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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

手入れのたのしみ



梅雨入りを前にして 二日前から境内の庭木の刈り込みが始まっています。

松やツツジ 山法師や藤棚など手間が掛かる仕事をしていただいています。

父親が元気だったころ この仕事は父親の仕事でした。

好きでもあったようですが 数日間梯子に登って作業をしていたことを思い出します。

一度だけ「将来のために憶えておくといい」といわれましたが 「そのうち」といって手伝いはしませんでした。

今ごろになって 植木や花の手入れのおもしろさを感じるようになってきましたが すこし遅かったようです。

父親が出来なくなってからは すべて庭師さんにお願いしてきました。プロにおまかせしておくと安心でしたが おもしろさはありませんでした。

手間を掛け工夫したように植木や花が育ち 見る人によろこんでいただけますが そのよろこびは庭師さんのもの。

父親がときどきお客さんと一緒に 庭を眺めながら縁側で話していたのは よろこびを分かち合っていたのだと気づいています。

 

 

今年もビワをシェアーします



川沿いに広がる肥沃な畑があります。

そのところどころにビワの木があり たわわに実って色づいていましたが 袋掛けしてある木は一本もありませんでした。

人間が収穫しなければ  完熟したころにはカラスや猿などがやってくることでしょう。

我が家のビワも周囲の家のビワも豊作で 次第に色が濃くなってきました。

手の届くところの実は採りますが 高いところまで登ることはできませんので 高い場所が得意な鳥獣とシェアーします。

これも過疎地ならではの棲み分けですが 鳥獣が棲み分けを理解してくれているとは思えません。

衣食住については 私たち人間側で上手な棲み分け方を考えなければならないのです。


 

 

いのちがけで手に入れる筍



「根曲がり竹」という竹の筍をいただきました。

産地の人は クマに襲われることも覚悟して山に出かけて採るそうです。

そういえばそんなニュースを何度か聞いたことがありました。

そのニュースを聞きながら よほど美味しいものなんだという思いをもって いつか食べたいと思っていたのです。

その筍をいただいたのですが 産地は東北ではありません。

ときどきお目にかかる山菜採りの名人の話では 鳥取県の大山にも生えるところがあるのだそうです。

「焼いて食べてください」という野趣いっぱいの食べ方までアドバイスをいただきました。

さっそくクマと取り合いするくらい美味しいという筍をいただきます。


 

 

泥臭い働き



いろいろな働きを見ていたら どんな仕事も「泥臭く」行われていると思えてきました。

そして仕事は泥臭いものだと腑に落ちました。

一次産業やものづくりの仕事では ストレートに泥臭さを見ることができます。

ハイテクを用いた仕事とかファッション産業でも 表面には見えなくても その裏では泥臭いことが行われているのです。

パソコンなどを使って その働き方をスマートにする仕掛けはありますが 一つ一つの行動を観察するとやはり泥や汗の匂いがしています。

何かを完成し実現するまでの間には 何度もやり直しや行ったり来たり あるいは失敗を重ねます。

その間の行動をスマートにしようと手抜きをしたら 決していい結果にはならないと思えてきました。

「何事にも泥臭く」という働き方こそ大切です。


 

 

困った人と困っている人



「困った人」と「困っている人」は少し違います。

近所にお住いの「困った人」は 優しい性格をした独居の高齢男性で「困っていないと思っている人」です。

親切心が強く 特に困っている女性がおられると放っておけずに 自分のことは二の次にして何かと面倒を見ようとする人なのです。

そのために 月末にお金が足りなくなって食べ物がなくなることがあるようですが 困っている気配がありません。

ご近所に借金されても返済を忘れるようで 金銭の管理も難しい様子なのです。

先日から体調を崩されたのですが どうやら服薬の管理も必要になるようです。また水分をはじめ 毎食ごとの食事管理も必要になりました。

このような「困った人」の支援は 介護保険制度の網の目では漏れてしまう支援です。

このような困った人が増え その支援者が減っていく「困った地域」での楽しみ方を探しています。


 

 

市民一斉清掃日

どこの市町村でも行われている事業と思いますが 今日は市民一斉清掃日という行事があります。



朝7時から10時までの予定で 道路の清掃を中心にゴミ拾いや草刈りをします。

この事業が始まって40年近くなると思うのですが 始まったころに比べゴミが減ってきたように感じます。

缶やペットボトルのポイ捨てや 弁当の食べ殻などを見かけません。

この事業が 市民の道徳心を育てたのだろうかと推察します。

それにしても草はよく伸びます。

子供たちの通学路を中心に草刈りをするのですが 範囲は変わらないのですが高齢化して作業員が減ってきました。

いつまでボランティアで事業が続けられるのか心配ですができる限り参加しようと思い 今から出かけます。


 

 

専門家のコメントを聞きながら



小学校の通学バスを待っている子供たちが襲われ お二人が亡くなられ沢山の子供たちが傷つくという痛ましい事件が起こりました。

事件を起こした犯人は自殺して 動機や行動について専門家の分析とコメントが報道され始めました。

「拡大自殺」という聞き慣れないことばや 犯行の動機や人物像が分析されて報道されています。

その報道を聞きながら 多くの人は何を思うだろうか考えるのです。

世の中に 犯行をおこすために生まれた人は一人もいません。そのように育てられた子どももいないのです。

でもそういう人間が現れるのは 成長の過程に何か要因になるものはあったのです。

分析してことばにしたら 大きく重い課題のことばになるのですが 一つ一つは小さなことの重なりに思えます。たとえば ほめられた体験とか認められたということです。

「めったに見かけない人」であったらしいのですが 見かけたときに声かけをしようとしたかどうか。

そのようなことが自分の周囲で出来ることがあるのではないかと 自分との関わりを思いながら聞いています。

「社会の問題」という結論で終わりそうですが そうではなく一人ひとりの「人間に向き合う姿勢」の問題にしたいものです。


 

 

スリッパ



寺務所に上がられるお客さんのために 玄関にスリッパを準備します。

玄関でお迎えするときは 「どうぞ スリッパをお履き下さい」といいますから 全員スリッパをお履きになります。

ところが一旦スリッパを脱いで座敷に入るときとか お茶室に入り その部屋を出られるときはスリッパを履かずに出られる人が多いのです。

おそらく日頃の生活の中で スリッパを履く習慣がないからであろうと推測します。

そうしないからといって 不作法とか無教養な人というわけではありません。生活習慣はいろいろな場面で顔を出すということを話したいのです。

食事をいただくときに手を合わせること。

脱いだ靴を揃えることや 室内では帽子を脱ぐこと。

あるいは教科書や本などを床に置かないことや またがないこともそうです。

目に見えないものへの敬意から生まれた 美しい生活習慣であると思っています。


 

 

同じ話をしないように



出来るだけ同じ話をしないように注意しているつもりです。

その一番の理由は 「その話はもう聞いたよ」といわれたり 「話したことを忘れるようになっている」と思われるのがすこしこわいからです。

そしてもう一つ 「そんなことはとっくに知ってるよ」と思われる話はしないようにしたいという思いもあります。

でもそんな思いは止めようと思い始めています。

すでに自分が話したのではないかと思う話でも そんなにたびたび話すことはないと気づいたからです。

複数回話すことはあっても 一人の人に対しては せいぜい10回までだろうと思ったからです。

また聞く人がすでに知っているのではないかという話も 以外にご存じないという場面が結構多いからです。

一人ひとりが暮らす環境や興味は違っています。

その違いが話題の違いになるのですから 自分の環境の中で興味があった話は意外にに新鮮な話題になるようです。



 

 

塩金平糖



「塩金平糖」を食べました。

瀬戸内海の直島で購入したといいます。讃岐三白という名物になっている 塩入の金平糖です。

金平糖は甘いお菓子と思っていたのですが 塩入の金平糖は大人好みになっているようです。

食べながら 塩を入れることで新しい甘みが出ていることを知りました。

甘みとは逆なものを加えることによってなぜそうなるのか。ことばで説明しようと思ったのですが うまくいえません。

人間関係や仕事でも 同じ性格の人ばかり集まるとか 賛成賛成者ばかりでなく 違った考えや性格を持った人が集まった方がいいという説明が出来ると思ったのです。

違った意見を大切にしようとしたら 別な次元の意見に出会うことがあるので そのことと同じだろうと思いました。