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過疎四苦八苦

過疎四苦八苦

照れ隠し


Mさんの奥さんは ただいま股関節の手術を終え 入院してリハビリ中です。そのMさんは 2日ごとに仕事の合間を縫って病院にお見舞に行っているという話でした。

その話をするとき 「退院したら私の食事をつくってもらわなければなりませんので」とひと言つけ加えられるのです。別な人にも同じように話しておられました。

食事作りをしてもらうために頻繁に顔を出しておられるのかというと ほんとうはそうではないと思うのです。

入院中の奥さんを慰めるためであり 辛いリハビリを励ますために顔を出しておられるに決まっています。

Mさんは70歳過ぎた男性ですが この年代の人たちの中には 「奥さんにやさしくする」ことを他人に見られたくないような思いがあるのだろうかと ときどき思います。

ご飯の準備をしてもらわないければ困るからという理由を聞かされて 「ほんとだよな」と共感する人などおられません。

話を聞いていると 「早く元気になって欲しいから」とか 「辛いリハビリに耐えてくれるように」というやさしさがストレートに出せない照れがわかるのです。

こんな照れ隠しの表現を聞きながら 素直に話したらいいのにと思ったり いやいやこういう表現方法もあってもいいかと思いながら聞いていました。

 

 

朝顔


アサガオの苗をいただいてから 我ながらていねいに育ててきたつもりです。丈はゆうに1メートルを越え 葉もいきいきしているのですがまだ花芽は一つもついていません。

家内が誰かに「アサガオは芯を止めないとダメらしい」という話を聞いて調べたらしく さっそく摘芯をしました。

摘芯のあと家内が 「夏休みの自由研究などで アサガオ育てがあったけど一度もしたことはなかった」といいました。私も自分で育てることは初めてなのです。

ネット上で先輩がいわれるように ひたすら上に伸びようとしている芽を摘みました。そして「これはずいぶんむごいことだ」と感じたのです。

蔓の先端には 産毛に覆われた小さな幼い葉が出ているのですが その下あたりから爪で摘み取ってしまうのです。そうすると脇芽が出て蔓が拡がり 花をたくさんつけるのだそうです。 

アサガオの花を楽しむために 人間はこんな行為をしていることを 人生の終盤になって初めて知りました。

私は無知という世界の中で生きてきたようです。


 

 

停電


我が家では 昨日の午後1時から2時まで停電になりました。地域の電柱を取り換える工事が行われたのです。

10日くらい前に予告があったのですが 昨日昼食時になって慌てました。

日中の気温は35度を超えており 冷房が止まった部屋でどうなるのだろうと気づいたのです。

停電がない別の場所に行って仕事をすることにして難を逃れましたが 冷房がないと仕事をする気にならなくなっているのです。

この時期の停電は大変な迷惑と思いましたが 身勝手なことはいえません。工事にあたる人たちは この猛暑の中でも計画通りに作業をしなければならないのです。

「自然現象は巡り合わせ」と受け止め お互いに自己管理と工夫をして乗り切らなければと思います。

工事が終わった後 パソコンやインターネットの関係機器とか デジタル器機とか給湯器などを点検する作業をさせてもらいました。

 

 

集中力が低下しています


ここ数日間 自分の集中力が下がっていることを感じています。おそらく暑さのせいだと思います。

そのことに気づいたのは 地球に大接近した火星を見たというニュースを見たときです。

その前にあった皆既月食のとき お天気の心配をすることもなく この日は観測しようと漠然と思っていたのですが すっかり忘れていました。

火星接近のこともカーラジオで知り 「見たい」と思っていたのですがこれも忘れていました。

満月とかスーパームーンとか なぜか夜空のことに関心があって 見るようにしているのですが忘れたのです。

暑さが集中力を低下させることは知っているのですが そのために月食を見忘れたことは大問題ではありません。 

しかし集中力が低下していることは問題なので 交通事故を起こさないように気をつけなければと改めて思いました。

 

目標に向かって一歩ずつ



マンガ図書館オープンまでに マンガ本を1000冊集める目標を持っています。

その目標達成に着々と近づいているところです。

今まで自分が持っていたもの 開館に合わせて購入したもの 呼びかけに応えて寄付していただいたものを合わせ ただいま690冊。

追加の本棚を大急ぎで注文し 組み立てが終われば 本を並べます。

整理しながら なんと沢山なコミック誌があるものだと驚いています。そして一つのタイトルのマンガが シリーズで長く続くということも驚きです。

読み始めたらたぶん止められなくなって作業がはかどらないだろうと思い 一段落するまで本は開かないようにしようと思っています。

さて「開館しました!」と呼びかけたら 誰が来て下さるのだろうか。ゆっくり楽しんで過ごしてもらうために何が必要だろうか。

そんな反応を見るのを楽しみに コミック誌集めを続けます。「我が家ではもう要らないよ」という本があれば ぜひ寄付して下さい。

 

 

お盆の月になりました


お盆の月になりました。

一週間くらい前からお盆参りのことについて電話をいただくようになりました。また遠方からお墓参りに帰られた人が 立ち寄って下さる日もあるようになりました。

その人たちの仕事の都合やご家族の都合によって お盆の日をはずして休まれたのだろうと想像しています。

またお帰りになるお方が次第に減り そして世代が変わっていることも実感します。お参りされる方も 今までお帰りになっていた人の子どもさんになりつつあります。

原因は 先代が高齢になられ移動が困難になられたことがありますが 次の世代の人にお盆のお墓参りという思いが浮かばないこともあると思います。

過疎とか高齢化という現象は その地の人口が減り高齢化することだけでなく その地を故郷にしておられた人々まで含めての過疎高齢化という現象でもあることを気づかせてもらっています。

 

 

メダカ

メダカがとても元気です。

連日の暑さで 鉢の水温も相当上がっていると思うのですが ますます元気になっているようです。

足音がすると集まってくるようでとても可愛いのです。家内は自分の足音がわかっていて寄ってくるといいますが 私の足音でも集まってきます。

入れ物を振って餌をやるのですが その動作におびえ 一瞬は逃げますがまた寄ってきて ものすごい勢いで餌を食べています。

一日一回の餌やりですが ときどき忘れていることもあります。人間ならひもじくて不満のことばがあるところですが メダカは不服もいわずに待ってくれます。

水温が高く 活発に動く夏の間くらいは 毎日餌やりをしなければと思いながら忘れることがあって かわいそうなことをしているとちょっとだけ思います。

それでも一匹も死ぬことなく元気でいてくれるところを見たら メダカは身体は小さくても生命力が強い生きものなのでしょう。

餌やりを忘れた日には 過保護にしないようにしているといういいわけと飼い主の責任感に心が少し揺れます。

 

 

生産性



「生産性」ということばをときどき耳にするようになりました。

戦後間もなくして「生産性本部」という名前の元に 生産性を向上しようという運動が活発に行われていたように記憶しています。

いつの間にかそのことばを耳にしなくなっていたのですが 最近ときどき耳にするようになりました。

働く人の不足や 労働時間の管理が厳しくなったためだろうと思いますが 生産性ばかりを追求し始めたら ゆとりのない恐ろしい社会が出現するのではないかという心配があります。

そういう考えが浸透した社会では あらゆることに時間内での成果ということを当然のように思う人が増えることを危惧するのです。

一例ですが宗教とか基礎研究 高齢者や障害者介護と行った分野にも広がり始めています。

「次の行動が待っていますから読経時間は短くお願いします」「あの世の特別席に行けるような長い法名を」という要求が出始めています。

人間の暮らしには 生産性ということばが通じないことがあることを知っておいて欲しいと思うのです。


 

 

童心展


加納美術館で童心画家の佐々木恵未展が開催されています。館長の神先生とご縁が出来たこともあって 観賞に出かけてきました。

佐々木恵未さんの作品を これほどまでに丹念に集めて展示されたことはなかったのではないかと思うほどたくさん揃えておられました。

なかでも圧巻だったのは 「あったか家族」というタイトルで 山陰中央新報に掲載されていたことばと原画を 一室にすべて展示されていたことでした。

入り口から ことばを読んで絵を見る動作を繰り返し 疲れたら絵を見てことばを読むという動作を続けながら 気がついたら全部の作品を鑑賞していました。

作品の中には人間や身近な動物がたくさん画かれていましたが 一人ひとり一匹いっぴきが全部笑顔でした。

子どもが童心であることは当然ですが 高齢者の皆さんの童心も画かれていました。その童心を ほほにつけられている赤みに感じたのです。

観賞の途中で昼食時間になり 敷地内にあるすばらしいしつらえのレストランでいただきましたが 童心画の展示期間中には「大人のお子様ランチ」がふるまわれるようでした。

展示期間中は館内全体が童心に返るように企画されている展示会でした。

 

 

考える人がいたら


新築して13年後 統合のため使わなくなった小学校を見る機会がありました。

7年前まで子どもたちが学んでいた校舎で 当時の教育方針に従った教室や最新設備が備えつけてありました。

コンピューター教室やIH式コンロがついた調理室。電動で上下するボードなどが 急に利用者がいなくなって放置されていました。

不思議に思うのは これほど早く校舎が不要になるという 少子化の予測が出来なかったのだろうかということです。

意思決定する仕組みや 責任の所在などについて気になります。そこに投資された資金は税金ですが 不良債権としての追及はないのでしょうか。

年間事業計画に織り込まれているのだろうか あるいは対策担当を設置して 対策を考えようとしておられるのか気になるところです。

目的や設立の経過は違いますが お寺も同じようだなあと思って いのちを吹き込み蘇らせるのは人間の仕事であることを自覚しました。