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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

結果を見ることが出来ないことでも



長い間考えているけれども 「これで行こう!」という方向が見つからないことは誰にでもあるものです。

そのことで なぜ決断が出来ないのだろうと自問することもあります。

あるいは 何かはっきりしたヒントが見つかったり 「うまく行くかもわからない」という手応えがあるといいのですが それすら感じることが出来ない未知のものに取りかかるときは大きな決断が必要です。

自分で結果を出したい 結果を見届けたいという思いがあれば どうしても即効性がある方向や手段を選びたくなります。

長期間役に立つものは 役に立つようになるまで時間がかかることを覚悟しなければなりません。

ちょうどリンゴとか梨や柿の木を植えるように 4~8年しなければ実がならないことを覚悟して木を植えるようなことです。

実がなり始めたら何年もの年月収獲できますが 植える本人はその実を収穫することが出来ないこともあります。

収穫のときまで存命できるかどうかわからない年齢になると 躊躇するのも当然です。発想もしないかもわかりません。

それでも 育てることを楽しみ 収穫は「おまけ」と考えるようになることが大事なのでしょう。

「人生は途中」 。
結果だけではないと思っています。


 

 

近大マグロをいただきました



お葬式が終わった後 野帰りとか初七日といった行事のためしばらくの時間があります。

その間にお昼ごはんをいただきますが 先日のおもてなしは豪華でした。

すでに「喪」とか「精進」ということばや習慣はすっかり消えてしまった料理でした。

それを嘆くことはとっくに止めましたが 「いのちのかけがえなさ」を体感する方法が見つからないので モヤモヤ感は消えません。

会館専属の料理屋さんなので 一定の慎みは感じるものの 魅力づくりに工夫がこらしてあったのです。

会席料理をいただくときに見るような お品書きがテーブルに置いてありました。その中に いちいちの食材のブランドと いわれが書いてありました。

お刺身は愛媛のブランド鯛と近大マグロの中トロ。野菜サラダは 契約農家で育てた準無農薬栽培の野菜を使用。焼き物にはノルウエイの特定の海域でとれたブランド鮭などと詳しく書かれていました。

おもてなしを目当てに会館選びをするとは考えられませんが 参列した人に「あのお葬式はごちそうだったね」という印象ばかりが残るのはどうかと思うのです。 



 

 

やすらぎの家族葬



電車内での広告で世の中の変化を知ることが出来ます。

昨日 吹田市にある桃山台という駅に着く前 車内のアナウンス広告で「やすらぎの家族葬 千里会館は次でお降りください」とアナウンスしていました。

千里会館といえば大阪でも最大級の葬儀会館です。その会館がわざわざ「家族葬」ということばを使って宣伝をしていたのです。

「家族葬」ということばが誕生したのは10年くらい前で まだまだ一般的ではないと思っていました。

どの程度普及しているか知りたくて会館の人に尋ねたら 「全体の8割くらいが家族葬です」といわれました。

6室ある式場も 500人収容のホールが一つ 残りの5室は50人までの家族葬向けの小ホールだと話されました。

葬儀の規模はコミュニティの規模と比例していますし 世相を映しています。あるいはお付きあいの濃淡と比例し 故人の考えや喪主の思いが現れています。

今後の人間関係はどのように変化していくのかわかりませんが いのちの尊厳を確かめる機会 つながりを維持する機会を縮小しないようにしたいと思います。


 

 

結婚前に確かめておくといいもの

男女がお付きあいをしているとき確かめておくと 結婚した後で都合がいいものがあるという話題が出ました。

先日の研修会が終わって 食事をしながら出た話題です。

話が出たとき 真っ先に趣味や嗜好が同じかどうかを話し合うことだと考えました。

ところがその話題を出した人は 「お互いに嫌いなことを話しておくことが大切だ」といわれたのです。

きっかけはテレビのチャンネルから始まったと記憶していますが なるほどと思いました。お互いの嫌いなことを知っておけば 争いを避けて楽しく暮らすことが出来るというのです。

嗜好とか趣味のことならいいとしても 片付けとか近所づきあいとか お互いがきらいであっても 生活の中にはしなければならないことがたくさんあります。またどうしても見たいテレビ番組だってあると思います。

お付きあいの段階で ただ嫌いなことを出し合って話題にするだけで終わらないで 意見が分かれたとき 嫌いなことでも少しは我慢が出来るかどうか 合わせて確認しておくことは都合がいいと思います。

人生は 好き嫌いだけで回っていませんから。

 

身軽に生きるすすめ



「ただいま終活をしています」といわれる人の多くは 身の回りにあるものを捨て始めていることをいわれています。

自分もそうですが 周囲にあるものの中には 使うことがなくなったものが増えています。特に衣類とか書類 あるいは道具ものに目立ちます。

中でも一番場所を取っていて 最初に手を着けたくなるのは衣類と道具類。

体型の変化によってサイズが合わなくなり 流行も変わっています。さらに着用する機会も変わってきますので 不要になるものはサッサと処分できます。

昨年夏の衣更えのとき 冬物夏物の衣類を思い切り処分したのですが 冬場になって利用した衣類の種類は 数えたわけではありませんが 残したものの三分の一くらいに感じます。

使用している三分の一の暮らしで困ったことがあるかといえば まったく不自由なく とてもシンプルで暮らしやすいと感じています。

インナーと上着 そしてパンツ それぞれが夏冬で7枚もあれば 外出も普段の暮らしもOKです。

ファッションの意欲低下は老化現象と見えるかもわかりませんが 目標をもっているかぎり老化ではないと思っています。

終活の中には 身軽になって自分の夢に向かうことも含めておきたいと思います。


 

 

自給自足の暮らし



「自給自足の暮らしをしています」という高齢のご夫婦のお宅にお参りしました。

5、6年前 休耕にしている畑で鶏を放し飼いにすることから自給自足暮らしは始まったようです。

お米や野菜づくりは以前からやっておられました。

蕎麦打ちとかピザ窯を築いてのピザ焼き あるいは自家製のケーキづくりなどをして 次第に自給率は高くなっていると見受けました。

それに加えて関心をもっていたのは ご主人が社交ダンスを習っておられるという話を聞いたことです。

あるいは地域で取り組んでいる数百本の梅林の管理など 地域の中で積極的に動いておられることも知りました。

自給自足という暮らし方は その暮らしを選択された人にとっては楽しい暮らしなのだと思います。

自然災害や鳥獣被害という予期しない打撃も受けておられますが それを跳ね返す気力も含め 自給自足を楽しんでおられました。


 

 

苦悩するお寺



「仏教井戸端会議」という会議があるそうです。

井戸端ならぬ居酒屋などで 何人かの人が集まっては 仏教のことを話し合っている会議のようです。

おもしろい名前の会議で 傍聴席に入ることは自由で しかも無料のようなので覗いてみました。

その中に お二人の人がネットを通じてしゃべるという井戸端会議がありました。しゃべっておられるお二人は お寺の住職をなさっている釈撤宗先生と 仏教ファンと自称される小出遥子さん。

理想と現実を率直に述べながら なかなか突っ込んだお話をしておられました。

その第一回目は「苦悩するお寺」というタイトルで 丁寧にお寺の実態が話されていました。

まずタイトルが「苦悩するお寺」。建前からいうと 苦悩からの開放を説くお寺が苦悩しているという 何ともおもしろい話から始まっているのです。

今までやりとりが二往復しているのですが さてどんな角度で苦悩からの解脱が語られるのか。

井戸端会議に加わって意見を述べてみたい思いが湧いてきています。


 

 

座布団を温めて待ってくださいました



お参りに行ったお宅で 私が仏前に向かって歩く後ろで ご主人がコタツから座布団を出されました。

私のために温めていてくださったのです。

木下藤吉郎が 織田信長のワラジを懐に入れて温めていたという故事を思い出しました。

お参り先ではほぼどこのお宅でも座布団を出してくださいます。

このように温めていてくださっているお宅にもときどき出会うのですが 目の前で出してくださるのを見かけるのは初めてでした。

お礼を申し上げたら 特別なことをしたという様子もなく 「今日は寒いですから」 とだけおっしゃいました。

このような気配りの「おもてなし」は 心もあたたかくなります。


 

 

お仏壇を新しくする相談



お仏壇を新しくしたいといって 親子で相談に見えました。

相談の要点は 新しく購入することより古いお仏壇の処分をどうしたらいいかということでした。

お仏壇とかお墓の処分は 家の解体とか家具の処分と違って 特別な手続きが必要ではないかと思っておられるのです。

それはもっともなことで お仏壇に安置してあるご本尊や お墓に入れてあるお骨は品物として買ったものではないという思いがあるからです。

ご先祖さまもその前に座わり手を合わせ拝んだという つながりの思いもあるからです。

お仏壇を迎えられたときのことを想像しますと 予算に合った品物を買って設置し そのあと如来さまをお迎えされたことと思います。

「処分はその逆をすることになります」とお話して 手順は納得していただきましたが 自分の手で廃棄する不安が消えることはありませんでした。

そのお方の信心の様子に気づかされ 自分がやっている伝道の程度を考えさせられました。


 

 

心が狭い



待合室での出来事です。

4人掛けの長椅子に3人男性が掛けていました。

入り口にちかい席には お母さんらしきご婦人を乗せた車椅子を横にした40歳代の男性。その隣に私 一番奥側に50歳代の男性が掛けていました。

待合室が狭いので 車椅子が動くたびに 入り口ドアの自動ドアのセンサーが感知してドアが開くのです。

見かねて「変わりましょう」と男性に声をかけて立ち上がりましたが 丁寧に断わられました。

間もなくその方は奥の部屋から呼ばれ 奥に入られました。

用が終わってお二人が再び待合室に戻られたとき それまで一番奥側に座っていた男性が立ち上がり 「どうぞお掛けください」と声を掛けました。

「ありがとうございます」と お礼をいいながら 付き添いの男性は立ち上がった男性と変わられました。

帰られるとき ご婦人は「ありがとうございました」と席を変わった男性に声をかけて待合室を出られました。

最初に声をかけたのは私でした。それは忘れてられたのでしょうが 私の方に顔も向けずにお帰りになったことで 「小さな善意」を押し売りしてこだわっている自分を教えられました。