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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

現実

数日前にお姿を見た人が、お二人続いてお亡くなりになりました。

お一人は、毎日のように往来する道を、ボランティアで草刈りをしてくださっていた男性です。たしか一週間前にお姿をお見かけしたと思います。

もう一方はご高齢のご婦人でした。デイサービスにお見えになったとき握手してひとこと言葉を交わした3日後のお別れでした。

人生は「無常」とか「風中の灯火」といいますが、その現実を実感させられました。

だからといって、自分はどう生きなければということにはなかなか結びつきません。

そのとき驚きが消えない間くらいな短い時間、身辺や仕事を整理しておかなければなどと思いますが、間もなく忘れます。

「メメントモリ」(死を忘れるな)というギリシャ時代の格言、「明日死ぬかのように生きよ」というガンジーさんのことばも知っています。知ってはいても、そのようなことを意識して生きてはいないのです。おそらく私だけではないと思います。

その現実の中で思うことは、やはり「今日一日を、今を大切に生きる」ということに尽きると思っています。

 

 

お盆

お寺では盆を使う機会がたくさんあります。

お参りくださったお方にお茶やお菓子をお出しするとき。
お説教においでいただいた導師様、出仕をしてくださった僧侶方の接待のとき。

あるいはお布施を差し上げるときや仏前にお供えをするとき。
経本を乗せるときなどにもお盆を使いますから、その種類は少なくありません。

そのことを考えてみても、ものの扱いについて細やかに配慮されていることがわかります。

お盆にかぎらず、ものを丁寧に観察すると気づくことはたくさんありそうです。
 

 

スティーブ・ジョブズ

『ステイーブ・ジョブズ』という映画を観ました。実は二度目の観賞です。

この映画の中で、ステイーブ・ジョブズの人間性について不可解なシーンが数回ありました。

例えば妊娠を打ち明けられた恋人に、「赤ちゃんは自分の責任ではない」という場面。

あるいはアップルⅡの開発の話し合いの中で、彼の方針に沿わない意見をひと言述べたプログラマーを、その場で解雇する場面。

あまりにも冷たく見える仕打ちを見ながら、家内と二人であっけにとられていました。

映画を観た数日後、お寺で親鸞聖人のお話しを聞きながら、親鸞聖人と重なるのかなあという気がしてきたのです。率直な気持ちです。

親鸞さまが、比叡山の修行を捨てようとなさった動機。約20年も暮らされた関東から、奥様や支えてくださった周囲の方々と別れて京都に移られた動機。

そして子どもさんを義絶された事実など、真実を追究するという執念の強さに共通点を感じたのです。

これからも重ねてお話しを聞かせていただきます。
 

 

吊るし柿

柿を吊しました。寒風が吹き始め、きれいに乾くことを思い浮かべながら皮をむいて吊しました。

二人で柿を採り、皮をむき、ヒモに吊すという作業を夜なべ仕事でやりました。
それは楽しい仕事でした。

食べ物に困るからという時代の仕事でなく、必要なだけ自分でつくって食べるという贅沢な仕事に感じました。

この柿が乾き始め、少し固くなり始めたころ甘みが頂点になります。

このタイミングで食べることが出来るのは作った人の特権のようなものです。

それを思いながら、吊した後眺めました。

 

ホームページを新らしくしました


ホームページを新しくしました。

目的は複数の人たちと一緒にページを編集するためです。

いままでは一人で、しかもお寺の中から外を見ていたのですが、外からお寺を見ることも加えたいと考えたのです。

新しい家に入ったような状態で、何がどこにあるか、ものをどこに置けば使い勝手がいいか。

立ち寄ってみたい家にするための工夫とか、いろいろ試行錯誤することになりました。

今年いっぱいで落ち着けたらいいかと思いながら、空き時間を見つけてはパソコンの前に座ります。

とりあえず毎日のブログはいままで通り新居でアップします。

よろしくお願いします。