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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

京都現代美術館



京都祇園。

繁華街のど真ん中にある「何必館」という初めての美術館に行ってきました。

四条通に面した 幅が狭い地下1階地上5階建ての美術館で 北大路廬山人の常設展示室がありました。

とくに観たいものがあったわけではありませんが なぜそこに美術館があるのか どんなことを考えているのか興味があって訪れました。

ちょうどマルク・リブーというフォトジャーナリストの写真展をやっていました。

毛沢東 周恩来 ホー・チミン カストロ チャーチルといった歴史の渦中にいたリーダーや 当時の子供や労働者などの写真を見ることができました。

自宅に帰ってから その美術館がそこに存在する理由をあれこれ考えました。

このたびの写真展と 廬山人の紹介に書かれていた文章から推測して 浮世の繁華街にいても「世の中をよくすることを忘れるな」と 警鐘を鳴らしているのではないかと思いました。


 

 

ラグビーワールドカップ観戦中



20日から始まったワールドカップの試合を 興奮しながら観戦しています。

ルールもいまひとつ理解できていませんし 選手の役割とか戦略などもわかりませんが とにかく面白いのです。

15人の選手が 一つのボールを奪うために全力でぶつかり ゴールに向かって進もうとする姿に感動しています。

殴ったり蹴ったりすることはないのですが 相手選手を押しのけるために体当たりしたり引き倒す様子は 格闘技としか思えません。

ボールを持てば 全力で走り 追いすがる相手選手を払い倒す迫力には圧倒されます。

日本チームは世界で10位というランクですが 1位にランクされているアイルランドとか 2位のニュージーランドチームの試合を見ていると 実力の差を感じます。

次の相手は 28日のアイルランド。どのような戦い方をするのか 試合が待ち遠しいのです。

私がラグビーファンになったのは 大学ラグビーの早明戦を見たのがきっかけです。

それからぽつぽつと観戦するようになり 地元の智翠館高校が花園大会の常連チームになって次第にはまっていきました。

そしてこのたびのワールドカップの大会中に 熱烈なラグビーファンになる予感がしています。


 

 

「記憶にございません」




昨日は「記憶にございません」というタイトルの映画を見に行きました。

三谷幸喜監督も 主演の中井貴一さんもファンなので機会があれば観たいと思っていた映画でした。

チケット売り場で 「何を観られますか」と聞かれ とっさに「間違いございません」といいました。

女性の係員の人は笑顔で「記憶にございません」ですねといって 空き座席表を見せてくれました。

なぜ「間違いございません」といったのかわかりません。

似たようなことばを見つけていったつもりですが 席について考えてみたらまったく似ていないことばでした。

私には「記憶にございません」という習慣がなかったからでしょう。


 

 

「そのうちなんとかなるだろう」



内田樹さんの新刊書のタイトルです。

社会を考える切り口がとても豊富なお方で ずいぶん前からファンになっています。

自分の人生の終焉を考えるようになってからというものは 内田さんのお話はとくに腑に落ちます。

お考えも素晴らしのですが 何よりご自身の思いを伝える文章が素直でやさしいのです。

タイトルからもうかがえるのですが ご自身が円熟してきておられるのだろうと感じています。

この本には 内田さんの生き方が動いて行く出会いが書かれています。

見える出会いや見えない出会いによって 人生が変化することに気づかせていただく 稀有な本と思いながら読みました。


 

 

ご自由にお持ち帰りください



新幹線に乗ると シートの前の袋に薄手の月刊誌が入れてあります。

だいたいいつでも 二冊あります。

一冊は旅をすすめるために 観光の穴場とか食べ物を紹介する冊子。

もう一冊は車中を退屈しないようにする 話題とか人生のヒントなどが集められた冊子です。

自分の本を持ち込んで読むことが多く めったに手にしないのですが 先日は「看取りクライシスー多死社会が待ち受ける現実」という見出しが目に留まりました。

そのなかで「90歳になったら死の規制緩和を」という記事がおもしろかったので 数か所メモしようと思いました。

ところがもってきているはずの筆記具が見当たらず あきらめなければならないと思ったのです。

未練が捨てきれずに いったん元に返した本を眺めていると 表紙の隅に小さく「ご自由にお持ち帰りください」と書いてあったのです。

さっさと自分の袋に入れて あちらこちらのシートを見るとすべての席に本が残っていました。

許可があるとはいうものの 気が引けましたが ご厚意に感謝していただいて帰りました。

今日も新幹線を利用する予定なので もう一冊いただこうと思っています。


 

 

ヤマボウシの実



ヤマボウシの実が熟れています。サルの好物なのですが 今年は一度も来ません。

小さな群れなら一日分の食料になるくらい実っています。

きっと周囲の山や農家の畑に食べ物があることを知っているからでしょう。

またイチジクも熟れ始めています。

サルやカラスに取られないか心配しているのですが 今のところは大丈夫です。

いままで一度もサルが来なかった場所なので サルはまだ気づいていないのでしょう。

ところが数日前 低い枝に実っていた実が何者かにかじられていたようです。

タヌキかキツネの仕業か あるいはイノシシかもわかりません。

イノシシは イチジクが熟れる前からたびたびやって来ていますが イノシシなら枝を折ってでも食べます。

その様子はありませんから イノシシではありません。またキツネならジャンプてでも食べるはずです。

そう考えると きっとジャンプしないタヌキの仕業だろうと推理しています。

知恵の絞りあいですが 野生の動物と一緒に暮らすことは すばらしい脳トレになっています。


 

 

人生ゲーム



すっかり忘れたころ 何かのきっかけで「人生ゲーム」をすることがあります。

ときどき改定されているらしく 昨年のお正月に孫と遊んだ人生ゲームには 現代の世相が取り込んであって楽しめました。

いまそのゲームをつくりたいと考え始めています。

人生の途中には お金とか仕事や趣味 あるいは病気などいろいろな転換期の糸口がのぞいています。

その糸口に 多くの人が共通して直面するものの中から 身近にあるものを選び出して ゲームをつくりたいと考えているのです。

そのプロジェクトを立ち上げ 参加方法などを考えようと思っています。

いっしょにおもしろいゲームをつくりましょう。

ぜひ仲間に参加してください。お待ちしています。


 

 

ゴミ集めは終わりに



かたずけをしていると ずいぶん熱心にゴミ集めをしていたことに気づきます。

ゴミの種類は 本とか書類などの紙が多いのですが それは必要であった情報や記録とか思い出の残骸です。

とくにそのときの衝動や そのとき必要であった資料として手に入れたものは 読み終えたら処分してもよかったはずのものです。

ところが「またいつか必要になる」と思って手元に置いたのが 間違いでした。今ではそれがゴミになっています。

「またいつか」「誰か欲しい人に」そして「もったいない」などという思いは妄想でした。

一年以内に手に取らなかった資料は ほぼすべてゴミとして整理したら 気持ちの中に空間が生まれました。

その空間の中に新しいテーマを入れると いままでの情報が化学反応をおこしてくれるように感じました。

捨てるという行為は 物理的なスペースが広がるということ以上に 化学的な変化を生む行為なのだと知りました。


 

 

マラソン代表決定



東京マラソン代表決定のレースをテレビ観戦しました。仕事の合間を見てときどき見ました。

状況が変わるときも あまり変化がないときもあるのですが 単純に走るだけなのになぜかおもしろいのです。

コースや表情 キャリアなどを伝えるアナウンサーのことば。

解説者が伝える選手の心理状態などを聞きながら 「そうなのか」「そういうものなんだ」と納得したりしながら応援するのです。

団体競技とか格闘技 あるいは短時間で結果が出るスポーツと違い 2時間以上の間ひとり一人の選手の気持ちと共感しながら過ごすことになります。

そんな感覚で見ていると おもしろい選手とか応援したくなる選手からは強い個性が感じられます。

たとえば 紹介される日常生活や練習方法とか走り方などです。

男女4人のオリンピック選手が決定しましたが 僅差でゴールした選手にもチャンスがあるそうなので ぜひ再挑戦してほしいものです。


 

 

素顔のままで



台風15号によって 関東地方に多くの被害がありました。

お世話になっている人がおられる千葉では 大きな被害が出ているようです。

台風上陸後のニュースを聞きながらも その方々へお見舞いのことばをかけることをしませんでした。

「ことばをかけないでおこう」と思ったわけではありません。

「ことばをかけてあげよう」と思いう思いが浮かばず 行動にならなかったのです。

これが他人の痛みに寄り添う気持ちの距離です。あたたかみがない生きざまでした。

喜怒哀楽を共感し ことばがけや行動が生まれるようになりたいと あらためて思いました。

まずは今の自分の素顔を確認しておこうと思い スナップ写真として残しておきます。