意味で、特別な賑わいの日も、私にとってはご馳走をいただく以外はいつもの一日と変わっていません。

 

いのちが終わるとき



若中の展示で有名な州立美術館に行きましたが、なぜか一点の展示がなく、日本館という展示館になっていました。

週末の繁華街はクリスマスセール一色で、人混みの中を迷子にならぬよう家族にくっついてうろうろと歩きました。

その途中、日本から「おばあさんがお亡くなりになった」という報せが葬儀やさんから入りました。

受け取った時間はアメリカのお昼前。その時間は日本の早朝にあたり、大急ぎで時差を計算して連絡を取りました。

アメリカへの旅行中にお葬式の連絡を受けるのは今回が4度目です。年に一度、一週間の旅行ですが、なぜかお葬式と重なることが多いように感じます。

留守番役の家族には迷惑をかけています。

 

 

マリオネット



マリオネット劇場を見学しました。

1960年代から続いている劇場ということで、浅草の寄席のような雰囲気でした。

無造作に置かれたパイプ椅子に掛けて、身近に人形のダンスを鑑賞しました。

入館と同時に、「スペース」と「もようしもの」など、お寺に重なるものがあるような気がして、時差ぼけの頭で考えていました。

 

 

難しい教えをやさしく

「やさしく つよく おもしろく」をモットーに暮らそうと思い始めてからいろいろな気づきがあります。

お寺の法座で、暦を使うことを思いつきました。
それというのも、本願寺の出版社からこのたび出版された「日めくり」が「やさしい」ことばであると感じたからです。

「やさしい」ということばの意味はいろいろで、「人には優しく」とか、「やさしくつながろう」というやさしさもあれば、「易しいことばづかい」というやさしさもあります。

この「日めくり」には、ことばづかいが易しいという意味でのやさしさがあると感じたからです。

どのような用語で表現しても、仏法が伝えてくださっている意味は深いものです。

その深みを、現代の暮らしの中に伝わることばで切りとることは難しいことですが、それに挑戦する表現がたくさんあると感じたからです。

いろいろ角度を変えてことばの意味を考えることが出来る暦です。

 

 

ロサンゼルスに来ています



先ほどロサンゼルスにつきました。

ただ今22日の午後2時。

機内で夕食を食べ、睡眠剤を飲んで寝ようとしたのですがしっかり眠れませんでした。

今日から4日間アメリカのクリスマスの賑わいなどを見聞します。

トランプ政権になって何か変化が起こっているか、注意深く見てこようと思います。


 

 

いよいよここまで変わった

お葬式の直前、お坊さんの控え室にご遺族の方があいさつに入ってこられました。

そのとき前日の通夜で話した法話について、感想とお礼をいわれました。

いわく、「とてもすばらしいコメントでした。知らなかった故人の一面を知ることが出来ました」とおっしゃったのです。

法話のことを「コメント」とおっしゃったお方に初めてお目にかかり、驚くとともに感心してしまいました。

コメントといっても間違いではないのかも知れませんが、通夜の席で仏法を語るお話は「説教」とか「法話」がふさわしいと思っていたのです。

百歩譲るとしても、せめて「スピーチ」とでもいっていただけたら少しは重みもあろうと思いました。

それにしても法話が「コメント」では軽すぎると思ったもので、ついグチを書いてしまいました。

 

 

炊くほどは


「焚くほどは 風がもてくる 落葉かな」
良寛さんが、「高給で迎えるから仕えないか」と誘われたとき、お返事に詠まれた句と聞いています。

我が家では落ち葉焚きをしませんが、毎日落葉をいただきます。風がこの場所に集めてくれるのです。

この句は、自分の暮らしに必要なものは、風が運んでくれているから十分ですという良寛さまの心境です。

いつの間にか「足を知る」という暮らし方を見失いつつある私たちに、「その考えでいいのかな?」「その暮らし方はしんどくないかね?」と気づかせてくださる句です。

木枯らしの季節になって、当分は落葉の掃除が続きます。

この句を口ずさんで、自分を振り返ることも大切です。

 

ことばが壁を破る

今年活躍したプロ野球で大田泰示という選手がおられます。ジャイアンツ時代に後楽園ドームでプレーを見たことがありました。

途中出場でしたが、アナウンスされたとき観客席から大きな拍手が沸いて、多くの人から応援されていることを感じたものです。

残念ながら巨人では期待に応える活躍が出来ず、昨年のシーズンが終わったとき移籍が発表されました。

日ハムに移籍した彼が、今年は大活躍しました。その原因が監督さんの助言があったことを知って、あらためてことばの力に気づきました。

日ハムの栗山監督は「お前の好きなように打て」と太田選手にいい続けられたそうです。もともと素質もあり練習もしっかりやっていた選手なので、あれこれ考えることなく普段の練習通りに打つことがいい結果になることを知っておられたのです。

打席に立った時とき、「ヒットを打たなければ」とか「勝利のために」とか考えることが、日ごろの練習の成果を出す壁になっていると監督は見ておられたのです。

壁は常に自分の頭の中にあります。その壁を破るのは、外からのことばと破るために蓄えた練習で、禅の「啐啄同時」の教えのことでした。


 

 

本を読む、旅に出る

未完成ながらホームページを更新して、精神状態がすこし空気が抜けていたようです。

数ヶ月前のように、全身の神経を研ぎ澄ませていたような状態が萎えていると感じていたのです。

そのような精神状態に気づかせてもらったのは一冊の本でした。唐池耕二さんというJR九州の会長さんが書かれた『本気になって 何が悪い』という本を読んでいて気づかせていただきました。

その本の中に、「夢が実現したら、夢は消える」ということばがあったのです。「夢見る力がないと、人を巻き込む気が生まれない」とも書いてありました。

「本を読む、旅に出る」。
そうすることが、現状を打開する気づきを与えてくれたわけです。

あるいはそのような本に出会えたことは、私自身にまだまだ夢見る力があったからともいえます。

 

 

芋法座


「芋法座」という、今年最後の法座をお勤めしました。

おやつは焼きイモでした。地域の畑で栽培された安納イモ、島根の特産西浜イモを一本ずつ召し上がっていただきました。外見は安納イモが黄色っぽくて、西浜イモは赤みがかっていました。

西浜というのは地域名で、イモの種類は「紅はるか」というイモだそうです。焼き具合が上々で、甘みたっぷりのイモをいただきました。

今どきの人たちは、食品としてのイモに対してどんなイメージをもっておられるのでしょうか。

私はやっと野菜と同じような食品として受け止めることが出来るようになりましたが、それまでは代用食料品というイメージが抜けませんでした。

「イモねえちゃん」などといった、なかば田舎者とか貧しさを揶揄するようなことばがあった時代に暮らしましたので、食品の中でも特別なイメージがありました。

時代はすっかり変わって、いまではイモを代用食と思う人はおられなくなりました。

そんなことを思いながらイモ法座をお勤めしました。