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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

口笛


お天気がいい日には事務所まで歩きます。

そのときは必ずNHKのFM放送でクラッシック音楽を聴きながら歩きますが、今朝は「きらクラどん」という題名を当てる放送の時間でした。

出だしの一節を聴いて題名を当てるという内容で、若いころからクラッシック音楽に縁がなかった私にはまったく無縁に思える番組です。

それでも放送を楽しめるのは、全国のクラッシック音楽の愛好者方が 答えとともに送られるコメントを聞くことがおもしろいからなのです。

今朝は「口笛吹きと犬」という曲の出だしでした。この曲は若いころ何度も聴いたことがあり、曲に合わせて口笛を吹いていたこともある曲でした。それでつい口笛を吹こうと思ったのです。

ところが音が出ないのです。
原因は入れ歯です。

楽しいとき口笛まで吹いて楽しさを感じていた自分が、さほど体力もいらない口笛が吹けなくなったことを少し情けなく思いました。

 

 

取引き


「司法取引」が始まるそうです。以前からその先進国であるアメリカの取引は話題になっていて、おもしろい制度だなあと思っていました。

仲間を裏切る代わりに、自分の罪を軽くしてもらうという制度の思えます。あるいは事実を白状して捜査の手間を減らす代わりに、罪を軽くしようという制度なのかも知れません。

これからいろんな事件の捜査で、司法取引が行われると思いますので人間の本性がどのようなものか見えるようで興味があります。

取引が始まった日の新聞で、星新一さんの短編小説のことが紹介されていました。

悪魔がやって来て、「死後に地獄に行く代わりにこの世での願いを叶えてやるが」という取引の提案を受けるのです。

決めかねていると天使がやって来て、「死後には必ず天国に行かせるから、自分の願いを聞きなさい」と提案されるという『お願い』という作品があるのだそうです。

悪魔の提案を受け入れるのか、それとも天使の願いを無条件で聞き入れるのか。人はいつでもそんな提案を受けて決断を迫られているのだと思います。

私は自分の願いを叶えようとして、悪魔と取引しているのではないかと思えてきました。


 

 

タイミング


タイミングを考えることが大切なことを自然が教えてくれます。

今我が家の周囲数カ所でタケノコが大変な勢いで生えています。昨日も寸暇を見て30本以上倒しました。破竹と黒竹と呼んでいる種類のタケノコです。

手で折ったり鎌で切れるうちに倒さないと、竹になったら手遅れです。のこぎりを持ちだして伐るまで大きくなったら、時間がかかる重労働になるのです。

放っておくと竹藪に囲まれた「雀のお宿」のようになってしまいます。高温多湿なこの時期は、自然界からタケノコ退治という仕事をいただくのです。

たまには日当代わりにやわらかそうなものを数本持ち帰って食べることもありますが、それもわずかなものです。

豊かな自然の中での生活には、タイミングを見損なわないことが欠かせません。

 

 

話の聞き方


いろいろな相談を受けることがあります。

ご近所の人からの相談は その人の生活ぶりはある程度理解できていますので 相談の趣旨がしっかり把握できます。

ところが相談する人の生活ぶりを見聞する機会がないときは その人からお聞きする話だけで相談内容に応えなければなりません。

内容が人間関係のことなら とくに慎重にならなければならないと思うのです。自分の立場で発言されるわけですから 相手側のいい分はいったん自分のフィルターを通したいい分になっているからです。

相談を受けたとき そのことは心がけていますが もう一つ心がけていることがあります。

相談者に対面する姿勢でなく 一緒に相談内容を整理する役目をすることです。多くの相談事は 整理することによってほぼ解決しているという体験をしています。

私にできることは どのように解決したいのか相談者と一緒に整理することであると気づきました。

 

 

超ミニ図書室


小さい図書室開設の準備をしています。丈が低い小さな本棚が数台置いてある図書室です。

並べる本はマンガ本と絵本 そして糸井重里さんや岩田書店さんが推薦されている本の中から私が選択します。基準は隙間時間に読める おもしろい本です。

日曜学校をしていたとき 通ってきていた子供たちが『どらえもん』のマンガ本を擦り切れるまで読んでいた光景が目に焼き付いて忘れられません。

おもしろさには テレビ観賞 スポーツ ゲーム 制作 音楽 演劇など それぞれにいろいろなおもしろさがあります。

マンガに夢中になることの功罪はわかりません。
人間はそれぞれのおもしろさに夢中になって 自然に何かを身につけていくのだろうと思っているのです。

かって「鳥獣戯画」を拝観したことを思い出しました。そのとき「これはマンガですよ」と教わりました。

​そのときから マンガというのは 絵を通して社会風刺とか人生のあり方を想像させる力をもっていると思うようになりました。

 

 

得票数


地元の市長選挙と市議会議員選挙が終わりました。特別な盛り上がりが感じられなかったのは 市民に夢が持てなくなっているからだろうと推察しています。

選挙にかかわられた何人かの人から 当選者の得票数順について話が出ました。

選挙は当選か落選かを決めることで わかりやすいイベントのように理解していました。ところが立候補者や支援者にとって当落はもちろんですが 得票数も大事なことだといわれたのです。

候補者が二人のときは 得票数は政策所信についての理解者数として 納得できます。得票数だけの理解協力者がおられるということなので 当然といえば当然です。

一方の市議会議員選挙では 地縁血縁などのつながりが得票数で 必ずしも政策とか活動目標 あるいは政党への応援者数ではないと理解していたのです。

未知の活動なので想像できないのですが 得票数によって議会での発言力に差があるのでしょうか。それはなかろうと思いますので 得票数は本人や応援者のプライドとか人気なのだと考えてもいいと思うのです。

選出されたからには地域のためにどのような行動をするかということが大切で 得票数よりそこに注目されていることを自覚してもらいたいと思います。

 

 

想像できる暮らし


東京で10年くらい調理の勉強をしていた男性が 奥さんと子どもさんを連れてUターンして帰っています。

田舎の古民家を借りて イタリアンとかフレンチの食事を食べさせてくれるレストランカフェを経営しています。

すでに5年くらい経っていて ファンは着実に増えているようです。その様子をほぼ毎日のように目にしていたのですが 利用する機会はありませんでした。

​ところが今月になって二度料理をいただく機会がありました。

無農薬野菜の美味しい食べ方とか 地産の食材を探し出し美味しさを引き出す工夫を見聞してうれしく思いました。また地元で活躍する異業種の仲間との交流や話題の提供も新鮮でした。

彼に「帰ろうと思った動機は何ですか」と質問しました。その答えに「都会の生活では想像ということが出来なかったのです」といわれたのです。

素晴らしい答えを聞かせてもらったと思いました。聞かされてみると 確かにこの地では想像することが出来るのです。

暮らし方の想像が出来るのです。子育ての創造 生計の創造といった人生設計を思うように想像し創造できることをいわれたのです。

想像できる料理いただき 元気が出る話を聞くことが出来たひとときでした。

 

 

カレー用スプーン



カレー専用のスプーンというものをいただきました。お客さまがお土産としてもってきてくださったのです。

スプーンには大小のサイズとか 柄のデザインに特徴があるもの あるいは用途別のスプーンがあることは知っています。

カレーライスをいただくときには 大きめのスプーンを選んで使うことが当たり前になって とくに食べにくさを感じることはなかったように思います。その我が家に このたび専用のスプーンをいただいたのです。

どこが違うのかは 使ってから理解しようと 急遽カレーを食べることにしました。

燕市のメーカーが カレーを食べておられる人の様子を詳しく観察し その感想を集めて制作したという非対称の形をしたスプーンです。

非対称ですから 金型づくりや製作には大変な苦労があったようです。

専用のスプーンが出来て カレーをいただく楽しみが増えるのはうれしいことですが 食べやすさのため つい食べすぎにならないように注意しなければなりません。

便利で快適になることは 一方でその副作用のようなものがあることを忘れないようにしたいと思います。 


 

 

ストリートビューの作り方


お客さまを迎えにホテルに行った時のことです。

駐車場に見慣れたグーグルのデザインを施した車が止められていました。

屋根にカメラを取り付けた装置が乗っているのが見え 「これがグーグルのストリートビューを作る車だ」と直感しました。

ちょうどホテルから持ち主らしい男性が出てこられ 物珍しそうに眺めている私に「この車で作っています」といわれました。千葉県にある成田の車庫から乗ってきたといわれ 目的地の撮影をされるようでした。

車内にはたくさんな機械が乗っていて その撮影はやめてくれといわれましたので カメラの数を数えてたら 上に向けられたレンズなどを含め15個くらいあったと思いました。

このようにしてストリートビューが作られていることを知って 誰も知らない秘密を私だけが知ったように思ってうれしくなりました。


 

 

お尋ねしたいことが


お参り先のお客さまが 「今日はあなたにどうしてもお尋ねしたいことがあるので」と あいさつが終わるか終わらないうちに話し出されました。

そのお方の様子は真剣で 思わず身構えてしまいました。 

心臓と肝臓の病気をお持ちのお方で 何度も大きな手術をされたことを聞かされて知っていたからです。一年に二度三度お会いするのですが お目にかかるたびに弱っていかれるように感じていました。

質問は「悟りというのはどういうことなのでしょうか」ということでした。

「あまり長く生きられないことは悟っています。身辺の整理もほぼ終えました。ただ残された家内のことについて心配が残っていて悟れないのです。いったい悟りの境地というのはどういうことなのでしょうか」といわれました。

その方の思いが響くように 寄り添うようにしてお聞かせいただきました。

読経を終えた後 「悟りとはどういうことなのか 私にはわかりません。でもお話を聞いて思ったことは 悟れないことも含めて すでに悟っていらっしゃると思います」とお話ししました。

「『あなたに代わって あなたの悟りを完成しているから 一緒に生きよう』と 姿を現してくださった如来様と共に生きるばかりです」といわれた親鸞さまのおことばをお話ししました。

「ありがとうございます」とお礼をいわれたとき 私も一緒に生きていただいているという思いがして とても満たされたひとときになりました。