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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

里山からいただきもの



里山でお住いの人から 「食べてください」といって紙袋をいただきました。

中には さつま芋と柿 そして栗が入っていました。家内と 「秋をいただいたね」と話しながら知人の心遣いをうれしく思いました。

三種類の詰め合わせに 里山で暮らす人々の暮らしぶりを思い 秋を感じたのです。いま里山は秋たけなわなのです。

豊かになった現代では 「実りの秋」という感覚もことばも薄れかけています。さつま芋や柿栗に関心も薄いのではないでしょうか。

自然の恵みに 身体でふれる機会が減ったからだろうと思います。 

自然の恵みは生活実感として身体で感じるものです。空腹を満たしたり 手を汚し家族と協力して食べ物として口にしたとき感じるものです。

社会の進歩を止めてはいけませんが その進歩とともに自然の恵みも忘れないで欲しいと思うのです。


 

 

人の死は「普遍化」すること?


樹木希林さんがお亡くなりになりました。お亡くなりになるひとつきほど前 偶然どこかのテレビ局が密着取材をしている対談を観て境遇などを知りました。

今年「万引き家族」という作品に出演しておられ 観たいと思いながら見逃していたこともあって 樹木希林というお方をもっと知りたいと思う気持ちがありました。

お亡くなりになったあと NHKテレビで2年にわたる密着取材番組を観て 少し深く人柄にふれたような感じがしていました。

そしてお葬式の日 「万引き家族」の監督であった是枝さんの弔辞が代読されている様子も見ました。

その中で間違いでなければ 「樹木さんはお亡くなりになって普遍化した」という意味のことばがありました。いままで私の身近では聞くことがなかったことばで 引っ掛かりました。

もちろん人柄にもよるでしょうが 死という出来事を 芸術の感覚で捉えると「普遍化した」ことになるのだろうかと受け取ったのです。

あるいは樹木さんが 深く仏教に近づいておられて そのようなお話をしておられたのだろうかとも思ったのですが どちらであるのかわかりません。

しかし人の死を その人が「普遍化」して 存命中の愛憎や苦悩を離れ 思い出として昇華することを普遍化といわれたのならわかるような気がします。

強さの中に弱さを見せながら 自分の生き方を貫いて逝かれたことに さわやかさのようなものを感じたからです。


 

 

小さな大事件「スズメバチの巣を発見!」


毎日使っている介護施設の敷地内には専用の温泉があります。その温泉の屋根にスズメバチの巣があることに気づいてくれました。

介護施設から温泉棟への渡り廊下の屋根に隠れて見えなかったようで 発見時には20センチを超える大きさになっていました。

さっそく専門業者にお願いして駆除することにしたのですが このサイズになるまで頑張った巣を壊してしまうことはもちろんですが 沢山な蜂を殺すことに少しだけ心が痛みます。

ちょっと考えて見てください。

人間の社会のにたとえたら 時間をかけ建設用地を探して ローンを組んで家を建て始めたとたんに潰されてしまうことと同じ状況です。

駆除業者の作業は スプレイ式の強烈な殺虫剤を吹きつけ まず室内で作業をしている蜂たちを全滅させます。資材や食料を運んで戻ってきた蜂たちは そこに瀕死で苦しんでいる仲間を見つけ右往左往するのです。

怒りをぶちまける暇もなく 補償を求めたり仕返しをする相手もわからないままに やがて死んでしまうことになります。

わが身と施設の利用者を守るために 人間である私はずいぶんおそろしいことをお願いしたのです。

スズメバチの死骸を見ながら 自分は恐ろしいことをしていると自覚する心を忘れてはならないと思います。


 

 

稲が熟れる


田んぼの真ん中の道を通って 91歳になられるというお母さんがおられたお宅にお参りしました。

現在そのお方は隣の県の施設に入居され10年近くになり 留守になっていますが きのうは隣の県から戻ってこられた娘さん家族での参りでした。

先日家族の人が施設に行かれたとき 「稲が熟れたか見てきてくれといわれ 米作りを止めさせてもらえそうにありません」 と笑われました。

元気だった頃のことを憶えていて この時期には稲が熟れ 稲刈りの準備をしなければという思いがあったのだと思います。

稲が「熟れる」ということばが懐かしく 「ああ 根っからのお百姓さんだったのだ」と思いました。

農業に携わらない私は 今時分の田んぼの状態のことを 稲が「実る」とか「色づく」というのだと思っています。

考えて見たら稲が「熟れる」というのは ごく当たり前の表現なのですが 不思議な響きで聞こえたのです。

その家が田んぼに囲まれたお百姓さんの家であったためでもありますが そのおばあさんのことばから稲の匂いがしたように思いました。

 

 

同じことを何度も話す



お参りに行くと 10分ばかりのご法話という仏法の話をします。

そのとき毎回同じ話ばかりを話すことは面白くないと思っていました。聞く人はどう感じておられるのか尋ねたことはないのですが 自分がそう思っていたのです。

なぜそう思うのか深く考えてはいないのですが 「またその話か」とか「この前も聞いたよ」と思われることがいやだと思う気持ちはあります。

また「この話しか知らないのだろうか」と思われたりすることもしゃくに障る気がしていたのです。

ところが昨日ふと 「大事な話は繰り返さなければいけないのではないか」と思いました。

そのきっかけは 先日「宗教を聞くことは 役には立たないかも知れないが 大事なのです」という布教使さんの話を聞いたことでした。

そのときから 「なぜ大事なのだろう」「役に立たなくても大事なこととはどういうことなのだろう」と考えていたのです。

答えが出ているわけではないのですが 長い間学んだり聞いてきた仏教のお話しを思い出しながら 「仏法を聞くことは大事です」と同じ話を繰り返しています。

役に立つかどうかわからないことなので 役に立つとはいえないのですが 「我に返る」ことが出来るからです。我に返れば何かに気づくことが出来るからです。

これからはためらうことなく 同じ話を繰り返します。

 

「事業理念」の形を見てきました


隣町にある「あさりこども園」に行って来ました。お客さんが「園庭」を見たいといわれご案内しました。

何年か前になりますが そのお方に「この園庭で運動会のかけっこをするのですよ」と 樹木や築山そして沢山の障碍物が所狭しと置いてある園庭を見ていただいたことがありました。

そのとき「最初はどこにでもあるような学校のグランドのような園庭でしたが 子どもの発達を考えながら 山をつくり障碍物を並べ樹木を植えていったのです」。

「保護者からの反対はありましたし 考えを理解してくださる人は多くはいらっしゃいませんでした」。

「そのような反応の中でこの園庭が実現し 保護者の理解が得られたのは 運営者が事業理念を理解し その実現を実行していったからだと思います」と話したことがありました。

子どもの屋内遊びの場のような広い廊下は 異年齢の子どもたちが お互いがものを食べる様子が見えるような食堂に変わっていました。

その園庭や屋内を見ながら 進歩に驚きました。それは変化というより進歩でした。

このこども園には「一人を大切にする保育」という理念があります。その理念がしっかり現場に現れていたのです。 


 

 

ガソリンが10円高いらしい



お客さまを車でお送りするとき お客さまがガソリンスタンドに表示してある155円という価格を見て 「ガソリンが高いですねえ」と驚かれました。

「いくら高いですか」と尋ねたら 「10円高いです」という返事でした。

そうか 私たちは10円高いガソリンを買っているんだ と価格差を知りました。

一日たって その事実について とくに怒っている自分がいないことに気づき少しうれしくなりました。「10円高い」事実をどのように納得しているかということです。

その10円高いおかげで 周囲のガソリンスタンドが生き延びているのです。儲からないからスタンドがなくなるという話を聞きますが ありがたいことに田舎ではその話をあまり聞きません。

多くの人は 収入のレベルが都会の人々の収入レベルより低いことも知っています。日常品や食料品の物価が安くないことも知っています。その事実を知った上で毎日の暮らしを懸命にやりくりしています。多くの人はものを分け合い 寸暇に野菜をつくるなどして「物価が高い」ことを忘れます。

覚悟を決めてその気になっている人にとっては 田舎暮らしは口でいうほど悪くありません。その気になっている私はそう思います。


 

 

夢のこと


「夢をもて」「夢に向かって生きよ」などと いろいろな環境で「夢」の話をしばしば耳にします。

そういう話を聞きながら どれほどの人が夢をもっているのだろうかと思うと 意外に少ないように思うのです。試しに近くにいる親しい人に 「あんたの夢は何?」とたずねて見たらわかるはずです。

「お店をもちたい」とか「外国で暮らしたい」あるいは「小説家になりたい」などと思っていても 口に出し その上具体的に話せない人が多いと思うのです。

その原因について思うに まず突き詰めて考えていないことが多いと感じています。さらに自分一人が満足する夢であれば なおさら他人には話しにくいものだろうと思います。

子どものときは 「運転手さんになりたい」とか「サッカー選手になりたい」と身近な人の活躍ぶりを見て語られる夢があります。あるいは「オリンピックで金メダルを取りたい」と 熱中している競技の目標として話す夢もあります。

社会に出ていろいろ体験したり見聞が広くなるに従って 「独立する」ことや「田舎へ移住する」ような現実的な夢が生まれますが そうした夢を他人に話すことは次第に少なくなります。

家族や友人に打ち明けて実行されていると思うのですが 大きく育つ夢はたくさんの人に話しながら始まっているように感じます。

いろいろな人の意見を聞きながら育てる夢は 時間はかかるでしょうが 大きな夢に育つのだと思います。

世間でいう高齢者の仲間ですが 出来るだけたくさんな人に話しながら夢を育てたいと思っています。


 

 

世の中は無限に拡がっている


きのう書いた「思い出料理人」という職業もそうですが NPO「国際ダークスカイ協会」という団体だってものすごく興味深いものです。

このダークスカイ協会という協会が行っている活動の一つに 「星空保護区(世界でもっとも美しい星空が見える場所)の認定」というのがあるそうです。

いま世界で認定された場所は59箇所で このたび日本で初めて西表島のある場所が認定されたというニュースがあって知ったのです。

その場所の特徴は 星座が84個も見え南十字星も見えるというのです。

それがどれほどのことか私にはよくわかりませんが 関心がある人たちにとっては誘惑される場所であることは間違いありません。

世の中をそのような特徴で見たり考えようとすると 人間の暮らし方は無限に拡がるようで楽しくなります。

ここまで書いていたら玄関のチャイムが鳴って郵便局の人が荷物を配達にきてくださいました。見ると昨夜7時前にアマゾンに注文したLEDの電球でした。

7時からの会合に参加する人が 「電球が切れていましたよ」といって教えてくださいましたので さっそく注文したものが今届いたのです。

宅配便が翌日配達ということは知っていたのですが 前日の夜間の注文品も翌日に届くことは大変な驚きでした。

早速暮れ始めた庭に出て電球を取り付けながら 自分までがスピーディーに動かされていることに気づいて 内心で苦笑いをしていました。

自分では気づかないうちに世の中が変わっていきます。その変化に流されて自分を見失うことなく その変化に逆らうことなく自分を上手に変えたいと ふと思いました。 


 

 

思い出料理人


今日お見えになるお客さんのおもてなしの準備のために 昨日スタッフが買い物に出かけました。

天候や一日のスケジュールを考えながら 食材や飲み物などを買ったようです。

食事については 季節の野菜やお魚などが家庭料理として調理されると思います。もちろん地域で手に入る食材なので 関東からお見えになる人たちにはよろこんでいただけるものがたくさんあります。

その中で全国共通の食材としてお米がありますが お米にも産地のブランドがつく時代になっていまが 実際にはお米の味はわかりにくいと思います。 今日はノーブランドですが近所の田んぼで育てられた新米を炊きます。

新米の炊きたてのご飯で 塩結びをつくってもてなそうと思っているのです。 

先日 「思い出料理人」という人がおられるという記事を読みました。

たとえば 「いつもおばあちゃんがつくってくれていた玉子焼きをもう一度食べたいなあ」とお願いすると おばあちゃんの玉子焼きを再現してくださる料理人がいらっしゃるというのです。

記憶にある玉子焼きの色とか味 あるいは匂いとか器 手に入れていたお店や食べていた場面などを尋ねながら味付けなどを考えて料理されるといわれるのです。

出来上がった料理を口にした依頼人は 一口食べて「これはおばあちゃんの玉子焼き!」と涙を流してよろこばれることもあるという記事でした。

大多数の大人にとって共通している家庭の思い出の味は 新米の炊きたてご飯だと思い 今回もお昼は塩結びと漬け物 そしてお味噌汁でおもてなしをします。